閑話 ■■■■は希望を胸に笑う
◇◆◇◆◇◆
「お母さまっ! 見てください。庭のお花で冠を作ったんですよ! このお花お好きでしょう?」
「まあ。フフフ。よく出来ているわねぇ」
私は自信作である花冠を、床に伏せりながらもコロコロと笑う母に手渡した。
顔色は悪く、体もやせ細り、しかしその瞳に浮かぶ穏やかな光はまるで衰えることはない母が、少しでも元気になるようにと願いを込めて。
「アナタの名前はこの花からとったのよ。異国では“希望”って意味があるんですって。だから庭に植えたの。いつでも見られるようにね」
母はゆっくりと花冠を頭に乗せると、こっちへいらっしゃいと私を招き寄せて優しく髪をすき始める。私がこの流れるような金髪をすかれる事が大好きだと知っているから。
「アハハ。くすぐったいです!」
「ほらほら。じっとしてて。……良い? 私の可愛い娘。よく聞いてね」
私の笑い声を聞きながら、母は穏やかに、だけど真剣な口調で話し始める。
「アナタにはこれから多くの嫌なこと、苦しいことがあるでしょう。こればかりは流石に避けられない。けどね。アナタを助けたいと思っている人も、一緒に居たいと思う人も必ず居るわ。……だから、
それは母から娘の、
「そんな人達に届くように、自分はここに居るって知らしめるように、出来れば輝かしい笑顔で高らかにね!」
「……はいっ! よく分からないけど……笑えば良いんですね! 私、頑張りますっ!」
母……オリーブ・グリーン公爵夫人が亡くなったのは、それから七日後だった。
「さあ。■■■■。お前の
母が死んでしばらくすると、母の見舞いにもほとんど来なかった父グリーン公爵が、突然再婚相手とその娘を連れて戻ってきた。
「初めまして。私はダリア。今日からお母様と呼んでも良いのよ。……ユウガオ」
「はい。ユウガオと申します。これからよろしくお願いいたしますね。■■■■お姉様」
新しい母だという人はとても美人で、新しい妹だという人はとても愛らしかった。だけど、
「……よろしく、お願いします」
まだ母の死を引きずっていた私には、そう簡単に受け入れられそうになかった。
ダリアお義母さまとユウガオが来てから私の生活は一変した。
「採点の結果、■■■■お嬢様は90点。ユウガオお嬢様はなんと満点でございます」
ユウガオは天才だった。私が家庭教師に何度も教わって何とか覚えた事柄を、ユウガオはたった一回で覚えてしまう。
それは勉学だけではなく、貴族としての作法や運動、教養に至るまで様々な事柄に渡った。おまけに、
「庭のお手入れですか? いつも見かける度に奇麗な庭だと感服してるんですよ! ありがとうございます」
「今日のお食事もとてもおいしゅうございました。これからもよろしくお願いしますね!」
ユウガオは愛嬌もあった。可愛らしくにっこりと微笑んで使用人たちをいつも気遣う様子に、館の中でユウガオを悪く言う者はほとんど居なかった。そして、
「まあまあなんて出来た子なんでしょうユウガオは。……それに引き換え■■■■ときたら」
ダリアお義母さまは何かにつけて私とユウガオを比較した。
勉学の点数から些細な行儀作法まで、いつも比べられて一方的に自分が劣っていると突きつけられる。
政務が忙しく外出がちな父の代わりに家を取り仕切るのがダリア義母さまであり、そのダリアお義母さまがそのような態度をとる以上、他の使用人達も僅かずつだけど同調して冷たくなっていく。
少しずつ、少しずつ、私が家の中で心安らげる場所は少なくなっていった。
半年も経つと、もう自身の部屋ぐらいしか落ち着ける場所はなく、私は自室に引きこもりがちになっていた。
貴族としては、いかに大切な人の死であっても切り替えて進まねばならない。それは分かっているのに、どうしても忘れられない。
家の者は大半がユウガオをちやほやする。私に対しては敬ってこそいるが、それでもどこか以前と比べて冷たくなっていた。
そんなある日のこと。
「■■■■お嬢様。失礼いたします。……あの、これっ!」
少し前から家に仕え始めたメイド見習いのアイビーが、突然私の部屋にやってきて何かを差し出してきた。
本来なら使用人として良い態度ではないのだけれど、アイビーは家の中でも数少ない私の専属メイド(元々の専属メイドは大半がユウガオの方に行ってしまった)なので多少の不作法は流す。
「これ……本?」
「はい。お嬢様、私が来てからずっとお元気がなくて、だから贈り物をすれば少しは気分も晴れるかもって。……差し出がましかったでしょうか」
「……いいえ。メイドのお給金じゃ買うのも大変だったでしょうに、ありがとうね。読ませていただくわ」
