ノラネコ・ネクロミック!

チモ吉

第1話 野良ネクロマンサー①

 時刻は午後6時を迎えようかとしている頃合い。春先とはいえ日は既に傾き、空を紅葉色に染め始めている。

 既に生徒の多くが去り人気の無くなった校舎の一角、40ほどの机と椅子が並べられた一年生の教室には人影が2つ。


 2人は十代半ばの少年少女だ。美男美女と言っても差し支えないほどの外見は窓から差し込む夕日に照らされ、さながら映画のワンシーンのよう。


「……そう。分かりました、もう充分です」


 口を開いたのは少女の方。彼女の名は竜宮院ヒカリ、県立三笠高校2年に在籍する生徒の1人である。この学園で有名人を訪ねれば真っ先に名を上げられる生徒の1人である。

 真っ白な髪に青い瞳。本人曰く白米依存の生粋の日本人らしいのだが、その顔立ちは明らかにモンゴロイドのそれとは異なる西洋じみた造りだ。肌も透き通るように白く、黄色人種の影は欠片も見いだせない。


 きちっと着こまれた制服に変化の乏しい表情、同年齢と比して少しだけ高い背丈もあり大人びた雰囲気を纏う彼女は形の良い唇を開き落胆の息を漏らした。


 対する少年は同校の1年。美容院に行って間もない彼の髪は赤茶けた色に染まっている。背丈は170と少し、少し着崩した制服が二次性徴途中の幼さを残す顔立ちと合わさり良く似合っている。

 外見に相応しく彼は明るく社交的な性分だ。運動神経も入部したサッカー部で活躍が期待されるほど。クラスの盛り上げ役でもある彼は異性からの人気も一入である。

 

 洒脱な男女が放課後に教室で2人っきり。甘酸っぱいロマンスを邪推せざるを得ない舞台だが、彼らの間に漂う雰囲気は青春とも似ても似つかない。


 例えるならそう。異端者と審問官、捕虜と拷問官、『家畜と捕食者』……あるいはその全てであろうか。


「その"右腕の変化"に関しての記憶はなし……それどころか、右手があったことすら憶えていないのですね」


 冷たい表情を少年の右腕に向けながら、ヒカリは独り言ちた。


 彼女の視線の先、暑がり故に上着を脱いで袖を捲っていたため外気に晒された少年の上腕――その先にあるべき前腕が彼にはなかった。


 彼が先天性の肉体的障害を持っていないことは確認済みだ。腕を失ってしまうような事件や事故に巻き込まれた、という話も聞いていない。


 しかしながら――


「――本人を含めて、誰もが腕を失ったことに気を留めていない。いえ、気付いていないのでしょうか」


「…………」


 ヒカリの言葉を受けても少年は反応しない。虚ろな視線を宙へと漂わせるばかり。

 異性への関心が強い高校生だ、普段の彼であれば視線は然るべき部位に動き、経験を生かした巧妙な手管で目の前の年上の美人を口説かないわけがない。


 どうにも様子がおかしい彼であったが、ヒカリはそれに対し気にする素振りも見せない。


「『影森町連続部位欠損事件』、そしてその被害者に共通する『悪魔』との取引。神秘絡みの事件、と判断せざるを得ませんね」


 あまり働きたくはないのですけど。そうため息を吐いた。


 ヒカリの住む影森町ではここ数年に渡り、身体の部位を突然失うという事件が発生している。それが影森町連続部位欠損事件である。


 失われた部位は様々。指、腕、眼球、歯、臓器……心臓や脳といった生命維持に重要な器官を失っている例もあった。しかしどうしてか、被害者が絶命したという話は全くない。


 原因不明のこの事件の奇妙な点は、被害者も周囲の人間も、失った部位に対し関心を持たないことだ。

 

