第4章.安田探偵事務所にて(1925年9月27日9:30)

神保町にあった安田の家を見つけるのは大して手間はかからなかった。葬儀はすでに終わり、家には安田の妻と8歳の子供1人がいるばかりであった。忍と宮が訪問した時には小さな仏壇に位牌が残されているのみであった。二人は家を訪ねると名刺を差し出した後、位牌に線香をあげ、手を合わせた。

「この度はご愁傷様です」

「いえ、いろいろとお気遣い頂いて、恐縮です。あの失礼ですが、主人とはお仕事のお付き合いがあったとのことですがどのようなお仕事だったのでしょうか。探偵なんて仕事はなかなか世間では認知されておりませんし、主人も仕事の事は家では話をしないものでしたので、私自身も知らないことが多くて。なにぶん不規則な生活をしていたもので倒れてから初めて知ることが多くて…。恥ずかしながら私自身、主人の事を何も知らないのです」

「いえ、夫婦といっても、そういうことも珍しくないと思います。私の仕事は雑誌記者というものでして、ご主人には何度か情報を提供していただいたり、調査の補佐をしていただいたりしていました。私どもの小さな出版社なのでご存じないとは思いますが。なにぶん職業柄、情報収集の協力者は多いもので、なかなか忙しく対応が後手に回ってしまうことも多いのです。この度の訃報もつい昨日知ったばかりでした。ご挨拶が遅れてしまいましたことは痛恨の極みです。昨今の探偵小説の流行からか探偵という職業が誤解されて広まっていますが、ご主人の仕事は迅速で信頼がおけるものでした。誠実な仕事をしておられたと思っております。その為、今回の訃報は私どもにとっても手痛いものでした」

忍は宮の口から出る出鱈目に冷や汗を流した。方便とはいえ、ペラペラと嘘が出てくることに驚きと同時に冷や汗が流れた。一通りの話が済むと宮は話を切り出した。

「ご主人は私どもの雑誌社以外にも仕事をしておられていたと思います。その中で千家男爵家のお仕事があったと思いますが、それについてご主人は何かおっしゃっていませんでしたでしょうか」

「千家男爵家ですか、そういえば3年前くらいでしょうか、千家男爵家から仕事を受けたことを話していた事を思い出しました。主人は家庭では仕事の話はしない人間でしたが、その時は例外でした。華族様の専属の仕事を得たとかいって大変喜んでおりました。探偵という商売は非常に不安定で、収入の不安はいつも感じていたところなので、そういったしっかりとしたパトロンが就くということは非常にありがたいことでした。ただ内容に関してはさすがに話しておりませんでしたが」

「そうでしたか…、何か記録などは残っていないでしょうか。正直に話してしまえば、私どもも千家男爵家とは仕事上のお付き合いもありまして、千家男爵家の不利益になるようなことが残っていますと具合が悪いものでして。いえ、違法なことはありません。ですが大衆受けを狙って華族の不祥事を探して、面白おかしく書き立てる記者もいますのでして、そういったものがないか確認させていただきたく伺った次第です」

「そうでしたか。主人は主に書斎と仕事用の事務所で仕事をしていたので、そういったものはそちらにあると思います。葬儀が行われたのがつい先日なので私どもも片付ける気力もわかず、そのままにしてあります」

「失礼を承知でお願いしたいのですが、書斎と事務所を調べさせて頂いてもよろしいでしょうか。もちろん、これまでの未払いだった報酬をお渡しいたします。もしこの調査で有益なものがあれば内容に応じて報酬をお支払いいたします」

そう告げると宮は封筒を差し出した。忍は思わず封筒の厚さを考えて中に入っているだろう現金の額を想像してしまった。一家の主人を失ったのである。この母子もこれから大変だろう。そういった同情も入っているだろうが、それを勘案してもそんな大金をポンと出せる鷹司家の金銭感覚には驚かされる。毎度お嬢さんの行動には驚かされるが、お嬢さんにとっては大した問題ではないのだろう。この娘にとって調査も道楽の1つでしかないのだろうし、忍の金銭感覚で言う大金ははした金なのだろう。流石は高等遊民である。そんな人間に振り回されることを密かに嘆いた。安田の妻は封筒に驚きながらも受け取った。

