ネル 黄色いアレに泣かされる
◇◆◇◆◇◆
「おや。珍しいですな」
「何がよ」
いつものように研究施設で検査を受けている時、研究者の一人がほんの少しだけ不思議そうに声を上げた。
「普段よりも邪因子の活性率に乱れが見えます。まあどちらかと言えば上向きに乱れているようなので問題はないのですが、何かありましたか?」
「……別に。計器の誤差か何かでしょ」
そう。あたしはいつも通り。
決して……決して昨日あの雑用係とかいうオジサンに良いようにあしらわれた挙句、部屋に連れ込まれて散々説教された事なんか全然、ぜ~んぜん気にしてなんかいないっ!
「今またもや一瞬大きく乱れたのですが」
「気のせいよっ!」
嘘だ。正直あれからずっと胸の奥でモヤモヤとイライラが残り続けている。だけど幹部候補生のあたしが、近い将来幹部になろうっていうあたしがそんなちっさい事でイラついているなんて言える筈もない。なので、
「では両者構えて……始めっ!」
ズガァンっ!
訓練場に鈍く重い音が響き渡る。その音の出所はあたし。正確に言うと、あたしが対戦相手をぶん殴って床に叩き伏せた音だ。
「……そ、それまでっ! 勝者ネル・プロティ」
「おいおい……マジかよ」
「いつもなら散々対戦相手を揶揄ってからやっと攻撃に出るネルが」
「訓練終了最速記録じゃね?」
審判が驚いているけどどうでも良い。周りの奴らもこそこそ陰口を叩いているようだけど知ったこっちゃない。
「終わりだよね? 終わったよねっ!? じゃああたしは行くから。さよならっ!」
あたしはさっさと訓練を終えて身支度を整え、そのまま自室に駆け込んで準備する。机の上に広げるのは各支部のゲートの時間表。今から行けば十分間に合う。今回は前回みたいに時間切れで無理やり送り帰らされるなんてヘマはしない。
この胸のイライラとモヤモヤを晴らす為、あのオジサンに意地でもあたしの事を認めさせてやる。前回は何が何だか分からない内に説教されて終わったけど、今回はそうはいかない。
……おっと。行く前に栄養補給をしておかないと。
あたしは引き出しから瓶に入った数種類の錠剤を取り出し、水と一緒に飲み下す。……よし。
さあ見ててねオジサン。あたしを舐めた事を後悔させてあげるんだから。
「雑用係? ああ。それならケンの事だな」
あたしは早速行動を開始した。まずこういう事は敵を知るのが大事。そもそも
なのでジン支部長にこの支部の雑用係という男について尋ねたのだ。渋るかと思ったが、意外にあっさりと教えてくれた。
それによると、どうやらあのオジサンはケン・タチバナという名前らしく、自称雑用係としてもう大分長くこの支部に勤めている古株らしい。いつ頃から居るかは教えてくれなかったけど。
雑用係とは要するに何でも屋だという。支部の様々な業務に精通し、時折急な用事で人手が足らなくなった部署に赴いてサポートする。その為決まった業務というのが無く、広く浅く支部中の者と顔見知りだとか。
じゃあ今の時間はどこに居るのかと尋ねてみると、
「醤油ラーメン一つっ! メンママシマシでっ!」
「こっちはチャーハン二つ! あっ! 片方は大盛ね!」
「お~い! 日替わり定食まだ?」
「あいよっ! ちょっと待ってな!」
今日は厨房の手伝いのようで、さっきからとんでもない速さで調理している。そこらの戦闘員よりよっぽど早いその身のこなしと手際の良さ。邪因子は低いくせして結構やる。だけど、
「食事……か」
あたしはほとんど食堂に行くことは無い。栄養補給は一日に水と錠剤を少し飲めば終わるし、なんなら数日間飲まず食わずでもそこまで影響はない。
今咥えているキャンディーは数少ない嗜好品の一つだ。小さい頃お父様におねだりして貰ったお菓子。それそのものではないけれど、今でも時々研究員を通してお父様から贈られてくるので毎日のように舐めている。
だから食事というのはあまり必要ないし、最後にちゃんと食べたのもいつだったか覚えていない。
なのでこうして食堂に来た事も、受付の前に皆で列を成して食事を貰っていくのもほとんど見た事なかった。……ひとまずこうして列に並んでいればオジサンの所に辿り着くのだろうか?