 ほとんどの人が事件に気付いていない。

 気付いた僅かな人々も関心を持たない。


 例外は、ヒカリのような『神秘』に身を置く者たちだけだ。


「もう帰っても構いませんよ、お疲れさまでした」


 一瞬、ヒカリの碧眼が金に輝く。

 と同時に少年の体が小さく跳ね、虚ろだった瞳にゆっくりと輝きが戻っていった。


「あ、あれ……オレは……?」


「ほら、もうこんな時間ですよ。早く部活に向かわなければならないのでしょう?」


 少年の意識が完全に覚醒する前にヒカリは彼の背を押して教室から叩き出す。


 部活の遅刻について、どんな言い訳をするのでしょうか。

 そんなことを考えながらフラフラとした足取りの少年を見送った。十分に彼が離れたことを確認すると、ヒカリは白い髪をかき上げ携帯電話を取り出す。


 彼女の手に握られたそれは、現代日本で最も普及しているスマートフォンではなく折り畳み式の旧時代的な物、いわゆるガラパゴスと呼称される端末だった。

 黒々とした表面には無数の細かい傷跡。

 時代と年季を感じさせる精密機械を拙い手付きで操作したヒカリはそれを耳元に宛がう。


「――首尾はどうだ」


 数回もコール音がしないうちに端末のスピーカーからは低い男の声が聞こえてきた。


「いつも通りです。被害者は欠損した部位に無関心。原因も不明。心当たりがあるとすれば、『悪魔』と最近取引をしたこと……これもいつも通りですが、『悪魔』の詳細は不明ですね。強制的に吐かせましたから嘘はないでしょう」


