第四章 狂騒編

1

 淫靡な雰囲気の漂うラブホテルの一室。そのベッドの上に下着姿の若い男女が体を密着させ、抱き合っている。一人は壬生さんで、もう一人は宗像さんの彼氏の真央律だった。


「ごめんね、根東くん」


 壬生さんはそっと男の体を抱きしめながら、僕の方を見る。


「私ね、もうこの人に女にされちゃったの。でも、根東くんとしては、こうされた方が嬉しいよね」


「彼氏さん。壬生さんは僕がたっぷり気持ちよくしてあげるんで、彼氏さんも楽しんで見ててください」


 真央律は壬生さんを抱いたままベッドの上に倒し、二人の体が重なる。


「あーあ、やっちゃったね」


 背後から女の声がする。その女は僕の首に両腕を絡ませると、ふぅと息を吹きかけて僕の耳元で囁く。


「来沙羅、寝取られちゃったね。ならもう、根東くんも安心してエッチができるね」


 ――一緒に楽しみましょう💓。


「えーい」


 女の声の正体は宗像さんだった。彼女は楽しそうな掛け声とともに僕をベッドに押し倒して、馬乗りになる。彼女は服を着ておらず、赤い下着だけが大事な部分を隠している。


 そのたわわに実っている豊満な胸を包むブラのホックを彼女は外す。するりとブラが落ちると、宗像さんの胸が…


「ハッ!…夢か」


 目を覚ましたら、やっぱり自分の部屋だった。


 僕はおもむろにベッドから起き上がり、窓から差し込む朝日を浴びて、思う。


 …とんでもなくエロい夢を見てしまった。


 僕の中の夢の壬生さんが、他の男に寝取られる。ここまでは最近よく見る夢のパターンだ。


 問題はそれだけではない。夢の中に宗像さんまで登場してしまった。もしもあの夢がそのまま続いていたら、どうなっていたのだろう?


 僕はスマホをそっと見る。


 スマホで宗像さんに連絡をすれば、あの夢の光景をいつでも現実にできるんだよなあ。


 本音をいえば、ラブホテルで宗像さんを抱かなかったことに対して強い後悔の念はある。もしかしたら、とんでもなくもったいないことしたんじゃないのかなあ、なんて想いもある。


 そういう本音があるのは事実だ。正直、後悔している。でも、これでいいのだ。だって、それ一線超える奴じゃん。


 僕は確かに気持ち良いことは好きだ。だからといって、麻薬に手を出すつもりはない。


 気持ち良いからってやって良いことと悪いことがある。麻薬、絶対ダメ!


 そうだよ。どんなに気持ちよさそうな体をしていたとしても、宗像さんの体は禁断の果実なのだ。いくら寝取られて欲しいという願望があるからといって、本当にやる奴があるか!ダメなもんはダメなんだよ!


 でもすごい興奮したなあ。もう一回見たいなあ。そうだ、宗像さんに連絡すればできるじゃん…


 いやいや、ダメだって言ってんだろ!早く目を覚ませ!


 パンパンパン!


 僕は自分の顔面に向かって三度平手打ちをした。ちょっと強すぎたのだろう。頬がひりひり痛む。


 でもおかげで冷静になれた。よし、学校に行こう!早く壬生さんに会いたいな!


