第31話 レブとジェーニャ

<レブ>


 夜が明けて、ぼくが気がついたときには、すでにアダマンティアさんの姿は消えていた。

 どこにいったのか。

 陽光を避けて、どこかに隠れているのだろうか。

 辺りを見回し、峻厳にそびえる岩壁を見上げたが、どこにも彼女の気配はない。


「あの……アダマンティアさんは——」


 ぼくが聞くと、ネクトーさんからは


「ああ。あいつは、夜の闇の中にしか、いないんだよ」


 と、よくわからない答えが返ってきた。


「はあ……」


 理解するのは諦めて、ぼくは、改めて、岩棚の縁から館を見下ろす。

 難攻不落。

 エルガンの峰の中腹に位置する領主様の館は、麓からは一本の曲がりくねった隘路でしかたどり着けない。その隘路の要所要所には、侵入者を迎え撃つための仕掛けが備えられている。

 そして館の後面は、エルガンの絶壁である。

 エルガンの急峻な峰を、軍が越えることはできない。

 そして、かりに峰を越えたとしても、どうやってそこから館まで降りることができるというのか。

 そんな鉄壁の護りを誇る領主様の館。

 ぼくは今、その館を、だれも想像できないような場所からのぞきこんでいるのだ。

 あれが、城壁。

 あれが、姫の塔。

 あれが、主塔。

 あれが、厩舎。

 あれが、厨房。

 あれは、練兵場。

 はるか下方に、遮るものなく、館のすべてが見える。

 そうだ、あの平べったい四角な建物が兵舎。今は、ジェーニャたち、攫われてきた女性が閉じ込められているのだ。

 そして、中庭に。

 あれはなんだ。

 外壁が真っ黒な、異常にねじくれた形の建物がある。

 屋根はなく、ここから、その建物の内部が見えている。

 床には、怪しげな模様が刻まれ。

 何本もの、禍々しい黒い柱が立ち。

 燦々と陽光が差し込んでいるはずなのに、その隅には、ドロリとした闇が蟠り。

 見るからに不気味な雰囲気を放つ、その異様な――。


「分かるな、レブ。あれが異星の神を招く仕掛けだ」

「あそこで、儀式が」

「そうだ。おれたちはあそこに突撃だ」

「でも、どうやって」


 ネクトーさんは、不敵に笑うと、革袋に手をつっこんだ。


「用意はしてある」


 するすると、長さのある白い棒状のものを引っ張り出し始めた。



<ジェーニャ>


 とうとう日が沈んだ。

 部屋では、だれ一人、口をきかず、押し黙っている。

 今日、この日の真夜中に、あの儀式がおこなわれる。

 領主様が口にした、あたしたちの「生命の火花」を捧げ物として、異星の神を招く、その儀式。

 こわい。

 いったい、どんな目に遭うの。

 でも、どう考えても、あたしたちは助からない。

 ああ、レブ兄ちゃん。

 もうだめだよ。


 ガチャリと音がして、部屋の扉が開いた。

 あたしたち全員が、さっと顔を向ける。

 甲冑をつけた、無表情な騎士が、ずらりと立っていた。


「時間だ……お前たち、みごとに、務めをはたしてみせろ」


 その言葉に、


「ひぃぃっ!」


 悲鳴を上げて、部屋の隅に逃げる子もいた。

 しかし、どうなるものでもない。

 手もなく押さえつけられた。


「助けてっ! 死にたくない!」


 なおも叫び声をあげるが、騎士は、抵抗を意に介さず、その子の両手を重ねて掴み上げた。


「いやあああああああ!」


 ガチャリと、金属の手枷がはめられる。

 さらに、首枷もつけられ、鎖に繋がれてしまった。

 あたしたち全員が、同様に拘束された。

 首枷と手枷は、ズシリと重く、そして痺れるように冷たい。


「いくぞ」


 騎士がいい、鎖をぐいとひく。


「ぐっ」


 首枷が食い込み、うめき声が漏れる。

 あたしたちは、なすがままに引き立てられていった。

 回廊から中庭に連れ出された。

 そこに、黒々と聳える異様な建物。

 異星の神を招く、聖堂。

 聖堂の扉が大きく開いている。

 あたしたちを飲み込むために。

 


<レブ>


 「いよいよだね」


 アダマンディアさんの声がした。

 振り返ると、アダマンティアさんが岩壁に貼りついて、上半身をぼくらに向けて伸ばしていた。

 いつの間に?