 普段よりも少し低い声でそう返すと、彼女は机の一つに腰かけ足を組む。


「身近にも被害者が現れたことには驚きましたが、情報源としては他と大差ありませんね。まあ当然でしょうけど」


「そうか」


「それより、そちらの調査はどうなのですか。被害から見てもこれは明らかに『神秘』絡みの事件です。私達の領域でしょう」


 その言葉に電話相手は少しだけ間をおいてから、


「……『悪魔』について分かったことがある」


「あら」


「『悪魔』は都市伝説のような存在だ」


 曰く。

 『悪魔』は依頼者の願いを叶えるよくある都市伝説のようなものである。

 ある日突然、依頼者に『悪魔』から連絡が入る。メール、電話、SNSと、その手段は多種多様。

 どういう訳か『悪魔』は依頼者の願いを知っており、それを叶えてやろうと持ち掛けてくる。その対価として金銭や食料などを要求してくる。

 依頼者が断ればそこで終了、『悪魔』からの連絡は二度と来ない。そして、依頼者が了承すると翌日には願いが叶うそうだ。

 それから一週間ほど経過した後、『悪魔』から再び連絡が入る。「願いは叶えた。指定する場所に対価を捧げろ」


「そこで対価を支払えば悪魔との取引は円満に終わる。だが、支払いを拒否すると」


「……身体の一部を奪われる、という訳ですね」


 なるほど。ヒカリは思った。


「随分と要求する対価が俗物的な悪魔ですね。要求が詐欺師のようです」


「対価が見合うかどうかはともかく願いを叶えている以上詐欺ではないがな」


「そうですね、契約時点で断る自由もあるようですし」


 彼女は携帯を持つ右腕を支えるように腕を組んだ。冬服の上からでも見て取れる女性的ふくらみが左腕の前腕によって強調される。


「それで、調査で分かったことはその都市伝説についてだけなのでしょうか。その程度を調べるのに数年必要なほど、私達は無能だったのでしょうか」


「相変わらず手厳しいな」


 電波の向こう側で男が苦笑する気配が伝わってくる。


「あくまで都市伝説のようなもので都市伝説ではないからな。何らかの神秘によって、この件は関心が持たれにくいようになっている」


 インターネットにも人々の噂話にも上がらない。精々神秘に対する抵抗力を持つ者が違和感を持つ程度だ。

 男はそう続けた。


「恐らく被害者や周囲の態度もこれが原因だろう」


「欺瞞・隠蔽系の神秘……」


「ああ」


「厄介ですか?」


「そうでもないさ。独特ではあるが術式の精度から見て大したことはない。少々耐性があれば影響を受けない些細な神秘だ。おそらく独学の"はぐれ"だろう」


 男の言葉には確信があった。彼は神秘の分析を専門にしている、信用しても良いだろうとヒカリは頷く。


「目的は確保で?」


「そうだな」


「であれば仕方がありませんね。ここからも私の仕事という訳ですか、面倒です」


「土地柄によるただの自然現象ってオチの方が良かったか?」


「もしそうであったならば私にこれ以上労力は掛かりませんね。ですが調査が無駄な手間だったということになるので気分的に最悪です。黒竜教の仕業というのが最高でしたね」


 その場合私の担当ではありませんから。

 今日何度目かのため息を愚痴と共に吐き出す。


「相手は人間ですか?」


「ああ、壊すなよ」


「正気ですか。それは私に無抵抗で交渉に当たれと言っているのと同義です」


「そう言ったつもりだが。確保が目的なのだから当然だろう」


「……はぁ、分かりました。了解ですよ」


 胸に上る感情を飲み下して返事をする。その後少しばかりの確認と連絡を済ませヒカリは携帯電話を閉じた。


「まったく、上司とは言え私を手荒に扱いすぎです。"はぐれ"の人間程度に私をどうにか出来るとは思えませんが」


 しかしまあ、仕方ない。本当に仕方がない、これが仕事なのだ。文明社会に所属する以上、働かなくては生きていくことはできない。


「調査もスカウトも、どちらも私に向いているとは思えないのですが」


 それにしても、とヒカリは独り言ちる。


「この、けーたいでんわ、という物には慣れませんね……機械というのはやはり性に合いません」


 空には既に宵の明星が輝いていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 影森町を一言で表すならば、特徴を表現しにくい町である。

 都会から見れば田舎のようであり、田舎から見れば十分都会である。田園があればビルもある。電車や港はあるがダイヤは都会ほど詰まっていない。気温は日本でも温暖な方ではあるが、夏に猛暑となる日はそれほど多くない。冬は雪が降ることが珍しい。

 特産品や観光名所などは一応存在するが、その存在を知る者は多くない。


 そのような個性の薄い町にも当然ながら、場所ごとに治安の良し悪しがある。

 影森町において港近辺等の海辺は比較的治安が良い。しかし飲み屋やホテルが密集する影森駅近くでは、その様相が一変する。


 煙草の煙にネオンの灯り。時代錯誤じみた活気の良さはバブルの香りを匂わせる。路上のアスファルトには清掃員が管理しようにも明け方になると毎日吐瀉物の池が点在している。

 道を歩けば数分に一度は薄着のお姉さんに話しかけられる。勿論彼女たちに案内される先は金を呑みこむ底なし沼だが、釣られるカモ目カモ科は後を絶たない。


 貪欲な夜の街の片隅。胃の腑からアルコールと消化液の混合物を排水溝にぶちまけるオヤジの背後。

 東雲色の空を仰ぎつつ、薄汚れた路地裏から場所に見合わず小柄な2人組が現れた。


「まったく、なんでこの辺はいつもこんなに臭いんだ。タバコ、ゴミ、ゲロ、ヘドロ。頭か鼻がおかしくなきゃこんな所住めねえだろ」


「…………」


 顔を顰めながら毒を吐くのは前を歩く少年。

 真っ黒な髪に真っ黒な瞳。身の丈は小学校低学年程度。半袖から覗く腕は骨に少しばかり肉が付いた程度と細い。快活そうな顔立ちを今は不満げに歪めている。その口元から覗く八重歯が小生意気な雰囲気を醸し出している。


 彼の名は鬼道カゲル。年齢は体格に見合わない16歳だ。


「あぁ、クソ。眠いな。おい、早く帰るぞ」


 カゲルの背後に付き従うのはこれまた小柄な少女。150㎝に満たない体躯ではあるが、カゲルよりかはほんの少しだけ背丈が高い。宵闇のような色合いの癖っ毛は腰まで届くほど伸びている。まつ毛は長く目元もぱっちりとしていて綺麗というよりは愛らしいと評すべき顔立ちは今は虚無。笑顔があればまた印象は変わるのであろうが、どことなく影の差した表情は見る者に陰気な印象を与えてくる。