最後の方はシュンとなってしまったアイビーに、私は笑ってそう言おうとして……
オリーブお母さまが死んでから、私はまともに笑うことが出来なくなっていた。
母の願いを叶える事も出来ずいつも暗い顔。それもまた私が家で使用人達から冷たくされている理由の一つなのだろう。
心配そうにするアイビーを下がらせ、私は早速本に目を通す。
「……ふぅ」
読み終わって気が付けば、もう日が暮れていた。
これほどまでに夢中になって本を読んだのは久しぶりだった。
本の内容は、一人の貴族令嬢を主軸とした物語。大分後になって知ったのだが、俗に
主人公は決して並外れた才能を持っているわけではない。いくら努力しても一番にはなれなかったし、時にはとんでもない苦難に見舞われることもあった。
しかしどんな状況に陥ったとしても、特徴的な高笑いを上げて苦難に挑み続けるその姿は、敵味方も貴族庶民も関係なく多くの人を惹きつけていった。
自分と似ているようでどこか決定的に違うその姿に、私はどこか羨望を覚えた。
「……ア……ハ……ハハ……ぐすっ」
前のように笑おうとしても途切れちぎれにしか出てこず、代わりに出るのは自分の情けなさへの涙ばかり。
ああ。もしも私がこの本の主人公だったなら。こんな強い女性にはなれなくとも、
「……ハ……ハハ…………
それは偶然だったのだろう。偶然嗚咽がそのように聞こえただけなのだろう。
だけど、この一瞬だけ確かに……笑えたのだ。
◇◆◇◆◇◆
「……という事がありまして、今ではこ~んな立派に笑えるようになりましたわっ! オ~ッホッホッホっ!」
「いやいやおかしいでしょっ!? 明らかに別人ですよコレっ!?」
「そうだそうだ! いやまったくあたしからしたら共感できないけどさ。アンタ話盛ってんじゃないの?」
昇進試験初日も終わり、明日に備えてライバルと親交を深めるのも悪くないかと思いやってきた夕食会。何か面白い話と無茶ぶりを振られたので少し昔話などしてみたのですが。
我がライバルネルさんとその従僕ピーターさんが、口々に怪しんでいる。これは心外ですわ。
「今の話だともろに悲劇のヒロインって感じだったじゃないですかっ!? いくら何でも変わりすぎでしょっ!? 一瞬でもときめいちゃった僕の純情を返してくだ……アウチッ!?」
「勝手にときめいてんじゃないわよピーターのくせにっ! ……そうよ! ホントかどうかそこのメイドさんに聞けば良いのよ! で……どうなの?」
「……残念ながら、本当の事でございます」
ネルさんの問いかけに、アイビーったら額に手を当てて心底残念そうに返す。そんな顔をしなくてもいいじゃないですの?
「それ以来お嬢様ときたらすっかり本に影響を受け、今ではこのように何事にもポジティブかつアグレッシブになりすぎてしまいまして。何故か髪型まで縦ロールですし、時々昔の落ち着いたお嬢様に戻ってくれまいかと夢想してしまいます。およよ」
「下手な泣き真似はおやめなさいな。それを言うならアイビーもですわ。昔はどこかおどおどした小動物チックな子でしたのに、今では慇懃無礼な性格になってしまって」
「お嬢様に付き合って数年もすれば性格の一つや二つ変わります。まあお嬢様ならあの本に出会わなくともいずれ立ち直ってはいたでしょうが、あの本を贈ってしまったのは私。なのでこうして悪の組織だろうが世界の果てだろうが最後まで付き従う所存ですが」
すっとウソ泣きをやめてきりっとした態度でそう言い放つアイビー。相変わらずそういう所は重たいですわ。
「う~ん。私が初めて出会ったときはもうハニーは今の感じだったからねぇ。その頃の姿も是非見てみたいものだよ」
コクコク。
いつの間にか夕食会に混じっていたレイに、黙々と配膳していたビオラが頷く。確かに二人と会ったのはもう少し先でしたわね。
「それよりハニー。どうせなら今度は私とハニーの馴れ初めでも語ってはくれないかい? やはり君の口から語られると背筋がこうゾクゾクとハグッ!?」
「レイは黙ってビーフシチューでも食べてなさいな」
私は咄嗟に自分のスプーンを使ってレイの口を塞ぐ。
ああ。こんなに穏やかな日々も久しぶりですわね。
「お代わりですわっ!」
「あっ!? ガーベラ食べ過ぎっ!?」
「ケン様の作るビーフシチューが美味しすぎるのがいけないのですわっ! オ~ッホッホッホっ!」
こうして私、ガーベラ・グリーンは今日も名前の通り、高らかに輝かしく希望を胸に笑うのですわ!
オリーブお母さま。見ていらっしゃいますか? 私、今も笑えていますわ!
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