第1章 第5部 第41話
少し時間は巻き戻る。
焔が蛇草の治療を受けている頃、それぞれの時間がくる。
一人は、煌壮だ。
彼女は一人、自分の部屋のベッドで悶々としていた。幾ら目を閉じて寝ようとしても、まぶたを閉じる度に、焔と鋭児の奥義の打ち合いを思い出してしまうのだ。
それだけではない。
鋭児が磨熊に決めた、鳳襲拳もだ。あの磨熊を跪かせたのである。勿論次の試合など考えない鋭児と、また闘士として戦わなければならない磨熊とは、戦闘スタイルそのものが異なるのだが、それでもあの気迫のこもった一撃一撃が、自分の胸を熱くさせている事の気がつく。
「くそ!くそ!黒野鋭児め!アイツ、絶対ボコボコにしてやる!」
枕を抱き部潰してしまいそうなほど、強く抱え込み、彼女は顔を紅潮させ、ただ歯ぎしりをするのだった。
次に鋭児である。
鋭児は、極限まで力を使い果たしていたため、気を失い今は眠りについてしまっている。側には千霧がついていた。そしてそんな鋭児は、眠りについたまま不知火家を後にする。勿論それは、焔の側に鋭児を置かないための措置であるが、鋭児の側にいる千霧は、その理由を知らされないままだった。
そして鋭児は目を覚ます。目覚めたのは昼過ぎとなる。
深い眠りから覚めた鋭児が、自分が眠っていたことに気がつくまでに、少し時間が掛かる。
酷く頭が重く、体も重たい。目が覚めると同時に指先に絡みつく、自分以外の手がある事に気がつくのだ。ホッソリとした指先だが、その手の感触は自分のよく知っている手だ。
ベッドの横には、椅子に座りながらも、ベッドに伏せて眠っている吹雪がいた。そこには千霧はないようだ。
ただ、自分がどこにいるのかは、全く理解出来ていない。
少なくとも、昨日まで眠っていた寝室とはまるで違う場所であることは、部屋の様子で理解することが出来る。
「ここは……」
見回してみても、何かそれ以上の情報があるわけではない。焔の部屋でも無ければ、自分の部屋でもない。
部屋の空気が静かで、雑音らしい雑音が無い。壁に掛けられている簡素な時計が、チクチクと秒針を刻む音が聞こえるほど、妙に静まりかえっているだけで、それ以外の音が全く感じられないほど、静けさに満ちていた。
時計の音が聞こえているというのに、時間だけが妙に長く感じられてならない。
舞台から降りて、退場口に到着し、千霧に支えられた所までは記憶があるのだが、そこまでだ。舞台から降りるまで気を失うなと言う焔の言葉だけを支えに、気力だけでそこまで辿り点いたのだ。
「焔サン……は」
鋭児は、焔と語るべき事がもっとあったはずだと思ったのだ。
舞台の上では確かに、二人の会話はあった、焔の双龍牙と自分の鳳輪脚がぶつかり、最後には示し合わせたように、頭突きで終わらせる予定が、焔にスカされた事を思い出し、それがずるいと思った自分がいたことも思い出す。
ただ、妙にそれは納得が出来たのだ。勝負は時の運だし、預手調和だけでは終わらない。終わらせなければならない瞬間も必ず存在し、あれ以上の終わり方は無かったのだろうと思った。
何よりよくよく考えれば、正面衝突をしていれば、割れていたのは自分の頭だったに違いないと、鋭児も思う。
だとすれば、試合の視野をより広く持っていたのは、間違い無く焔であり、確かに鋭児の負けなのである。狡いわけではなかったのだ。
妙に時間を余した鋭児は、絡めている吹雪の指と、軽く遊び始める。少し強めに握ってみたり、軽く握り合わせてみたり、指の一本の一本を確かめるように、順々に自らの人差し指から握り混んでみたりと、愛おしく思える彼女の手のしなやかさを感じていた。
氷属性という彼女の性質もあってか、吹雪の指先は、普段からヒンヤリとしており、炎の鋭児はどちらかというと、体温は高めである。その差異が互いの存在をはっきりとさせていた。
吹雪の手が鋭児にとって、少しヒンヤリとして心地よいのと同じように、吹雪もまた鋭児の体温が心地よいのだ。
だから何時までもそうして握り会っていられそうなものなのだが、鋭児が彼女手で時間を潰していると、流石に吹雪も目を覚ます。
だが、そうして鋭児が自分の手で遊んでいるため、吹雪は少々そのまま眠ったふりをしていた。
「ゴメン、起こしちゃったね」
それでも鋭児は、吹雪の手が一瞬自分の手を握り返してきたことを知り、彼女のそれが狸寝入りになっている事にを知るのであった。
「お帰りなさい」
吹雪は顔を上げなかったが、穏やかな声で鋭児を優しく迎えてくれるのである。眠たげな声が若干かすれ気味だったが、大人びているがそれでも愛らしい吹雪の声が、耳に心地よい。
この声を聞くと帰ってきたのだと自分は思う。
「吹雪さん……ここは?」
「学園内にある東雲家の別館よ」
「ふぅ……ん」
そうなると、矢張り自分をここに連れてきたのは、蛇草や千霧と言うことになる。そして、吹雪とのこの時間を作ってくれたのだ。
「焔は、元気だった?」
「うん。なんか、いつも以上に暑苦しかった」
鋭児は焔の戦いぶりと自分とのぶつかり合いを想像すると、つい小さく笑ってしまうのである。
「そう……良かった」
「蛇草さん達は?」
「蛇草さんは解らないけど、千霧さんは東雲家に帰ったわ。鋭児君を私に預けてすぐに……」
「そう……」
正直、千霧とももう少し話しておきたかった。鋭児は、吹雪の手とじゃれないながら、少し千霧の頬ずりを思い出していた。年上だが。吹雪以上に甘えん坊であるあの仕草は、また愛らしい。
「千霧さんから、手紙を預を預かっているの。焔からの。私宛だけど……」
「そう……なんだ」
なぜ吹雪当てであるのかは、鋭児にはピンときてなかった。自分宛では無いらしい。どのタイミングで二人が手紙をやり取りしたかは解らないが、少なくとも千霧に恥を掻かせるなと言う焔のミッションのは、完全に遂行出来たわけではないし、それほど簡単に焔の一言でことに及ぶことなどできないのだ。
ただ、それを思い出すと、悶々とし出してしまう。
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