第23話 罠

「おっ?」

「うわわわっ!」


 いきなり闇の中から飛び出してきた銀色の糸が、身体にからみついて、ぼくらは二人とも宙に跳ね上げられた。


「ネクトー……、あんた、いくら死ねないからと言って、ちょっとうかつじゃないの? もうすこし気をつけなさいよ」


 聞こえてきたのは、聞き覚えのある声。


「おっ、やっぱり来たのか、アダマンティア」


 ネクトーさんが言う。

 ぼくとネクトーさんは、頑丈なアラクネの糸によって、その間も空中高く吊り下げられたままだ。


「シチューだろ? お前も食いしん坊だなあ……それとも、食べたいのはレブか?」


 のんきに言うネクトーさんに、アダマンティアさんが、苦笑したように言う。


「ばかねえ、ネクトー。あんたのそういうところは、ほんとうに昔から……おっと」


 あわてて口をつぐむ。


「危ない危ない……また、舌をちぎり取られるところだった」


 ズルリ。ガサリ。


 闇の中で、アダマンティアさんが身じろぎをする音が聞こえた。


「ネクトー、わたしは、あのお方から命じられて来たのよ」

「ん……? から?」


 ネクトーさんが怪訝な顔をする。


「下を見てみなさいよ」

「ああっ!」


 アダマンティアさんにうながされ、視線を落としたぼくは、思わず声をあげた。

 数瞬前まで、ぼくとネクトーさんが立っていたその場所。

 まさにその場所に、大地を突き破り、二本の柱が突き出していた。

 かすかな熾火の光を鈍く反射する黒いその柱は、湾曲した先端が鋭くとがり、そして片面にはギザギザのとげが並び、まるでそれは――


 二本の柱は、ゆっくりとお互いに近づくように動き、そしてがちりと噛みあう。


  ギィイイ、ギィイイ


 とげが擦れあい、耳障りな軋り音が響く。


 ――あれは、大顎だ!


 なにか巨大な化け物の牙が、地の底からぼくらを狙って飛び出したのだった。


「ありゃあ……一匹、地下に潜んでやがったのか」


 ネクトーさんが、緊張感なく、首を振ってぼやく。


「いかんなあ。どうも今回、あいつの力がはぐらかされることが多いな……もう少し、しっかりしてほしいよ」

「ネクトー……」


 アダマンティアさんが、あきれたように言った。


「あんた、よくもあのお方に、そんな恐ろしい物言いができるわね……だから、わたしが来たんじゃないの。なにしろ、今度の敵は」


 アダマンティアさんの言葉が終わらぬうちに、ごうっと、熾火が燃え上がり、辺りを明るく照らし出す。

 次の瞬間、地面が爆発した。

 いや、地下にいたが、土や砂を弾き飛ばしながら、地上にその姿を現したのだ。

 ぐわっと伸び上がってきた、そのものの黒い大顎が空を斬り、ぼくらを持ち上げていたアダマンティアさんの糸も、ブツリと切断された。


「あああっ!」


 ぼくたちは、たちまち地上に落下する。

 そしてぼくは、落下しながら、燃え上がった炎に照らされた、そのものの姿をみた。

 まるで巨大なムカデのような、その化け物。

 平たい体節がいくつも連なって長く、地面から伸び上がっている。黒く、テラテラ光る体節には、体節ごとにそれぞれ二本ずつ脚がついて、ざわざわと動いていた。不気味なことに、その脚は、ぐねぐねした管なのだった。

 身体の大部分はまだ土の中に隠れているようだ。

 しかし、地上にある部分だけで、十メイグはあるだろう。

 その長い身体の端に、あのジェーニャを攫った化け物どうように、兜の形をした頭部があり、そしてその頭部にはするどい大顎があった。

 あんなものに挟まれたら、だれだってひとたまりもないだろう。

 大顎の付け根には、円形の口があって、内向きに小さな歯がずらりとならんでいる。

 その口が、広がったりすぼまったりしながら、落下するぼくとネクトーさんを待ち構えている。


 ビシュル!

 ビシュル!


 ふたたび、アダマンティアさんの糸が放たれ、すんでのところでぼくたちを捉えて、化け物の顎から引き戻す。

 助かった!

 だが、化け物はすばやく反応した。

 ぼくらが引き戻される瞬間に、化け物は身体を長く伸ばし、その顎を突き出して、鋭く空間をなぎ払った。

 黒光りする鋭い顎の先端が、旋風を起こしながらぼくの頭をかすめて、逆立った髪を数本切り飛ばす。

 そして、顎がぼくを通り越したその先には、無防備なネクトーさんの身体が。


「ぐうわっ!」

「あっ、ネクトーさん!!」

「ネクトーっ!」


 刃のような鋭い大顎が、ネクトさーんの胸から腹を、無残にざくざくと切り裂いていく。ネクトーさんをつなぎ止めていたアダマンティアさんの糸も同時に切断された。

 ネクトーさんは、鮮血をまき散らしながら、ふっとび、地面に叩きつけられた。

 その場にうつ伏せのまま、動かない。

 からだの下敷きになった腕は、おかしなふうに曲がり、明らかに折れていた。


「ねっ、ネクトーさんっ!!」


 ぼくは叫んだ。

 ネクトーさんの身体の下から、みるみる赤い染みが広がっていく。

 ぴくりとも動かないネクトーさんに、化け物が、ぞわぞわと脚を動かし、身体を地面から伸ばして、接近する。


「ネクトー!」


 アダマンティアさんが飛び出し、ネクトーさんに、その蜘蛛の身体でおおいかぶさった。


「ぎゃうっ!」


 ネクトーさんをかばい動けないアダマンティアさんに、化け物の大顎が突き立つ!

