ネル 雑用係に説教される

「あ~やだやだ。どうしてあたしが支部の視察なんか」


 自室で準備をしながら、明らかにつまらない仕事についそんな愚痴が口を突いて出る。


 幹部候補生の訓練は多岐に渡るけど、その内の一つに支部を実際に見て回るというのがある。幹部級になると支部長として支部を任されることも多く、候補生の内にそういった業務に慣れておけという事だろう。


「しかもここ……第9支部って辺境も辺境、ド辺境じゃん! ここじゃ箔付けにもならないよ」


 あたしは支部の参考資料を机の上に放り出す。


 もう既に支部の総数が百を超える中、一桁台というのは本当に最初期に造られたものだ。とっくにその地域、さらに挙げればの侵略はほぼ終わっている。


 今では純粋に拠点維持や、何らかの生産施設の稼働の為に残っているだけのものだ。そんな所なので当然功績等も挙げようがなく、本部に近い重要拠点や今なお侵略中の前線とは違いいわば左遷地に近い。


 そんな所に行けと言われてもやる気が出る筈もなく、あたしはなげやりな気分でベッドにダイブした。だけど、


「う~。これも幹部になる為。そしてお父様の役に立つ為。……よしっ!」


 イヤイヤな気分を無理に引き上げながら、あたしは愛用のキャンディーをまた口に咥えた。





「ようこそ第9支部へ。支部長のジンだ」

「よろしく……お願いします」


 着いたあたしが一応挨拶に行ったそこの支部長は、なんとなく岩みたいな印象を受ける人だった。こんな辺境の支部長だから大した奴じゃないと思っていたけど、そこらの戦闘員とは明らかに一線を画す迫力がある。……まあお父様には当然及ばないけどね。


「まあそう固くなるな。あくまで視察。資料で多少は知っていると思うが、好きに見ていくと良い。付き添いは必要か?」

「いえ。こっちも勝手に見て回りますから。失礼します」


 あたしは一礼をしてさっさと部屋を出る。実際視察と言ってもそんなにやる事は無い。最低限見たという事実さえあれば終わる簡単な実習なのだ。


 各部署のトップには既に話が行っていて、それぞれに足を運んで少し業務を見せてもらうだけで達成となる。


 医務室なんか何故か煙草の煙が漂っていたから、担当医と一言話して一歩部屋に入ったらすぐ出てってやった。あんなとこ二度と行かない。


 割と興味があって、一番長く居たのは兵器課。何故か一部の品だけ本部の兵器課と遜色ない……というより寧ろ本部より凄いんじゃないかって物が置かれていて少し気になったから。どれも戦闘用というより日常向けの道具ばかりだったけど。


 という感じで大体見て回ってさて帰ろうとしたけれど、


「はぁ~。なんでこんなにゲートの数が少ないのっ!?」


 あたしは辺境の交通の便の悪さを甘く見ていた。ここと本部のゲートは平均一日三往復。日によっては一日一往復しかない時もある程だ。他の支部は少なくとも一日五往復はするのに。


 次の帰りのゲートが開くのはまだ先だ。支部の大まかな所は大体見たし、あとはどこで時間を潰せば良いのか。さっき証明用の書類を提出したから今さら支部長の所にもう一度顔を出すのも体裁が悪いし、もうこうなったら誰彼構わず喧嘩でも吹っ掛けてやろうか。そんな時、


「……ん~♪」

「あれは……」


 偶々通路の少し先に、鼻歌を歌いながらモップで床を擦っている男が見えた。


 少し茶色がかった黒髪の、ちょっと無精髭の生えた大柄なオジサン。青い上下の作業服を身に着け、時折横に置かれたバケツにモップを漬けて洗いながら、リズム良く床を磨く。それはどこか踊っているようにも見えて、僅かにだけど目を奪われた。


 大した邪因子も感じないし、こんな所を一人掃除しているって事は多分下っ端だろう。そのまま少し観察をしていると、


「ん~……んっ!? 誰だこんなとこにガムを捨てた奴はっ!?」


 男は通路の一部にへばりついたガムを発見し、ヘラのような物を取り出してガムを剥がしに駆け寄った。さっきまでのモップとバケツはわざわざ邪魔にならないよう壁際に避けて。それを見て、


