金曜日
夜の暗い寝室。室内の明かりをつけることなく、一人の女の子がベッドに腰掛けている。すると扉が開き、まったく身に覚えのない男が入室してくる。
男は彼女の後ろから近寄ると、そのまま背後から手を伸ばして抱きしめる。女の子は抵抗することなく、その白い頬を赤く染めながら後ろを振り向く。
普段の強そうな眼差しとは違う、媚びたメスのような、トロンとした眼差しを彼女は男に向ける。男はそんな彼女を見ると、下品そうな笑みを浮かべながら…
「彼氏がいるのに他の男を連れ込んで、悪い女だな」
「ひどい、先輩が強引にしたせいなのに…」
「いいから抱かせろよ」
「あ…」
男は彼女をそのまま押し倒す。その女性、壬生来沙羅さんは制服を脱がされ、その下にあるピンク色の下着が露出する。形の良い乳房がおさまるブラジャーを前に、その男がホックを外すと…
「うわああああああああそれ以上はやめろ……て夢か」
悪夢だ。とんでもない悪夢を見せられた。せめて、男役が僕だったら全然問題ないのに。なんて酷い夢なのだ。こんな夢を見せるだなんて、僕の脳みそは一体どんな心境なんだろう?もし今心理テストをしたら、僕の性癖は寝取られだよって宣告されてしまうじゃないか。
……いや、うん。もう言い訳は無理かもしれない。たぶん、あるわ。僕の中には寝取られ願望が…認めたくないけど…ある。
もちろん僕は壬生さんのことが大好きだ。彼女にいいように振り回され、ずたずたに精神を引き裂かれ、心の傷に焼けた釘を打ち込むような凄惨なマネをされているというのに、僕の心の振れ幅がマイナスに移動することはまったくなかった。
それどころか、むしろ僕の中で壬生さんに対する好感度が否応なしに上がっている。普通さあ、たとえ恋人でも傷つくようなことされたら嫌いになるものじゃないのだろうか?
ならないんだよなあ。ぜんぜん、ならないんだよなあ。
これが脳が破壊されるということなのだろうか?それとも元々、僕にはこういう体質があったというだけなのだろうか?
そんなことを悩み、落ち込み、時には興奮しつつ、僕は壬生さんのことを脳裏に浮かべながら学校に向かうことにした。
学校に向かう途中、「おーい根東くん、おはよう」と可愛いく朝の挨拶をしてくれる壬生さんに遭ったので、僕も「おはよう壬生さん!」と元気よく挨拶して一緒に登校することにした。
「根東くん、なんで朝から興奮してるの?」
「いや、これは違うんです。その、ちょっと嫌な夢を見て」
壬生さんはまだ十代の女子高生であるにも関わらず、平然と僕のズボンの盛り上がりを指摘してくる。彼女には恥じらいは無いのだろうか?いや、恥ずべきは朝っぱらからズボンを膨らませる僕の方か!あははは、泣きたいぜ!
「うん?根東くんは悪夢を見るとエッチな気分になるの?」
それだとただの変人じゃないか。いや、僕はもう変人の部類なのかもしれない。でも否定したい。
「いや、そういう悪夢じゃなくて。その…夢に壬生さんが出てきて、その、他の男の人と…」
「ああ、そういうこと?ふふ、ぷぷ、じゃあ仕方ないね」
壬生さんは、学校で他の人たちといるときは、基本的にとても可愛らしい天使のような笑顔を浮かべるタイプの女性だ。しかし最近、僕の前だと、普段なら絶対に見せないようなドSな笑みを浮かべることが多くなった。これが本性なのかな?