 季節は六月上旬。あのラブホの件より、すでに一ヶ月が経過している。今になってあの夢を見るだなんて、僕は欲求不満なのか?違うと信じたい。


 僕は制服に着替えて朝食を済ませると、家を出る。


 学校に登校すると、教室にはすでに壬生さんがいた。席について天使みたいな笑みを浮かべる黒髪の美少女は、今日も可愛い。


「おはよう壬生さん」


「おはよう根東くん。テストはどうだった?」


 テストというのは先月の下旬にあった中間テストのことだろう。


「うん、そこそこよかったよ」


「そう?なら補習の心配はないね」


 いやいや、流石に補習になるほどの点数はないから。


「壬生さんはどうだったの?」


「私はいつも通りだよ。あとは結果を待つだけだね」


 壬生さんのいつも通りというのは、学年でトップという意味だろう。


 そもそもこのクラスに関していえば、テストについてそれほど杞憂している生徒はいないだろう。


 この学校の生徒は、大きく分けて三つに分けられる。


 進学を目指す進学科、自由に進路を選べる総合科、就職を目指す情報工業科。


 一つの学年に十二クラスがあり、一組から三組が進学科、四組から十組が総合科、十一組から十二組が情報工業科に分けられている。


 そのうち、進学を目指している一組から三組が校内でもっとも学業が盛んなので、結果的にテストの結果はこの三組が上位を占めることになる。


 そして一組というのはもっとも成績が優秀なクラスになるので、テストの上位三十位までは一組がほぼ独占しているといっても過言ではない。


 一組でトップということは、実質校内でトップということだ。ちなみに僕はクラスでは下位の方なので、校内全体でいうと二十位から三十位くらいの成績ということになる。


 まあ受験とか考えたら全国の生徒がライバルなわけだし、あんまり校内の順位をあてにしても意味はないだろう。


 ただこの進学がメインの一組に関していえば、補習になる生徒などまずいないということだ。


 それにしても、壬生さんって普段はテニス部で忙しいのによくこの成績を維持できるな。


「壬生さんっていつ勉強してるの?」


「うーん、部活の後とか、休日かな?」


 あれ?じゃあデートとかして時間潰すのはマズイかな?


「もしかして、僕とデートしてる時間って、勉強の邪魔だったりする?」


「ううん、大丈夫だよ」


 壬生さんは笑って否定する。本当かな?無理してないかな?もし無理してるなら、ちゃんとサポートしてあげたいな。


「根東くんと付き合う前から今ぐらいの頻度で遊んでたから」


 そうだった。壬生さんって見た目は清楚で可憐な女の子なのだが、実は陽キャの遊び人だったわ。


「でもそうだね。流石に一年の時と同じ感覚だとダメかも。もっと受験勉強に力を入れてもいいかもね」


「そ、そうだよね。流石に本腰を入れないとまずいよね」


 もう二年の六月。先々のことを考えると、本格的に勉強した方がいいよね。


「デート時間を減らして、一緒に勉強する時間を増やそうね」


「うん、そうだね。そうしよ!」


「じゃあこれ貸してあげる」


  壬生さんは机から数学の参考書を取り出すと、僕に渡す。


「これ、一週間で読破してきてね。今週は数学をメインに勉強しようね」


「あ、はい。頑張ります」


 これが学年トップ、壬生さんの勉強スタイルか。なるほど、確かにこれぐらいやればスパルタンに勉強をすれば、成績は嫌でも上がるよね!


 ということで僕は中間テストが終わった後も、気を抜くことなく受験戦争の前線に立つことになった。


 この参考書、分厚いな。一週間でいけるかな?


 いや、愛する彼女のためだ。やったろう!


 といっても流石に授業中に他の勉強をするわけにはいかない。この参考書に取り組むのはやっぱり放課後からだろうな。


 今日の授業を真面目に受け、お昼休みは壬生さんと一緒に過ごし、午後の授業もスムーズに消化。やがて授業はすべて終了し、放課後になる。


「じゃあ部活に行ってくるね」


「うん、また後でね」


 放課後、僕はテニス部に向かう壬生さんを見送り、図書館に向かう。本当は壬生さんの部活の様子を見守りたいのだが、僕もやらねばならぬことがある。


 図書館に向かうと、意外と人が多い。どうやら中間テストで赤点を取った学生が補習のために勉強しているようだ。その頑張りをテストに活かせれば赤点を取らずに済んだだろうに。


 僕は適当に空いている場所を探す。ちょっと混雑しているけど、この際、贅沢はいえないよね。


「うーん、うーん」


 ようやく見つけた席を取ると、その隣にえらく悩んでる学生がいた。どうやら補習の課題が解けないようだ。


 うん、無視しよう。


 関係ないもんね。


 僕は壬生さんから借りた参考書を読破すべく、テキパキと鞄から参考書を取り出して準備する。


 壬生さんから借りた参考書は、受験生向けのテキストだったらしく、なんというか、受験をするにあたって覚えておいた方が良い知識を網羅的にまとめているものだった。


 うん、これすごいわかりやすいな。壬生さん、こういう参考書を使って勉強しているのかあ。なるほどねえ、確かに一読するだけで頭が良くなった気になるわ。


 大変だけど、とりあえずなんとかなりそうだ。壬生さんは読破しろと言っただけで、理解しろとは言ってないからね。とりあえず理解は後回しにして、内容をすべて読んで知識を頭に入れてみよう。


 受験なんて合格すりゃいいんだし、理解より覚えることを優先した方がいいよね。


 僕は参考書をペラペラと読み進めていく。


 ちらちら。


 ペラペラ。


 ちらちら。


 ペラペラ。


 僕が参考書を読み進める一方で、なんか隣の学生からチラチラ見られている気がする。なぜだろう?カンニングされている気分だ。


「あのー、ちょっといいかな?」


 声をかけられた。


「ここの問題ってわかります?」


「え?」


「もう本当にぜんぜんわからなくて。お手上げなんだよね。よかったら教えてくれない?」


 隣を見ると、いかにもスポーツとかやっていそうな、健全そうなポニーテールの女子がいた。


 黒髪を後ろに束ねてポニーテールを作っている女子で、凛々しさを感じさせる眼差しをしている。運動をしているからだろう、無駄な脂肪がなく、スレンダーな体をしている女子だった。


