混沌の邪神のしもべ3 祭壇の少年

かつエッグ

第1話 邪神の祭壇

 ただ、ひたすら怖かった。

 ぼくの身体がこんなふうにガタガタふるえているのは、夜の寒さのせいだけじゃない。

 こんな場所に、こんな時間に、たった一人。

 そして、ぼくがこれからやろうとしていること——。

 でも、やるしかないんだ。

 これしかないんだよ。

 ジェーニャを救うためには。

 ぼくは、逃げ出しそうになる自分を、必死でふるいたたせた。


 風が、ごうごうとうなる。

 木の枝が、ざわざわとゆれる。


  キョキョキョキョ


 得体の知れない鳴き声が遠くから聞こえる。

 ここは、町外れにある、廃墟。

 倒れた石の柱や、崩れた壁のあとを、月の光が照らしている。

 いったいいつのものなのか、とてもとても古い遺跡で。

 町の人たちはだれも近づかない。

 こんなところに近づくと、呪われてしまうと、みんな言っている。

 なぜなら、ここは、邪神ハーオスの神殿の跡だからだ。

 邪神ハーオス。

 混沌と破壊と暴虐の神。

 とてもとても、おそろしい神さまなんだ。

 秩序と創造と寛容の神、パリャード様とはちがう。

 その名前を口にしただけで、悪いことがおきるかもしれない、とても怖い神さまだ。

 だれだって、そんな神さまとは関わり合いになりたくないよ。

 でも、そんなことを言っている場合じゃないんだ。

 くそっ、早く助けないと。

 ジェーニャ、無事だろうか?

 ぼくの頭に、いつもやさしい妹の顔が浮かんだ。

 レブ兄ちゃん、もっとしっかりしないとダメだよ、そう言って笑うジェーニャ。

 胸が張り裂けそうになる。

 これしかない、かけがえのないジェーニャを助けるためには、ぼくにはこれしか思い浮かばないんだ。

 ぼくの目の前にあるのは、そこだけ、崩壊をまぬがれた一角で。

 柱に囲まれた石の床のうえに、八角形の祭壇がしつらえられている。

 柱には、なにかぼくの知らない、異様な怪物の姿がいくつも彫りこまれていた。

 長い年月の間に、すりへってはいるけれど、それでもそのおそろしい姿はわかる。

 そんな怪物たちに護られるようにして、白い祭壇が見える。

 ぼくは、月明かりの中、おそるおそる祭壇に近づく。

 ジャリッとぼくの足が、祭壇の周りに散らばっている白い石塊を踏む。

 祭壇の上面は、真っ黒な一枚の石板で、これだけはまったく傷ついたりすり減ったりしていない。

 話に聞いていたとおりだ。

 ここで、アレをやるんだ。

 手順は、頭に刻み込んである。

 ぼくは、左手をのばして、その石板の上に載せた。

 石の冷たさを感じるはずだったのに、不思議なことにその石板は冷たくない。

 なんだか生あたたかった。

 どうなってるんだ。

 でも、邪神の力が働いているんだろう、これも。

 右手で、腰に差した短刀を、鞘から抜いた。

 柄をきつく握りしめる。

 月明かりに、鋭い刃がギラリと光る。


 待ってろ、ジェーニャ、兄ちゃんがなんとかしてやるから!


 ぼくは、ふるえながら、その手をもちあげ、左手の手首に狙いをつけて、覚悟をきめ、思いっきり——


 でも、ぼくの手が振り下ろされることはなかった。

 まさに、手を振り下ろそうとした瞬間、


 ビカリ!


 いきなり、祭壇の上の方からまばゆい光が射したかとおもうと、


「うわっ、たっ、たっ、たっ!」


 情けない声をあげて、


 ドサッ


 祭壇の上に、男の人が落ちてきたんだ。


「ひゃあっ!」


 ぼくは、後ずさって尻もちをついた。

 落ちてきた男の人は、祭壇から、石の床に転がり落ちた。

 ゴン! と頭をぶつける音がした。


「ううっ……いてててて……なんだよ、こんどは?」


 男の人は、両手で頭を押さえていたが、やがて、ぼやきながら立ち上がり、


「ん…?」


 尻もちをついたままのぼくに気づいて


「お前さん、だれだい?」


 男の人が言う。

 痩せぎすのその男の人は、皮の袋をひとつ背負っているだけで、武器らしいものはなにも身につけていなかった。

 そして、とても優しそうな、人なつっこい目をしていたのだった。


「あの……」


 ぼくは、その人に聞いた。


「あなたは……ひょっとして……ハーオスさまですか?」

「はあっ?」


 男の人は、素っ頓狂な声を上げた。


「す、すみません、そんなわけないですよね」


 ぼくは慌てて言った。

 そんなわけない。

 なんてバカなことをいってしまったんだ。

 だって、そもそもぼくは儀式を始めてさえいないんだから。

 なにもまだ捧げていないんだ。

 それなのに、邪神ハーオスが、ぼくの呼び出しに応えるはずなんかないじゃないか。

 それに——だいたい、この人が、そんな暴虐の神のはずはないよね。そんな雰囲気じゃない。なんだか優しそうだし。


 ぼくを見る男の人の視線が、まだ握りしめたままの短刀に向けられたのに気づいて、ぼくは、あせって手を後ろにまわした。


「こ、これはなんでもありません! あの、ぼくは、その——」


 ぼくはしどろもどろになったが、男の人は、その人なつっこい目でぼくを見つめ、そして静かな声で言った。


「なあ、お前さん……、深刻な事情があるんだろうが、それはやめておけ」

「えっ!」

「そんなことをしても、何もならないぞ」


 その口調は、ぼくがしようとしていることをすべて見透かしているようだった。


に、そんなことをしても無駄だよ。それに、まんいち、あいつの気まぐれで、応えがあったとしたら——」


 その人の顔が、ひどく悲しげになった。


「もっとひどいことになるだけだ……」


 そのことばは、まるで自分に言っているようだった。


「あいつって?」


 そういうぼくに、その人は


「わかってるはずだ。お前さんが、願いを叶えてもらおうとした相手、のことだよ」

「あ……ああ……」


 やっぱり、この人は分かっていた。

 でも、やめろと言われても、ぼくには——。


 ぼくは、がっくりうなだれた。

 ぼくの目から涙があふれ、膝の上にぽたぽたと滴った。


「でも、ぼくには、これしか……なんとかしないと、ジェーニャが……妹が」


 嗚咽にしかならなかった。

 そんなぼくに、男の人は、優しい声でいったのだ。


「事情を聞かせてみろ。おれに、なにかできることがあるかもしれん」


 こうして、ぼくは、その人——ネクトーさんと出会ったのだ。

 月が照らす、邪神の祭壇で。

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