第21話 空
けっきょく、ネクトーさんとぼくは、僧坊に並んでいる修道士たちの寝室のひとつに移動し、その夜を過ごしたのだった。
寝室は、四人分の簡単な寝台が置かれている質素な部屋だった。
修道士たちは、あの化け物の夜襲に、慌てて飛び出していったのだろう。
寝具は乱れて、はねのけられ、あるものは床に落ちたままになっていた。
しかし、幸いなことに、部屋の中には、厨房のような惨劇の跡はなかった。
てばやく寝具を整え、ごろんと寝台に横になりながら、ネクトーさんは
「ああ、院長様のは、とおーってもふかふかだったんだがなあ……」
と、名残惜しそうに言う。
「なあ、レブ、今からでも……」
「ネクトーさん」
「わかった、わかったよ」
観念したようにそういって、目を閉じるのだった。
部屋には沈黙が降りる。
横になっていると、疲れたぼくの頭に浮かんでくるのは。
破壊された修道院。
あの黒い怪物。
院長様の凄惨な死。
領主様の館で起きているらしい異常なこと。
そして――。
ジェーニャ。
いまどうしてるんだ。
お前が、つらいことになっていないといいけど。
待ってろよ、きっと助けるからな……。
でも、こんなぼくになにができるのか。
それを考えると、胸が苦しくなってくる。
そんなとき、ネクトーさんがまた
「……レブ、寝ちまったか?」
と、小さな声で言った。
また、ネクトーさんがとんでもないことを言い出すんじゃないかと、ぼくは寝たふりをしようかとも思ったけど、
「なんですか、ネクトーさん?」
そのネクトーさんの口調が、なんだか少し真面目だったからだ。
ネクトーさんは、続けていった。
「……お前さんの妹、ジェーニャっていったか?」
「はい」
「まあ、おれがなんとかするからな……心配するな」
「あ……」
ぼくがなんて答えたらいいのか考えているうちに、ネクトーさんの静かな寝息が聞こえてきたのだった。
翌朝。
「ここでは、見るべきものはみたようだ」
と、ネクトーさんが言い、ぼくらは山を下りた。
下りは登りほどの時間はかからず、昼には岩塊の麓まで降り立つことができた。
あたりを見回すが、ぼくらが乗ってきた馬の姿はなかった。
「ホオォーイ!」
ネクトーさんの呼ぶ声にも反応はない。
町の厩へともどっていったのか、それとも、夜の間になにかがあったのか。
ぼくは、かしこい馬たちの身に何事もないことを祈った。
「ふむ……となると、
ネクトーさんは、革袋を担ぎ直して、歩き出す。
いよいよ領主様の館に向かうために、道を戻るのかと思ったが、ネクトーさんが足を向けたのは、その反対、山越えの道だった。
怪訝な顔をするぼくに、
「忘れたのか? 星が落ちた跡を見にゃならん」
と、言う。
「手記には、もうなにも残っていないとあったが、そうでもないんだ」
「えっ?」
「あそこで、確かめることがある」
ネクトーさんはそう言って、切り通しの道を、荒れ野に向けて、ずんずん歩いて行くのだった。
「知ってるか、レブ、西の涯ザヘルにはどこまでも砂漠がひろがっていてな、その砂漠の砂のなかには、からだの長さが1キラメイグもある、砂虫ってやつが棲んでるんだぞ」
道々、ネクトーさんが、いくつもの、はるかに遠い土地の話をしてくれた。
ネクトーさんは、有無を言わさず邪神に送りこまれ、そうした町を巡り歩いてきたのだという。(「いきなり、あいつの力で、知らない町にぶっ飛ばされるんだぞ、レブ。お前さんに会った時みたいにな。ひどい話じゃないか」)
その中には、ぼくが父さんから名前を聞いたことのある場所もあった。
ああ、いつかぼくも、父さんみたいに遠くの土地にいってみたいな……。
山越えの道を歩きながら、のんきにそんなことを考える瞬間もあったのだ。
馬で駆けるような速さでは進めない。
日が暮れれば野営し、山中を抜けて、荒れ野にぼくたちがたどり着くまでに三日かかった。
もう少しで山を抜け、荒れ地に出ようかというあたり。
「南の涯……海を渡った向こうに、氷の大陸があるんだよ。そこには——」
しゃべっていたネクトーさんが、ふと口をつぐんで、空をみあげた。
ぼくもネクトーさんの視線を追った。
蒼く高い冬空。
切れ切れの、白い雲が流れていく。
その空に、ぽつりと。
黒いものがうかんでいた。
六角形をした、戸板のようなひらべったいもの……。
空にいるものといえば、鳥だが、それにしてはあまりに形がおかしい。
そして、さらにおかしいのは、それが空の一点にとどまり、じっと動かないことだった。
「ネクトーさん……鳥じゃないですよね、あれは」
「うむ。凧かな……いや、それにしては糸がないか……」
「たこ? たこってなんですか?」
「ああ……レブは知らないか。そういう
ネクトーさんは、じっとその黒いものをみつめた。
「鳥でもなく、人の手になるものでもなければ、あれは……」
ネクトーさんの目が、すっと細められて、瞳の奥が赤く光る。
すると、その黒いものは中空でぐらぐらと揺れ、そして、安定を失うと、くるくる回転しながら、木の葉が舞い落ちるように墜落した。
切り通しの壁面から突き出ていた木の枝に衝突し、びりっと裂けて、地面に落ちた。
ぼくらは、道の上でもぞもぞ身もだえしている、そのものに近づく。
中心部から放射状に六本の、関節をもった虫のような脚がつきだし、その脚の間には薄い黒い膜が張られていた。今はその膜はあちこちで裂けてしまっている。そして、中心部にあるのは、あの、もうすっかり見慣れてしまった、兜の形をしたものだ。裏返っているその底面には、裂け目のような口がついて、閉じたり開いたりしていた。
「ネクトーさん、これって……?」
ネクトーさんがうなずく。
「見張られていたようだな、どうやら」
ネクトーさんが、ブーツでそいつを動けないように踏んづけ、ぼくをうながす。
ぼくは、父さんの短刀を抜いて、止めを刺した。
短刀が刺さると、六本の脚がぎゅっと縮こまり、そして全体が崩壊して黒い泥となった。
「ずいぶん、おれたちのことが気になるようだなあ」
と、ネクトーさんがいう。
「だいじょうぶでしょうか」
ぼくは聞いた。
「ん……?」
「ひょっとして、向こうで待ち伏せとかされるんじゃあ……」
「どうだろう」
ネクトーさんは笑った。
「ま、そのときはその時だな」
そしてぼくたちは、星の落ちた荒れ野にたどりつく。
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