 太い牙に串刺しにされたアダマンティアさんの身体から、緑色の体液が噴き上がった。


「ぐうう……」


 アダマンティアさんの美しい顔が、苦痛に歪む。


 どうすればいいんだ。

 いったい、どうすれば。


 あまりの惨状に呆然となったぼくだったが、


 そうだ、あの父さんの短刀を!


 ようやく頭を働かせた。

 しかし、眼前に展開する光景に足がガクガクと震える。

 でも、なにかできるとしたら、これしかないんだ。

 ネクトーさんを助けないと!

 ぼくは両手で隕鉄の刀を握りしめ、震える足で一歩進んだ。


 そのときだ。


 

 


 世界を揺るがして、その声が轟いた。

 ぼくはその場に立ち竦んだ。

 その声はいったいどこから来たのか。

 しかし、そこに含まれた御稜威みいつはまぎれもなく。


  グオオオオオオッ!


 その声に応えるように、太い雄叫びがあがった。

 ネクトーさんだった。

 でも——。

 ぼくは我が目を疑った。

 あれが、ネクトーさんなのか?

 あの姿が?

 ぼくに優しく話しかける、ひょうきんなネクトーさんの姿はもうどこにもなかった。

 やせっぽちなネクトーさんの身体が、何倍にも膨れ上がっていた。

 鎧のような筋肉に覆われた、漆黒の巨体。

 その身体には、稲妻のような光が、いくつもまとわりつき。

 倒れ伏していたその場から、ゆっくり立ち上がったそのものは、まなじりも吊り上がり、瞳が赤く燃えていた。

 広がって裂けた唇からつきだす、何本もの鋭い牙。

 直視することも難しい、憤怒の表情をうかべるその姿は、もはや魔神としかいいようがなかった。

 これが、邪神のしもべとしての、ネクトーさんの本当の姿なのか?

 ネクトーさんが変じた魔神は、怪物とアダマンティアさんの間にすばやく滑り込むと、


 ガッ!


 アダマンティアさんを串刺しにしている、化け物の大顎を両手でがっしりと掴んだ。


 ゴアアアアアアアアッ!


 魔神が叫んだ。

 魔神の肩から腕の筋肉が、ムクムクと盛り上がり、血管がうきあがった。

 まとわりついた稲妻が激しく光り、


  バギッ!!


 なんと、あの頑丈そうな太い大顎が、真ん中からへし折れた。

 苦痛の叫び声をあげて、化け物が反り返る。

 その身体に、魔神がしがみつき、地面に押さえつける。

 いかに魔神の身体が膨れ上がったとはいえ、巨大な化け物にくらべたら体重差ははるかにありそうなものだが、驚くべき事に、魔神にのしかかられて、化け物はのたうちながらも動けなくなっている。

 魔神が、その顔をぼくに向けた。

 この世のものとも思えないその怒りの表情。

 鋭い眼光がぼくをにらむ。

 しかし、ぼくは、そこにネクトーさんの言葉を感じた。

 魔神=ネクトーさんはこう言ったのだ。


(いまだ、やれ、レブ)


 と。


「はい、ネクトーさん!」


 ぼくは、父さんの短刀を握り直すと、化け物にむかって突撃した。

 ネクトーさんが押さえ込んでいる化け物の頭に、短刀を突き刺す。


 ガアアアアアアッ!


 化け物の叫びが響き渡る。

 火傷をしそうなくらいに熱い魔神の漆黒の手が、短刀を握るぼくの手に重ねられ、


 ドウッ!


 とてつもない力が、魔神から短刀に注ぎ込まれた。

 ぐねぐねしたたくさんの脚が、一気にビンと硬直し、そして弛緩した。

 隕鉄の短刀に突き刺された場所から、化け物はみるみる崩れていき、そして異臭を放つ泥の山となりはてた。


 「や、やった……」


 ぼくはへなへなとその場にへたりこんだ。

 膝をついたので、身体が不気味な泥にずぶずぶとめりこんでしまう。


 「ネクトー、大丈夫かい?」


 アダマンティアさんの声に顔を上げると、泥の海の中から、アダマンティアさんが、ネクトーさんの身体を引きずり出すところだった。

 泥まみれだが、いつもの痩せぎすなネクトーさんだ。

 あの恐ろしい魔神の姿はどこにもない。


 「だめだ……」


 ネクトーさんが、がくりと頭を垂れ、弱々しくうめいた。


 「ネクトーさん!」


 ぼくが、泥をかき分け、あわてて近寄ると、ネクトーさんは、なんとか頭を持ち上げ、


 「頼む、レブ……お願いだ」

 「はいっ! なんですか? ぼくにできることならなんでも!」


 ネクトーさんは、アダマンティアさんに後ろから抱えられたまま、小さな声で言う。


 「鍋を……鍋を持ってきてくれ」

 「はい? 鍋?」


 なにを言っているのだ、ネクトーさんは。


 「シチューだ……腹が……腹がへって立てない……」

 「ええっ?」

 「腹が……へって……死にそうだ……頼む、くいものを……」




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