 その腕の中には遮光性の茶色いガラスで作られた大きめのビンが抱かれている。歩みに同調するように中からは液体の揺れるチャプチャプとした音が聞こえる。


 酒と煙草の臭気の中を歩く2人だったが、どういう訳か彼らを気にする者はいない。すれ違う人々が避ける様から認識されてはいるようだが、酔っ払いにも不良にも客引きのお姉さんにも一切関心を持たれない。


「おっと」


「――っ、ごめんなさい」


 そんな中、黒い雨合羽を着た人物とカゲルの肉体が接触した。声からして女性だろうか、フードに覆われた頭部はカゲルよりも二回り以上高い位置。汚染された夜街では珍しいふわりとした香りが鼻をくすぐった。

 小汚い道の曲がり角だ。それに時間も時間、視界は不良。不意のアクシデントも仕方ないだろう。


 頭を下げたその人物はカゲルの脇を抜け早足に立ち去ろうとする。


 しかし。


「おい」


「うぐっ!?」


 カゲルの声と同時に彼の背後に付き従っていた少女が動き、合羽の女性を地面に組み伏せた。

 

 いや、それは組み伏せたという表現をするには暴力的過ぎる動きだった。

 ガラス瓶を左手で握りつつ右手で対象の頭部を鷲掴み、そのまま真下へと急降下。面の皮とアスファルトは熱烈なランデブーを達成している。彼ら彼女らの仲人はその細腕に見合わない膂力を持つらしい。


 早い話、思いきり地面に顔面を叩きつけていた。

 その様子を気にかけるような人物は周囲にいない。数人の男女がちらりと目線を寄越してきたが、その眼差しは路傍の石を見るものと同質だ。


 頭部を押さえつけられた彼女を見下ろすように、カゲルは振り返ってしゃがみこむ。


「今、俺に謝ったよな。どうしてだ。何故俺に意識を向けられる?」


「……はぁ、これだからこの手の活動は。まったくやってられませんね」


 彼の言葉に、女はため息と愚痴で答えた。


「ほう?」


 返事を期待していなかったカゲルにとってこの反応は想定外だ。

 共にいる少女の腕っぷしには理解がある。ともすれば絶命、少なくとも言葉が返せる状態ではないと思っていた。なんならちょっとやりすぎではないかと引いてすらいた彼だ。表情にこそ出さないが反応があった事実に驚愕と同時に安堵した。


 視線で顔を向けさせるよう命じると、少女は女の頭を握ったまま腕を上げた。必然、カゲルの視線と女の視線が交差する。


「――――」


 結構な衝撃が加えられたはずのその顔には一切の傷がなかった。しかし、カゲルが言葉を失ったのはそれが要因ではない。


 純白の肌に高く整った鼻梁。大人びた顔立ちは日本人とは異なる遺伝子を感じさせる。こちらを射抜くように見つめる碧い瞳の中心には、爬虫類や猫を思わせる縦長の瞳孔。雨合羽のフードから流れる真っ白な毛髪は頬を優しく撫でている。


「……なんですか。黙っていられると少しばかり不安になるのでやめてほしいのですけど」


 女が口を開くが、それはカゲルの耳に入らない。


「……良い、良いぞっ」


「は?」


「最っ高だっ! 傷つかない異常性! 胆力のある精神性! そして何より!」


 カゲルは女の両頬を手のひらで包むように掴んだ。女の表情が不快さに歪む。


「顔が良い! 歪んだその表情すら美しい!」


「……はぁ?」


「お前が何者かは知らん。だが、お前こそ! きっと俺の物語のヒロインに相応しい!」


 女――竜宮院ヒカリは思った。


 なんだこいつ。仕事とかほっぽり出してこいつを殺して帰りたいなぁ、と。

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