「ありがとうございます。ここはご厚意に甘えることにいたします。何分余裕がないものでして、事務所と書斎はこちらになります」

そういうと家の中を案内された。書斎と事務所はつながっており、打ち合わせの時には事務所を、書き物をするときは書斎を使っていたようだ。

「では失礼して、拝見させていただきます」

早速、宮は手短な椅子の上にある書類の束を脇にどけて座り、書類の束に目を通し始めた。忍は安田の妻に時間がかかりますので、お構いなくといって人払いをした。そして事務所を調べ始めた。

 事務所の内部は散らかっており、宮は手短な書類を片っ端から目を通すようなので忍は書類の仕分けを始めた。探偵という職業をよく知らなかったので、書類を仕分けてみるのはなかなかに興味深かった。仕事の内容といえば素行調査や身元確認等が多かった。他には迷い猫探しや人探し、企業の信用調査、企業向けの業界教育講座開催など多岐にわたっていた。探偵というより便利屋という印象を受けた。浮気調査などの報告書はなかなか面白く、ついつい読み込んでしまった。その度に忍は宮から小突かれた。

 夫人の言う通り約3年前から千家男爵家の仕事が入るようになったようであった。内容は多岐にわたったが基本的には千家昭三が依頼した内容に見えた。多くは昭三の元を訪れた人間の調査である。学歴や経歴、研究内容の裏付けであった。多くの人間はやはり詐欺師や手品師で研究内容や超能力、魔術の実践などを謳いながら金をせしめようとする人間であった。そんな中でも「合格」した人間を見つけることができたが、その中には「佐々木 蔵央」の名前もあった。本人が言っていた通り、安田探偵は何度か佐々木の元を訪れ彼の主張する魔術を検証していたようだ。科学者や手品師等と共に不審な点がないがないか調べたようだが、結局見つからず、「合格」の評価を下していた。ただ魔術や超能力が使えると主張する関係者のほとんどが不合格であった。やはり千家昭三の目は厳しく「合格」した人間は片手で数えられるだけであった。

 とりあえず忍は次の報告書に目を通し始めた。「秋口 春」という人間の調査だった。父の名は「秋口 望」、母親は「西田 知子」とあった。依頼を受けたのは2年前で約半年で安田探偵は見つけ出している。震災の混乱の中で良く見つけることができたものだ。秋口春は千葉の小さな農村で生活していた。調査した年の数え年で15歳、現在なら17歳になっている。秋口家は医者をやって生計を立てていた。年齢を考えれば、恐らく佐々木蔵央が言っていた「秋口 光」の孫だろう。安田探偵もそう考えたらしく、戸籍をさかのぼって調べたようだ。そして実際に「秋口 光」の名前が見つかった。秋口光は「御手洗 祥子」という女性と結婚しており、その子供が「秋口 望」であった。   

秋口光、御手洗祥子がどのように出会ったかはわからなかったが、報告書に添付された写真で大体の関係は察せられた。佐々木蔵央が見たといっていた男女3人が写った写真と同じものと思われる写真が出てきたのである。3人の関係は恐らく友人同士ということだけではないだろう。忍にはそれが恋愛関係のように思えた。千家昭三と秋口光のどちらが御手洗祥子の恋人だったかは分からないが、場合によっては三角関係だったなんてこともあり得るだろう。

ふと宮に目をやると書類に没頭しているようなので忍は一人で書類を読み進めた。その様な中で「合格」した人間ではなかったが注目に値する人間があった。「為末 雄大」という人間だった。走り書きで「過去に能力が使えた模様、現在は能力なし、研究者、福来博士」と書かれていた。走り書きの最後には「陸軍の関与があったと思われる」と記述され終わっている。この「為末 雄大」という人間は人探しの結果見つかったのではなく、千家昭三から直接近況を探るように調査を要請されたようだ。忍は報告書で千家昭三の依頼のものを読み始めた。報告書は複数件あったが為末雄大に関する報告書を探して読み始めた。安藤探偵が最初に調査したのは「為末 園子」という女性で、先ほどの「為末 雄大」の母親だったようだ。為末園子は過去に千家家の経営する会社で働いていたらしく、30年前に退職しており、それっきり千家家とは縁が切れているようだった。だが千家昭三からは「為末 雄大」が先代の子供の可能性があると示唆されていた。為末園子は千家昭三の父親である「千家 康真」の愛人であったのである。ただ出産した時期が微妙で確実に血の繋がりがあるとは断言できなかったようだ。為末園子は千家康真と別れた後にすぐに他の男を作り生活していた。その男が父親である可能性もある。

