第19話 修道院長の手記(3)その者の名は

「……なるほどね」


 と、手記を読みながら、ネクトーさんがつぶやく。


「こうやって、あの化け物はシドスに入ったわけだな」


 ああ、なんてことを!

 ぼくも、修道院長様と同じ気持ちだった。

 なんてことをしてくれるんだよ!

 騎士団が、こんなことをしなければ、ジェーニャがさらわれるようなことには、ならずにすんだのでは?

 でも、なぜ、そんなことを。

 ぼくは、食い入るように手記の続きを読んでいった。

 そこには、さらに衝撃的なことが書かれていたのだ。


**************************


 騎士団に経緯を問いただすために送り出した修道士は、すげなくあしらわれ、騎士からはほとんど何も情報を与えられなかった。

 しかし、修道士はあきらめず、離れたところを歩いていた人夫たちにもまめに話しかけるなどして、できる限りの情報を集めてくれた。

それで、現地に到着した騎士団が見守る中、落ちた星が突然割れて、中からあの黒い化け物が這い出てきたこと、何人かの騎士があの鞭のような触手の犠牲となったこと、魔導師の渾身の魔法「不壊の覆い」があの化け物の動きを封じ込めたことは分かった。

 鞭にいったんは絡めとられたものの、かろうじて逃れることができた騎士団長が、領主に事態を報告したところ、その化け物を城まで運んでくるように、命じられたというのだ。

 これは領主の厳命であり、何人もこれに背くことはゆるされない、邪魔だてをするようなら、この場で切り捨てると恫喝されたと、修道士は恐れと怒りに口を震わせて、語った。

 ここにも不審がある。

 領主は、戦では先陣を切ることもいとわない、勇猛な武将だ。けして臆病者ではないが、かといって無謀な人間でもない。責任を持ち、長くシドスを統治しているのだ。守るべき領土と領民を、たんなる好奇心で危険にさらすようなことはしない、それだけの良識のある人物だと私は理解していたのだが……。


 ともあれ、怪物はシドスの町へと運ばれていった。

 私は、無駄かもしれぬと思いつつも、領主へ、懸念と警告の文を送った。

念のため、星の落ちた跡にも修道士を派遣し、なにか手掛かりのようなものがのこっていないか、調べさせた。

 しかし、そこにはもう、ほとんど何もなかった。

 マンティコアの死骸も見当たらず、落ちた星ももはや形をとどめてはいなかった。

 ただ、細かな黒い砂が、地には一面に広がり、吹く風に飛ばされていたとのことだ。あるいはそれが星の成れの果てなのかもしれなかった。


 しばらくは何の音沙汰もなく、そして異常なこともなかった。

 私は不安を覚えながらも、毎日の勤めにはげみ、そしてパリャードの御神に祈りをささげていた。

 そのうちに、町から不穏な噂が流れてきた。

 若い女性が行方不明になる事件が、連続して起きているという。

 犯人はようとして知れない。

 腕利きの冒険者を護衛に雇った、商人の娘もさらわれ、あとには冒険者たちの無残な骸が残されていたと。

 私は暗雲がこのシドスの町を、まさにおおわんとしているのを感じた。

 そして――とうとう。

 騎士が領主からの召喚状を運んできたのだ。

 そこには、ありえないことが書かれていた。

 なんと、この修道院を閉じるという。

 もはやパリャードの神に仕えるものはこの地に必要がない、と書かれていた。

 したがって、すべての修道士は即刻退去し、修道院を明け渡すように、と。

 修道士たちは、みな激高した。

 怒り、石つぶてをなげ、騎士を追い返した。

 ――こんなことがあるはずがありません。

 と、修道士たちは言った。

 ――なにかの陰謀なのでしょうか? あの召喚状は偽物なのでは?

 だが、たしかに、召喚状の末尾には、私も見覚えのある領主の筆跡で、花押が記されていたのだった。

 ――わたしが、シドスの町に行って状況を探ってきます。

 修道士の一人がそう申し出た。信仰に篤く、頭も切れる男だ。このまま励めば、やがては神に仕える高い地位につくことは間違いない、そんな逸材だった。

 たしかに、この修道士なら――。

 そう考え、くれぐれも無理はしないように言い聞かせ、彼を送り出した。

 彼が調査をしている間に、私たちは籠城の準備を始めた。

 パリャード御神の信仰に生きる我々が、たとえ領主の命とは言え、このような理不尽に唯々諾々と従えるはずもない。

 幸い、この修道院は、本来は異国の侵略からシドスを守るために、かつて築かれた城砦なのだ。それがのちに、神の庭として使われるようになったものだ。

 神にそむく領主に、たとえ討ち死にするとしても、命の限り抵抗し、一矢報いたい、みなそう思っていた。

 だが、私たちが打ちのめされるようなことがおこった。

 再び、騎士がやってきた。

 この度は、騎士団長みずからが馬に乗り、現れたのだ。

 そして、その騎士団長と並び、馬を進めている男。

 あれは!