 見た感じ、まさに典型的な体育会系タイプの女子で、うん、たぶん勉強は苦手なんだろうな。


 僕はちらっと彼女の課題を見てみる。数学の問題か。


 正直、数学はそれほど得意ではない。なんで声をかけられたのだろう?…あ、数学の参考書のせいだわ。


 問題そのものはそれほど難しくはない。だから僕でも解けそうだな。


「えーっとですね、これはこうして…」


「うんうん、あーなるほどね」


「そうそう、それでね、ここをこうして…」


「あ、わかった!ありがと!助かったよ!サンキューな!」


 お互いに初対面で名前も知らない間柄なのだが、彼女はざっくばらんに話しかけてくる。たぶん、陽キャなんだろうな。


「どういたしまして」


 よし、これでまた参考書に戻れる。ポニーテールの女子は再び問題に取り組む。そして一分後、再び「うーん、うーん」と唸り始めた。


「な、なあ、すまないんだけど、もう一回教えてもらっていい?」


「え、うん、いいよ」


 僕も勉強したいんだけどな。


 ポニーテールさんはイスを僕の方に移動させ、「ここなんだけど」と問題を聞いてくる。


 やや男っぽい口調の女子だが、それでも女の子だ。それによく見るとなかなか美人だし。近くにくると彼女の方から甘酸っぱいに香りして、ちょっとだけドキドキする。


 なにやってんだ僕は?僕には壬生さんという彼女がいるじゃないか。


 とにかくさっさと問題を解いてしまおう。


「ここはだね…」


「うん、うん、あ、そういうこと」


「そうそう、うんそれでいいよ」


「…うーん、ここは?」


「ここはだね…」


 なんかマンツーマンで完全に教えてるな。これ補習になるのか?


 結局、彼女の補習の問題を全部解いてしまった。そもそも課題の範囲は今回の中間テストの内容から出ているわけだし、僕もすでに勉強している内容なのだ。それほど難しいわけではないよね。


「ふう、助かったよ。お前、頭良いな!」


「どういたしまして」


 なんかだんだん友達みたいなノリで話してくるな。これが陽キャのノリなのか。うん、僕みたいな陰キャにはできない芸当だわ。


「お前、頭良いのになんで補習なんて受けてるんだ?」


「いや、僕は補習は受けてないよ」


「え?違うの?」


「違うよ」


 もしかして僕のこと、赤点取った同類だと思ってたのだろうか?なんか心外なんですけど!


「補習でもないのになんで勉強なんてしてるの?進学科じゃあるまいし」


「進学科なんだけど?」


「え?ああ、どうりで頭良いはずだ」


「どーも」


 僕がクラス名を告げると、ポニーテールさんはああ、一組って一番頭良いとこだ、と納得したような表情をした。


「それにしても進学科っていけ好かない奴ばっかだと思ってたけど、良い奴が意外と多いな」


 僕はクラスメイトの顔を思い浮かべる。まあ、そんなに悪い人はいないよな。


「みんな真面目に勉強してるだけだし、そんな悪い人はいないと思うよ」


「まあそうだよな。俺の友達に進学科の奴、一人いるけど、そいつも良い奴だしな」


 ふーん。友達に進学科の人いるんだ。…誰だろ?


 なぜだろう?一瞬、壬生さんの顔が浮かんだ。まさかな。


 それにしてもこのポニーテールさんの声、なんか引っかかるなあ。なぜだろう?


 この男っぽい口調。女子だけと一人称が俺…なんか覚えがある。


「ふう、とりあえずこれで補習も終わりだ。ありがとよ、えーと誰だっけ?」


「根東司です」


「おう、司、ありがとな。俺は、ももざきみずき、な。またなんかあったら助けてくれよ!」


 みずきはそう言って机の下にある鞄とテニスラケットを取り出すと、「じゃあな」と図書館を去っていく。


 ももざきみずき、百崎みずき、百崎瑞樹?


 あ、思い出した!今の女子、NTR式人狼のメンバーの一人じゃねえか!


 知らない人かと思ったら、がっつり知ってる人だった。それも悪い意味で。


 どうしよう?絶対あの人、女子テニス部員だよな。これから壬生さんを迎えに行くつもりなんだけど、会ったらなんか気まずいな。


 どーか何も起きませんよーに!


 そう願えば願うほど、フラグのように感じていた。

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