「……クスクス。おっといけな~い!」


 あたしは何の気もなく近づき、置かれていたバケツを蹴り飛ばした。バシャンと周りに少し黒ずんだ水が拡がる。


 そう。これはただの暇潰し。あまりにつまらない事ばかりな上に、ゲートすらまともに通っていない辺境の支部へのちょっとしたイタズラ。


「あっ!? おいっ!? 何すんだそこのクソガキっ!? あ~もうまたやり直しかよ」


 どうにかガムを削ぎ取った男が、音を聞きつけて慌てて戻ってくる。この状況を見れば犯人は一目瞭然。男はあたしに声を上げながらも、腰の袋から雑巾を取り出して床の水を拭き始める。そこへ、


「ゴメンオジサ~ン! うっかり足が当たっちゃって……いけない今度は手が」

「何? 痛っ!?」


 あたしは上辺だけ謝りながら手を伸ばし、立てかけてあったモップを倒す。モップは倒れながらオジサンの頭に当たり、そのまま床にカランと転がった。


「お~の~れ~このクソガキ~!」

「クスクス。いや~ん。怖~い!」


 片手に雑巾を持ったまま、男はもう片方の手で頭を擦りつつこっちに詰め寄ってくる。あたしは怖がっているフリをしながらからかう様にニヤッと笑う。


「良い齢したオジサンが、こ~んな小さな子に詰め寄るなんて恥ずかしくないの? や~い! 変質者! ロリコンオジサ~ン!」

「この……大人を舐め腐りやがって、素直に謝れば許してやろうと思ったがもう許さんっ! 来いっ! どこのクソガキか知らんがみっちり説教してやるっ!」


 男は顔を真っ赤にしてこちらに手を伸ばす。その瞬間、


「……幹部候補生」

「何?」

「言わなかったっけ? あたし本部からこの支部を視察に来た幹部候補生なの」


 手を止めた男に対し、あたしはわざと大げさににっこり笑ってみせる。


「オジサン大した邪因子もなさそうだし明らかに下っ端だよね。良いのかなぁ? あたしみたいな人に手を出して」


 そう。一般の戦闘員なり研究員なりと幹部候補生では相当な差がある。実力も、地位も。


 やろうと思えば今この瞬間、この男をズタボロのボロ雑巾みたいにして持っている雑巾の代わりに床を拭かせる事だって出来る。そうしないのはあくまでこれは暇潰しだから。


 男はふるふると顔を伏せて震えている。自分が詰め寄ったのがはっきりと自分より格上なのが分かったのだろう。


 あとはその引き攣った顔でも見れば、少しは暇潰しに……いや、気晴らしになるかもしれない。まあこういう事をして気が晴れるのはその時だけで、すぐにまたつまらなくなるのだけど。


 あたしはそっと近づいて男の顔を見ようとして、


 ペシッ!


「痛っ!? ……って、えっ!?」


 男にチョップされた。一瞬訳も分からず呆然として、そのまま片手で頭を押さえる。


「な、何を……今の話聞いてなかったの? あたし幹部候補生だよ」

「バカ野郎。よく考えてみたらお前みたいなクソガキが幹部候補生な訳あるか。吐くならもっと上手いウソを吐け」


 男はフンっと鼻を鳴らし、そのままガシッとあたしの服の襟を掴んで持ち上げた。こ、このあたしをネコか何かみたいにっ!?


「だ~から、あたしはホントに幹部候補生なんだってばっ!」

「まだ言うかこの野郎。……良いだろう。それも踏まえて大人としてみっちり説教してやるから覚悟しろっ!」

「ちょっ!? あんた何様のつもり?」

「ただのだ。下っ端だがクソガキに説教する分には十分だろ」





 その後部屋に連れ込まれて、こちらの話も聞かずにゲートの時間ギリギリまでメチャクチャ説教されてから送り帰された。


 何なのあのオジサン腹立つっ!

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