 

「おう、アダマンティア」


 ネクトーさんが、いつもの口調で言った。


「待ってたぞ。ちょっとこれに——」


 革袋から取り出した、細く長い、何本もの白い棒。

 素材はなにかの骨のようだ。しなやかにたわむ。

 それを組み合わせて、枠組みが作られていた。


「お前の糸を張ってほしいんだ」

「うん、お安い御用だよ」


 二人の作業が始まる。 

 その時、ぼくは、館に目をやって気がついた。


「あっ、あれは——ジェーニャっ!」



<ジェーニャ>


 あたしたちは、一列に並んだ松明の灯りの中、おぞましい異星の神の聖堂へと連行されていった。

 心の中は、絶望で真っ暗だ。

 ああ、お兄ちゃん、いよいよもう、あたし……

 でも、その時、あたしを不思議な感覚が襲った。

 お兄ちゃん?

 そんなはず、あるわけないのに、お兄ちゃんがあたしのことを、どこかから見守っているような、そんな感じがしたんだ。

 そんなことあるわけない。

 あたしは周りをキョロキョロ見回したけど、もちろん何か見つけられるわけがない。

 気のせいなんだろうか。

 でも——。


「立ち止まるな!」


 騎士が怒鳴り、鎖をひっぱった。


 

<レブ>


 ジェーニャ!

 なんて酷い目に。

 鎖に繋がれ、中庭に引き出されてくる娘たち。

 その中にジェーニャの姿を見つけた。

 ジェーニャ!

 ぼくの思いが伝わったのか、ジェーニャは立ち止まり、あたりをきょろきょろ見回していた。

 そんなジェーニャに苛立った騎士が、鎖を乱暴に引き、ジェーニャはよろけると、ふらふらと歩き出した。

 くそっ!

 待ってろ、ジェーニャ、きっと助けてやるから。

 ぼくがどうなっても、ジェーニャだけは。

 お前だけは、助けるから。



<ジェーニャ>


 異様というほかない。

 床に描かれたおどろおどろしい魔法陣。

 不気味な黒い柱。

 足がすくむ。

 でも、無情にもあたしたちは引きずられ、そして、一人一人が、鎖で、黒い柱に吊るされていく。

 両腕は高く頭上に挙げられて、かろうじて爪先で立つ。

 あたしたちの中でも小柄な子などは、足が完全に浮いていて、その顔は苦痛で歪んでいた。

 最後に、騎士が連れて来た女性は、高貴な身なりで、手枷はかけられていたが、首枷と鎖はなかった。

 彼女は、自分の足で歩いて、聖堂に入ってきた。

 流石に、すでに吊るされているあたしたちを見て息を呑み、足をとめたが、気丈にも、あたしたちに頭を下げて言った。


「みなさま、申しわけありません……わたくしの父がこのような許されざる企みを……」


 姫様だ。

 しかし、無惨にも、その彼女も、騎士たちの手によって、魔法陣の中心にある一際大きな柱に縛り付けられてしまったのだった。

 ややあって、騎士たちが、ガチリ、かかとを合わせて一斉に礼をした。

 聖堂に現れたのは、領主様。

 その後ろに、騎士団長、魔道士、そして、かつてパリャードの修道士だった男が従っている。


「お父様!」


 姫様が叫んだ。


「今からでも遅くはありません、やめてください! 間違っています、このようなことは——」


 姫様は、切々と、領主様を諌めている。


 しかし、領主様は、姫様の血を吐くような叫びにも表情を変えず、魔道士に命じた。


「……黙らせよ」


 魔道士は頷き、杖を姫様に向けて、何事か詠唱した。

 途端に、姫様の声は途切れた。

 姫様は、なおも、口を動かし、必死に言葉を発しようとしているが、その声はどこかに吸い込まれ、誰の耳にも届かない。

 星が、天を動く。

 やがて、魔法陣がうっすらと光り始める。

 紫か、青か、赤か、形容のしようもない異次元の色彩で。


 ウオンウオンウオン


 聖堂の空気が振動を開始した。

 あたしは、皮膚の上に、ピリピリと何か、痺れるような感覚が走り回るのを感じた。


「もうすぐだ。もうまもなく、星辰の配置が——」


 領主様が、歪んだ声で厳かに告げる。

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