報告書は現在の近況を報告するものに留まり、後は安田探偵の独自の調査になっているようであった。報告書ではないが調査資料が添付されているようであった。「為末 園子」は千家昭三の証言通り、「千家 康真」と男女関係であったようだ。警察資料にはなかった名前なので後継者争いには巻き込まれてはいないのだろう。二人の関係は秘密裏なものであったのだろうか。男女関係にあり、千家康真の血筋を引いているとすると為末雄大は千家昭三とは異母兄弟という事になる。警察資料の書付では千家康真は派手に女遊びをやっていたが、その関係が終わるときはそれなりの手切れ金を渡して円満に終わらせている。本妻の子以外にも2人、妾に産ませた子供がいたはずだ。警察資料にはそこまでしか書いていなかった。つまり為末雄大は警察の捜査から漏れていた後継者候補とも考えられる。後継者争いに名前が出ていないので見逃されていたが、こうなると他にも隠し子が存在する可能性はあるだろう。

だが千家康真はすでに死亡しており、千家昭三が家督を相続している。今更、後継者候補が名乗り出たところで意味はない。千家晃は気にするかもしれないだろうが、本業を上手く取り仕切っているのは晃であり、すでに家督を継いでいる。大事にはならないだろう。すべてはとっくに過去の事になっているのである。また報告書にあった能力とは何のことだろう。報告書では為末雄大は現在30歳になっており、手堅い経営で有名な銀行の勤め人ということになっている。能力は「過去」には使えたが現在は使えないとある。これは「狙った人間を重度の脚気にかける」という能力の事を指しているのだろうか。報告書にあった「研究者 福来 諭吉」という人間がその能力を研究していたように思える。気になって書斎の書類を探してみるとすぐに見つかった。「福来 諭吉」は現在のところ東京帝国大学にて物理学を研究している人間のようだ。とはいっても研究内容は超能力だの霊能力などを実証すると宣い、意味不明な研究をしているようだ。はっきり言ってしまえばイロモノだ。大学はそんな人間に研究室を与え、給料を出しているのだから世の中分からない。走り書きにあった陸軍の関与とは何だろうか。もし福来諭吉の研究が何かしらの実利的な結果を出しているのなら、パトロンがついてもおかしくないだろう。それが陸軍だったということなのだろうか。だとすると調査は格段に難しくなる。

 書類の中には15年前に東京帝国大学内で実施された公開実験の報告書があった。参加した研究者たちの所感などが書かれていたが、否定的なものが多かった。もっとも観察された事象を科学的に論破できるものはなかった。為末雄大と福来友吉の調査の必要があるだろう。

 忍は安田夫人から差し入れられた茶を飲むと次の資料に目を通し始めた。残った報告書は千家康真と交流のあった女性の調査が殆どだった。千家康真と交際のあった女性はやはり手切れ金をもらって新しい生活を始めているようだ。結婚した者、独身の者、商売を始めた者と様々であったが、全部で12人であった。報告書では特に出産について調べているようであった。結婚したものが多かったが千家康真との交際期間から考えて千家康真との血縁関係がある子供はいないとの結論を下していた。もちろん千家康真が死亡した後に2人ほど「後継者」として担ぎ出された子供がいたわけだが、交際期間を考えれば血筋という点では恐らく康真の血は引いてないように思える。

これまでの報告書を読んで忍には千家昭三が千家男爵家の血筋に執着しているように見えた。千家康真は女好きであったから調査は多岐に、そして長期間にわたっていたようだ。関係があった女性をすべて追い切れていたかは分からないが、調査した結果では千家昭三以外に千家康真の血を引いている可能性がある人間は「為末 雄大」以外には存在しないようだった。千家昭三にとっては康真の血を引いている人間を探すのは自然ではあったと考えられなくはないが、安田探偵に調査を依頼したのは3年前からであり、今更調べても意味はないのではないだろうか。というよりも千家康真の後継者を探しているのではなく千家男爵家の一族の血を引く人間を探しているようであった。