「ようやく見つけたよオジサン!」
「んっ!?」
列に並んで待つこと暫く、ようやくあたしの番が回ってきたので厨房の中のオジサンに声をかける。
「……なんだこの前のクソガキか」
「覚えていたんだね。そう。オジサンに部屋に連れ込まれて散々
覚えていてもらわないと困る。こっちは丸一日オジサンの事ばかり考えていたというのに。だけどここは余裕そうにニヤリと笑う。
「まだ幹部候補生なんてこと言ってんのか。人騒がせな奴だ。あと人聞きが悪いな。あれは部屋に連れ込んで説教しただけだ」
「そう。大人として説教してやる~って部屋に連れ込まれて、こんな小さな子を分からせようとあ~んな事やこ~んな事を」
「だから誤解を招くような言い方を止めろってのっ!」
ふふっ! 焦ってる焦ってる!
今この場で邪因子を解放して、周囲の奴らごとあたしが将来の幹部だって認めさせる事は簡単だ。だけど、それじゃあこの前の屈辱は晴れない。オジサンにはあたしの気が済むようなもっと辛い仕打ちをプレゼントしてあげないと。
あたしの言葉に周囲の奴らがざわめきだす。そう。このオジサンはこんな可愛らしい子を無理やり部屋に連れ込むような人なんだよ! 予定通り予定通り!
そして慌てて早く追い払おうとあたしに注文を聞いてくるオジサンだけど、考えてみれば特に食べたいものはない。さっき栄養補給は済ませたし。
仕方ないから列をズレて、他の客が終わるまで待つことに。今日はしっかりゲートの時間に余裕を持ってきたから、多少待っても問題はない。……それにしても、
「色々あるのね」
そう小さくポツリと声が漏れる。
客は皆出来た料理を持って行って美味しそうに食べているのだけど、どれも様々な種類があって面白い。見てる分にも少しは暇潰しになる。……っと、キャンディーを舐め切ってしまった。ぷっと吐き出して次のを取り出そうと手を伸ばし、
「……!? こら! そこのクソガキ! 床にごみを捨てんじゃないっ!」
オジサンに目ざとく見つかって叱られた。このくらい良いじゃんと思ったけど、そのすぐ後にオジサンから差し出された物を見て目を丸くする。
卵焼き。名前だけは知っていたけど。
「さっき客に出した分の余りで作った奴だ。そんなキャンディーばっかじゃ腹が減るぞ。俺に用があるならそんなとこに居るんじゃなくて、席でそれでも食って待ってろ」
別に要らないから突っ返そうと思ったけど、考えてみたらこれはチャンスだ。わざといちゃもんを付けて騒ぎを大きくし、オジサンにあたしの目の前で頭を下げさせてやる。そうすれば少しはスッキリするだろう。
そうと決まれば早速食べてみよう。あたしは空いている席に着き、備え付けのフォークを取り出して一つ卵焼きを取る。
「まああんなオジサンの料理なんて大したことないだろうけど、文句を言うにしても一つくらいは食べないとね」
あたしは卵焼きを口に運んだ。
「…………えっ!?」
気が付けば、皿は空になっていた。
誰かに盗られた? いや、微かに口の中に残る美味しさという珍しい感情と、口元についた卵焼きの欠片がそれを否定する。
自分でも気が付かない内に、文句をつける間もなく、
「……う~っ」
あたしは涙を流していた。計画が失敗したから
悔しい。でもそれ以上に腹が立つ。
見ればもうすぐ受付に並ぶ列は途切れるだろう。そうすればオジサンにあたしの実力を分からせる時がやってくる。ただ、
「……帰ろう」
今もイライラとモヤモヤは消えていないけど、お腹から感じるこの温かさとなんとなく覚えるこの敗北感の中ではなんかそんな気が無くなった。
オジサンを分からせるのはまた今度にしよう。ただ、書置きくらいは残しておかないと。
「なんであんな事書いちゃったかな」
栄養という意味ではもう補給は十分なので食べる必要のない物。それなのに、また食べたいと思ってしまったのは……何故なんだろうか?
あたしは今飲み下した錠剤入りの瓶を適当に引き出しに放り込み、そのままベッドに横たわる。
「お父様と……また一緒に食事したいな」
そういえば、最後にお父様と食事したのはいつだっけ? もう思い出せないや。
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