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「水着を買おうよ」
おっとりとした記憶喪失の少女=サナは目を丸くした。唐突な申し出にぽかん、と立ちふさがる2人の友人を見上げた。どちらが言ったんだろう。さっきの数学の授業の余韻で頭がいまいち回っていない。
「ルイちゃん?」
「夏休みだから、水着を買うんだよ。サナも持ってないでしょ」
ボーイッシュなかわいい子=ルイはウキウキテンションだった。
「ツカサちゃん?」
「せっかくの夏休みだし、私たちももう中学生だし、大人っぽい水着が欲しいよねー」
豊満ボデイなかわいい子=ツカサはワクワクテンションだった。
「そうだね。買おうね」
そういうものなんだ。その場を収める笑顔にも、慣れてしまった=そんな自分がなおさら嫌だった。
記憶がなくなって戻る気配は無いのだけれど、元々知っていることと知らないであろうことの区別は分かっていた。
例えば、教室からもチラリと見える東京
夏休みに関しては───知らなかった。長く学校が休みになるということは、知識として分かっていた。でも知らなかった。クラスのみんなは興奮を抑えきれぬ感じに、1ヶ月の休暇を各々思案している。
知らないこと/現実の常識
水着は、すでに持っている。プールの授業で使ったものだ。
プールの授業───知らないこと───で泳ぎというものが全くできず困ったが、水着についてはあれでも問題はない。
あえて2人が水着を買う=つまり、常識として、学校で使うものと同じものではダメなのだろう。
「どんな水着を買うの?」
すかさず、ルイがスマホを操作=google検索の結果を見せてくれた。
「やっぱ、ビキニっしょ。あたしたち、もう中学生なんだし」
「えーでも、布、少なくない?」
もはや下着と変わらないんじゃない? というか同じでしょ。
「小学生ん時みたいな、だっさい水着じゃダメなんだよ。わかる?」
わからない。小学生らしい生活───知らないこと───はモモたちの話から推測するしか無い。
「肌がこんなに出てたら、恥ずかしいかも」
「だいじょーぶだって」おっとり柔和ボイス=ツカサ「サナちゃん、全然太ってないし、こーゆー水着のほうが似合うと思うなー」
そういうものなんだ。
ツカサが水着を着たらどうなるんだろう/2秒ほど思案。着替えのとき、ときどきチラ見した=気になってしょうがないサイズの豊満ボディ。
「私ねー体重が増えちゃって、ビキニが着れるか不安だな―」
んーそれは多分、いま目の前にぶら下がってるのが成長したせいだと思う=もちろん口に出すつもりはない。
「いつ買いに行くの?」
「週末土曜日。夏休み1日目だよ」
「それでねー、市民プールでサナちゃんが泳ぐの練習して、それから海に行こうと思ってるの」
なるほど、夏休みは海で泳ぐ。そういうものなのか。しかし海水浴は知らないことだ。
「おうちの人と一緒に行かなきゃダメなんでしょ」
配られた夏休みのしおりを思い出す=知らないことばかりだったのですっかり覚えてしまった。
「親と一緒かー。それが一番気になってんだよな」
ルイ=頭を抱えた。
「週末なら連れて行ってもらえるかもー」
「そーじゃないんだよ、ツカサ。もうあたしら中学生なんだよ。あたしらだけでもへっちゃらだって。それで、ナンパされて『まだ中学生なんですーキャー』みたいな」
「もう、ルイちゃん考えすぎだって」
バィン、と揺れた豊満ボディをつい見てしまった。ツカサは少なくとも、高校生くらいに見られてしまうかもしれない。
「サナちゃんのとこは、どう?」
「え、お兄さん? どうだろ。決まった休みとか無いみたいだし。でも頼んだら一緒に行ってもらえるかもしれない、かな」
パチン、とルイが指を鳴らした。
「それいいなー。サナのお兄ちゃんと一緒ならなんかこう、若者グループって感じがして」
「でも、小さい子たちも一緒に来ると思うよ」
「ムムム、それは」
「いいじゃなーい。多いほうが楽しいって」
2人はもう、お兄さんに連れて行ってもらうという話になっている。でも先週くらいからみんな、海へ行こうって話してるし、それに乗っかればいけるはず。
チラリ、とルイのスマホ画面を見た。花柄、動物、無地、どれも布より肌色のほうが多いくせにデザインはひとつとして同じじゃない。
「どうやって選べばいいんだろうね。似合うのあるかな」
何気ない言葉/ツカサが膝立ちになってグイっと顔を近づけてくる=何かに触れてしまった?
「サナちゃん、好きな人いる?」
「えっ、あたしは、別に」
恋愛の気持ち───知っていること───だが、すべての人間関係はここ4ヶ月に限ったことだし、分からない。
「えーうそー。ルイちゃんはね4組の大戸君のことがね」
「ちょ、まっ! 今ここで言っちゃダメだって」
「アハハ。でね。水着はね、好きな人に見てもらうために選ぶんだよ」
好きな人。その言葉に正直、ドキリとした。最初に思い浮かんだ顔=お兄さん。でも、それは単に一緒にいる時間が長いだけで恋心というわけではない。
たぶん。
「よく知ってるね」
お茶を濁す=処世術。
「えへへ。えっとね、『LOVE=2メン』で読んだの」
ツカサ=再びのワクワクテンションに。スマホをさっと操作して、
「えへへ、これだよ」
「あっ」
「おいそれを見せちゃまずいだろ!」
サナもルイもそろって固まった=漫画/男の人2人がくんずほぐれつの濡れ場だった/これは知らないこと。ツカサはボーイズラブというジャンルが好きだと言っていた=話し出すと止まらないのであえて話題にはしないようにしていた。
「まちがえちゃった……そうそうこのページだよ。タカシくんがね、シュンくんのことを考えならが水着を選ぶんだよ」
男×2とはいえ、恋心に違いはないのだろう。
私にとって好きな人=お兄さん?
私はお兄さんのことが好きなんだろうか。
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