結果からみれば血を引いている可能性がある人間は千家昭三と為末雄大以外は存在しないことが判明したわけだが、逆に「千家 晃」は本当のところ千家家の血を引いていないのではないかという疑念が湧いた。為末雄大の件はあるものの、千家晃が千家昭三の血を引いてなければ千家家男爵家の直系の血は途絶えることになるのではないか。千家昭三は独身であり、千家晃以外に身内はいない。そして千家晃は千家昭三が自分の子であると急に宣言して作った後継者である。千家晃は事業も順調に経営しているし、後継者としては申し分ない。千家晃の代になってからは無茶な拡大路線の経営を行っておらず、手堅い経営になっている。同業他社の買収や異業種への参入などはしていない。それは康真と昭三の経営時代に起こった拡大の切欠、有力者の不自然な病死、つまりは脚気による病死という事は発生していない。馬鹿げた発想だが千家昭三は千家男爵家の血を絶やそうとしているのではないか。そんな印象を受けた。

 次に考えたのは「秋口 春」の事だった。報告書に添付された写真を見る限り、女性は「御手洗 祥子」ではないだろうかと思った。この写真は3人の人物「千家 昭三」「秋口 光」「御手洗 祥子」の三人の若かりし頃を映しているのだろう。千家昭三は生涯独身を貫いた人間なので、必然的に「秋口 光」「御手洗 祥子」の二人が恋人同士であり、昭三はその友人だったのではないだろうか。事実、秋口と御手洗は結婚している。安田の追加調査の報告書を探し出し、読み始めた。やはり秋口光は東京帝国大学の医学部に在籍していた。入学年度は昭三と同じ年であり、二人は同級生だったのだ。秋口光は東京の下町出身で、両親は内科医院を経営していたようだ。光も勉学に秀でており、自然と医療従事者になることを意識し始め、医学部へと進学したようだ。医学部を卒業すると同時に医師免許を取得し医者となったわけだが、研究医を目指すわけではなく、かといって実家の内科医院を継ぐわけでもなく、千葉の片田舎で小さな病院を始め開業医となっている。実家は光の弟が医者となって継いだようだが、なぜ千葉で開業医になったかは判らなかった。

また大学を卒業すると同時に「御手洗 祥子」と結婚している。そして逃げるように東京を去ったように感じられた。そしてほぼ同時期に御手洗祥子は息子「秋口 望」を出産している。忍の手はここで止まった。その後は平穏な時期が過ぎる。医者というのはどこに行っても重宝される存在だったようで経営した病院はそれなりに上手くいったようだ。

しかし日露戦争が始まると状況が一変する。どうやら周囲の有力者から軍に協力するように強く請われ従軍医として日露戦争に従軍した。秋口光の調査ができたのはここまでのようで、その後、戦死したとの知らせが届いただけであった。死因もはっきりとはわからず、どのような最期だったのかは判らなかった。

 主人を亡くした祥子はその後、苦労したようだが一人息子の望を育て上げた。望も父親と同じく医者の道を進み、病院を引き継ぐと結婚し、娘である「秋口 春」をもうけた。だがここでまたしても秋口家を災難が襲う。関東大震災である。秋口望、妻の知子、そして秋口祥子の3人は倒壊した自宅で死亡しているところを発見された。その後、春は親戚の家に身を寄せることになり、調査の段階では千葉の農村で生活しているとされていた。

 報告書を読み終えた忍は写真の3人はやはり三角関係だったのではという印象を持った。恐らくは最初に恋愛関係にあったのは千家昭三と御手洗祥子であり、どういう心変わりがあったかは判らないが御手洗祥子は秋口光を選び、卒業と同時に駆け落ちのような形で千葉へ逃げたのではないだろうか。恐らくは結婚以前から性交渉があった為、結婚と同時に出産するような形になったのだろう。問題なのは父親が千家昭三なのか秋口光なのかが判らなかった事だ。千家昭三は千家家の血脈に関心を寄せていた。こうなると秋口望、秋口春も千家家の血を引いている可能性が否定できない。

考えをまとめようとしていると、宮が資料から目を離し、茶をすすっているのが目に入った。

「お嬢さんは何か見つかりましたか」

「それなりにね。忍、奥様に資料を持ち出しの許可をもらってきて。全部読むのはかなり時間がかかるわ。ここで調べるのは無理よ」

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