柚 美路

第1話

午後になり風が強くなってきたらしく、木々が大げさに揺れている。暦ではもう春なのに外の空気はまだまだ冷たい。窓からは柔らかな陽が差し込んでいて部屋の中は暖かく、外とは別世界のようだ。


今日の午前中は母の四十九日の法要だった。確かテレビの天気予報では、朝から雲が広がり昼前には雨が降りだすだろうと言っていたけれど、どうやら外れたようだ。穏やかで暖かな晴れ間のうちに法要が終えられたのでほっとしたのか少し眠くなってきた。ポカポカと日向ぼっこを楽しんでいるのも要因なのかもしれない。


母が亡くなったのは突然だった。病院に運ばれてからあっという間だったので駆けつけた時にはもう意識は無く、会話をする事が出来ないままの別れとなった。

普段から会話の無い親子だったから話せなかった事に対して特に悔いはないけれど、何か聞かなければならないことがあったような気がして落ち着かない。それが何かは今のところ思い出せていない。


仕事の休みを取る事は、事前に申請を出せたので難しくはなかった。取らなければならない休みが溜まっていたこともあり、有給休暇を使うことにした。なかなかまとまった休みを取ることは、自分の首を絞める事にもなるのでかなり調整が必要だったのと、休み明けの激務を覚悟しなければならなかったが、取って仕舞えば後は考えない事にした。


こんなにゆっくりと過ごすのは何年振りだろう。実家に来るのも久しぶりだった。来てもいつも日帰りか一泊止まりで早々に引き上げていた。もちろんそれは母がいたからに他ならない。


この部屋は元々祖母の部屋だった。家の一番奥にあり、庭も祖母の部屋の前には直接いけないよう垣根があった。孤立している空間であり、子供の頃は秘密の部屋のようで入れた時は嬉しかった。

祖母は優しい人だったから入りたいと言えばいつでも入れてくれただろう。しかし母が良い顔をしなかったので、母が出かけている時にこっそり訪問するしかなかった。母が家にいない時に自分がいる事は滅多になかったから、入れた事は数えるほどしかなかった。母の目を盗んで入る事に罪悪感が伴っていたような気がする。祖母と過ごせるのは楽しかったのに後味はいつも悪かった。


祖母の部屋は昔ながらの和室の8畳間で、余計な物はと言うよりもほとんど物がなかった。あるのは仏壇と床の間に飾ってある壺と、古い箪笥、後は小さな文机くらいだ。

一階の西に伸びる長い廊下の突き当たりにその部屋はあった。引き戸を開け部屋へ入ると、真正面に押し入れがあり、左隣が床の間だ。左を向くと吐き出しの窓があり障子がいつも閉まっている。開ければそこから庭へ出ることができる。その横で、床の間とは反対側の壁に沿って文机があり、右を向くと仏壇と箪笥が並んでいた。

仏壇には祖父の写真と、かなり古い名前も知らない人の写真があり、お線香をあげて手を合わせる時には、いつも何となく見ないようにしていた。その写真の女の人の顔が怖く見えたからかもしれない。

床の間の壺は大きくも無く、かと言って軽く持ち上げられるほど小さく軽いものでも無く、手の握り拳がギリギリ入るくらいの大きさの口をしていて、白地に赤い色の枝のような模様が描かれているものだった。価値があるのか全くわからないが、ただとても大事にしていたのか不用意に触ると怒られた。子供だったから雑に扱って落として割られでもしたら困ると思っていたのかもしれない。

箪笥は段が四つで引き出しは五つあった。一番上の段だけ引き出しが二つ別れていて、そのうちの右側の一つにだけに鍵穴があった。大事なものをしまうために使っていたのかもしれない。

文机にはいつも本が載っていた。表紙には必ずカバーがかけられていたから何の本かはわからなかったが、この部屋に入るたびにカバーの模様が異なっていたので、いつも同じ本ではないのだろう。そのカバーはとても綺麗な柄や色をしていたから、千代紙のようなもので自分で作っていたのかもしれない。私がそれに見惚れていると祖母が自分の掌に乗せたまま「まだ読めないだろうね」と笑って見せてくれた。私は本の中身には目もくれずに祖母の掌に乗ったままのその本を、目を輝かせて色々な角度から存分に眺めたのだった。祖母は私に持たせてくれる気はなかったのだろう、手に取る様には言わなかった。ねだるような顔をして見せたが、「大きくなったらお読み」とだけ言って箪笥の引き出しへと閉まってしまった。


母と祖母は仲が良くなかった。一方的に母が祖母の事を嫌っていたような気がする。だから母が一番祖母の部屋へは近寄らなかった。

子供にはわからない事情があったのだろう。嫁姑の折り合いが悪いというのは良く聞く話だ。

そんな母が祖母の亡くなった後に、祖母の部屋で過ごすようになったのが不思議だった。あんなに嫌っていた人が過ごした部屋に住めるものなのだろうか、もう確認する術はない。