 ――なぜだ?!

 ――捕らえられてしまったのか?


 修道士たちがささやきあう中、その男――調査に赴いたあの修道士が、無表情に口を開いた。


「パリャードはもはや、我らの神にあらず。皆の者、退去すべし」


 信じられなかった。

 あの信仰篤い修道士になにがおこったというのか。

 沈黙が下りた。

 静まり返った中、騎士団長が告げた。


「これは最後通告だ。従わねば、この修道院は滅ぶ」


 その横の修道士も言った。


「一日の猶予を与える。みな、明日中に山をおりるのだ」


 ――ふざけるな!

 ――お前、パリャードの御神に背くのか?

 ――帰れ、裏切り者!


 我に返った修道士たちが口々に叫ぶが、二人は動じない。


「期限は、明日一日だぞ」


 騎士団長が最後に念を押し、そして二人は馬を返して、去っていく。

 私は、その修道士の名を、大声で呼んだ。

 しかし、彼は、私の声が聞こえているはずなのに、一度たりとも、振り返りもしなかった。

 私は、修道士全員に確認した。今のうちに山を下り、姿を隠して、再起を待つという選択もある、と。

 しかし、それを選ぶ者は誰もいなかった。

 みな怒りに燃えていたのだ。


 翌日は、戦いの準備に明け暮れた。

 修道院に続く道を分断し、落とし罠をつくり、攻め上ってくるだろう領主の軍に立ち向かうための仕掛けをこらしていく。

 冬に向けて備蓄した食料と資材は、まだ、ふんだんにある。

 たとえ軍が攻めてこようと、やすやすとは、ここは陥落ちない。

 パリャードの御神に、そしてシドスの民に、我々の信仰を示すのだ、みなが、そうかたく決意をしていた。

 私は、万一のことを考えて、手記をしたため、これまでの経緯を残すことにした。

 領主の手のものに処分される可能性を考えて、特殊なインクを使った。

 一見なにも書かれていないように見えるが、熱を加えれば文字が浮かび上がる。

 うまく、こころ正しき者に、見つけてもらえればよいのだが……。


**************************


「よかったなあ、おれが、たまたま鍋敷きにつかったから……そうでなかったら、せっかくの爺さんの頑張りが無駄になるところだったよ」


 と、ネクトーさんがしみじみ言う。

 確かに、僥倖といえるだろう。

 ただ、修道院長さまに対して、爺さんはないと思う。

 手記はもう終わりに近づいている。

 あと一枚、二枚だ。手記の最後の部分は、そうとう急いで書いたのだろう、文字も震え、乱れていた。


**************************


 ――明日は、戦いだ。

 みながそう覚悟し、見張りを残し床に就いたその深夜。


  グワアアンン!


 突然、ものすごい音ともに、修道院全体がぐらぐらとゆれた。


 ――何事だっ!


 飛び起きる修道士たち。


 ――夜襲か?!

 ――見張りはどうしたんだ?

 ――みんな、武器をとれ!


 呼びかわす叫喚の声。

 その間も、バリバリ、ガラガラと岩が崩れるような激しい物音がつづき、


 ――な、なんだこれは!

 ――化け物! あの化け物か?!

 ――ぎゃああああああっ!!


 悲鳴が響き渡る。

 私はパリャードの御神に祈った。


 お救いください、神よ!

 私たちにはなすすべがありません。

 このまま、世界は滅ぶのですか。

 世界を救う御神の手は――。


  ドウン!


 ふたたび建物が揺れ、机の上の燭台が、がたりと倒れた。

 溶けた蠟が、机の上に広がった。

 私は、目を見張った。

 流れた蠟が、私の目の前で文字を形作ったのだ。

 それは、


  


 ネクトー? これはなんだ?

 だれかの名前なのか?

 何者なのか。

 わからない。

 だが、私ははっきりと悟った。

 これは御神のお告げだ。

 パリャードの御神が、私の祈りに応えて。

 ネクトーよ。

 ならば頼む。

 ネクトー、この世界を


 ……手記はそこで終わっていたのだった。

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