「夢の中でまで私のことを考えてくれるだなんて、く、くくくく、ぷふ、嬉しいな。根東くんはいつも私のこと考えてるの?」
「正直に言うと、付き合うようになってからたぶん、二十四時間常に考えてる。あの、冗談とかじゃなくてガチで」
「え、それは考えすぎじゃない?なんだか恥ずかしいな」
「うーん、でも」と壬生さんは続ける。「一応受験生だし、それだと学力落ちちゃうんじゃない?」
「私、根東くんと一緒の大学に行きたいな。私のことを考えてくれるのは嬉しいけど、ちゃんと勉強しないとダメだよ!」
「うん!そうだね!へへ、一緒に大学に行こうね!」
そっか。壬生さんはこんなにも僕と一緒の大学に行きたいのか。知らなかった。だって僕、壬生さんの志望校、知らないんだもん。これ、知らないって聞いたらマズイかな?
いや、このままなあなあで誤魔化すのもマズイか。ちゃんと聞いておこう。
「あの、ちなみに壬生さんの志望校はどこなの?」
「東大か京大だよ」
「へー、そうなんだー」
まあ壬生さんの学力なら余裕だろう。問題があるとすれば、僕の学力が足りるか否かだ。
「うん、でも拘りとかないから。遊べる場所が近い大学に行きたいだけだし。根東くんのために志望校のランク下げてもいいよ」
すごい余裕だ。
「いや、それは申し訳ないよ。僕、ちゃんと頑張るから!一緒に目指そうよ!」
「うん、そうだね!」
僕らは受験勉強についていろいろ話し合った。学年トップというだけあって、かなり役に立つ勉強の方法について教えてもらえた。そっかあ、参考書を一読して内容を理解する、たったそれだけで成績って上がるんだあ。確かに、その方法をマスターすれば受験なんて余裕だね!
歩いているとやがて同じ制服の学生が通学路に現れるようになってくる。
実は遭った時から僕たちは手を繋いで歩いていた。だがさすがに人気が多い場所だと手を握るのが恥ずかしくなる。だからもし壬生さんが手を放したくなったら、そのまま放そうと思っていた。
もっとも、明るく、可愛く、眩しい笑みを浮かべながら僕と会話をしてくれる壬生さんは、ずっと僕の手を握ったまま校門まで一緒に歩いてくれていた。
壬生さんは僕と付き合っていることを周囲に隠しているわけではない。もちろん自分から公言するようなことはしないが、ただなんというか、周囲の評価を気にして僕との付き合いをおざなりにするというか、周りの目を理由に僕のことを蔑ろにするつもりはないようだ。
それがなんだか嬉しくて、今朝見た悪夢によって傷ついた心がだんだんと癒され始めていた。
これが彼女がいる男たちの心境なのか。やっぱり恋人はいるに限るよね!
今の落ち着いた心理状態なら、授業だってちゃんと聞けるはずだ。僕は教室につくと、大学進学を目指すべく、やる気をもって授業に望んだ。
そして放課後。女子テニスコートにて。
「え?壬生さん、二年生の人に呼び出されたの?」
またしても壬生さんが何者かの呼び出しを受け、どこかに行ってしまった。僕の心は一体、いつになれば落着きを取り戻せるのだろうか?
放課後の夕方。僕は昨日と同じように壬生さんを探して女子テニスコートに出向いたわけなのだが、またしても一足遅かった。
「はい、壬生先輩ならさっき、鬼瓦先輩と一緒に校舎裏に行ってましたね」
けけけ、け、剣道部の鬼瓦だと!なぜだろう?まったく面識なんて無いのに、エロゲに登場する鬼畜なクズ体育教師のような姿を連想してしまった。
「司っちさあ。なんか勘違いしてない?」
ギャル系テニス部女子の美香さんがなんとも呆れるような顔してこちらを見る。っていうか、もう僕のこと名前で呼んでる。この人、けっこう距離感近いタイプなんだな。別にいいんだけど。
…まだ壬生さんにすら名前で呼ばれてないんだけどなあ。
「鬼瓦って女の子だよ。女子剣道部エースの鬼瓦荊ってけっこう有名だよん」
鬼瓦…いばらさん?