不思議といえば、実家の改築話が持ち上がった時にもあった。祖母がいる頃は母がしきりに「古い家が嫌で嫌でたまらないから建て直しができないか」と父にうるさく言っていたのに、亡くなってからはその一番古さを感じるこの和室に好んで籠り、改築には猛反対するという180度の代わり様だった。


私は祖母が亡くなってからも和室には入る事は許されなかった。母からはっきりと入るなと言われたからだ。母は私の事も嫌いだった。私も嫌いだったから対抗する気も起きなかった。

きっと私には祖母の面影があったのかもしれない。子供の頃の祖母に似ていると、良く祖母が言っていたから。


そもそも母は何故父と結婚したのだろうか。父は祖母に対して、所謂マザコンのけがあったように思う。いつも祖母の言いなりで、祖母と母が言い合いになった時には必ずと言っていいほど祖母の味方についていた。母の方が間違っていることも多かったのかもしれないが、公平だったようには思えない。

結婚前には分からなかったのだろうか。若い頃の2人は激しく愛し合ったのだろうか、私が物心ついた時にはもうそんな素振りはなく、その後も見たこともなかったから想像もつかない。4歳下に弟がいるから、それまではもしかしたらそういった感情があったのかもしれない。いや、元々なかったのかもしれないが、私にはどうでも良いことだった。


そして何故祖母と同居をしたのだろう。祖父は早くに亡くなっていたから私は会ったことがない。父は自分が出てしまうと一人で暮らすことになる祖母を不憫に思ったからなのか、ここではないよその家の大黒柱となる父のことを祖母が頼りなく思い心配でそばに置いておきたかったからなのか。それともただ単純に自分から離れていくことが許せなかったのか。そもそも同居をする事が最初から結婚の条件に入っていたのだろうか。その頃の祖母は母に対しても優しかったのだろうか。一緒に住むうちに“父”という人間に関わる何か軋轢が出来てしまったのだろうか。

そんな父は祖母が亡くなった時にはまるで子供の様に泣いていた。母はそれをずっと冷めた目で見ていた記憶がある。祖母が亡くなった時、私はまだ小学校の低学年で人の死というものがよくわからなかった。だから祖母のお葬式では周りが泣いているのを見て、自分も悲しい気持ちになった気になり皆に合わせて泣いていた。

先日母が亡くなった時の父は、悲しい夫を演じていていたように思う。皆の涙を誘っていたけれど、私には悲しがっていない事が一目瞭然だった。その証拠はいつもより顔色が良かったから。きっと私しか気がついていないかもしれない。それは私も同じだったから。


祖母の亡き後、割と直ぐに私は一度だけこの和室に入った事がある。祖母が作ったであろう本のカバーがどうしても欲しかったから探すために入ったのだ。後から思えは形見としてもらう権利があったのではないだろうか。言えば貰えたのかもしれない。

その日母は出掛けていて絶好のチャンスだった。私は部屋に入り、箪笥の引き出しを一つずつ開けては中に入っているものをかき分けて探した。

バレないように入っていながら、触ったものを動かした形跡がないように寸分違わずに戻すという知恵は幼い私にはまだなかった。それでもちゃんと戻した気になっていた。

箪笥の中にあった祖母の衣類などはもうあらかた処分されていて私のお目当ての物は見つからなかった。鍵穴のある引き出しには鍵がかかっていて開かなかった。この中にあるのかもしれない。でも鍵をかけるほど大切なものとは思えなかったのでここには無いだろうと諦めた。

文机にも小さな引き出しが付いていたので開けてみると、一冊の本が入っていた。あった!以前見たあの綺麗なカバーがついた祖母の本だった。そっと手に取ってみる。本の中身も初めて見る事になる。特に興味はなかったが、カバーを外すために広げたページに挿絵が描かれているのが目に入った。それはテレビの時代劇に出てくる様な髪の毛をしている女の人だったが変な格好をしていた。その時はそれが何だかよく分からなかったけれど、その後何年も経ってからその絵は、髪と着物がひどく乱れ、露わになった太ももの付け根あたりに自分の左手を挟み込み、右手ははだけた胸元へ入れているというものであり、時代物の官能小説だったのではという考えに至った。

子供ながらに変な絵を見てしまったと、手に取った事を後悔し、カバーを剥がす事も嫌な気がして直ぐに戻してしまった。親の性を除く事は理解していない子供でもいい気はしないものだった。ずっともやもやした胸焼けの様な気分が残った。


その日の夜、母は何も言わずに私の頬を平手で打った。突然だったので何が起きたのか分からなかった。そして母は理由すら言わず部屋へ籠ってしまった。

本を見た事に気づいたのだろうか、ちゃんと元に戻した筈なのに。私はその後も現在に至るまでずっと、そんな理由では部屋に入ったのではないと言い訳する機会を持たなかった。言い訳する気も起きなかった。

早くこの家を出たい。その一心で勉強し、就職し、引っ越す事に成功したのはそれから15年も経ってからだった。幼い時分からだからとても長くかかったものだ。だから必要以上には実家には帰りたくなかったのだ。



第2話へ続く

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