鬼瓦という名前からてっきりゴリラみたいな体躯の筋肉質な男をイメージしていたのだが、女性と言われて急にそのイメージは崩壊。竹刀を振るう凛とした女の子が脳内に連想された。
つまり、今回はセーフってことで良いのかな。よかったあああああああああああああ。
ほんとーに、よかったあああああああああああああああ。
まだ付き合って四日しか経ってないのにもう僕の心はボロボロだよ。正直、ちょっとここらで休憩欲しいなあって思ってたところだよ。
「あ、そうなんだ。ごめんごめーん、勘違いしてた!」
「先輩、なんでそんな嬉しそうなんですか?」
「男じゃなくて良かったんじゃない?昨日の件もあるし」
「ああー、なるほどー」
美香さんと美紀さんがなんか勝手に納得しているが、今はもうどうでもいい。僕にとって今とても大事なことは、今日はセーフ。今日は寝取られを心配する必要がまったくないってことだよ!
よかった!よーし、早速校舎裏に行ってみよう!しかし女の子二人が校舎裏でなにをしているのだろう?
校舎裏に人影があったので、僕は向こうからバレないよう、こっそり校舎の陰に隠れて覗き見ることにした。
そこには壬生さんともう一人、ポニーテールがよく似合う、なんだか王子様みたいな顔した女の子がいた。
なんか、イケメンだな。女の子だけど、男装とか似合いそうな人だった。別にいいんだけどさあ。
まあイケメンといっても女の子だし、別に問題ないよね。
「壬生さん。前から君みたいな可愛い女の子のことが気になっていたんだ。私たち、恋人同士になれないかな?」
アウトだったわ。そんなバカな。同性ならセーフなんじゃないの?
今の世の中はダイバーシティ。多様性が重視される時代らしい。だからといってここまで多様性に富む必要があるのだろうか?ダイバーシティを恨むよ。
それにしても、壬生さんは一体なんて返事をするのだろう。
「ごめんね。無理かな」
一刀両断で断ってる。壬生さん、剣道部の鬼瓦さんより剣の扱いに慣れてそうだな。
「な、なぜだ!」
いや、なんでって。いくらイケメンフェイスだからって、流石に女の子同士では難しいんじゃないのかな?
「姫子とは付き合っていたのに、なんで私はダメなんだ!」
さすが高性能コミュ力の持ち主、壬生さんだ。異性だけでなく、同性とも付き合った経験があるんだあ。コミュ力って凄いんだな。僕もこれを機にちゃんとコミュ力を鍛えようかな?
「だって私、彼氏いるし」
そうだよ、言ってやってよ壬生さん。彼氏がいるからダメって。そう言えば引き下がるでしょ。
「それは知ってる」
なんでだよ。いや、確かに通学路でさあ、手をつないで歩いてるけどさあ。そこまで目立ってないでしょ。
「だが壬生さんが付き合う男はいつも三日で消えるじゃないか!もう三日経ったぞ!どうせその男ももうこの世にいないだろ!」
なんだよそれ。まるで呪いじゃねえか。そんな昭和の田舎で起きた猟奇事件みたいな言い方やめろよ。僕、当事者なんですけど?っていうか消えてないし。
え、っていうか壬生さんがすぐ男と別れるって話、そんな噂になってんの?
「根東くんはまだ生きてるから無理だよ」
え、うん。いや、確かに生きてるけど。なんか引っかかる言い方だね。もしかして壬生さん、僕がここにいるって気づいているのかな?
「でも、どうせすぐにいなくなるよ。男なんてみんな壬生さんの体目当てのクズだよ。そんな汚いクズと付き合って時間を無駄にしちゃダメだよ。それより私と付き合おう。私なら、男よりも上手に壬生さんとエッチできるよ!」
お前も体目当てじゃねえか。
っていうか、なんか男に対する扱いが酷いな。確かに鬼瓦さんみたいなイケメン美少女と比較したら汚いかもしれないけど。そこまで言う?なんか知り合いでもないのにめちゃくちゃディスられるんですけど?
「うん?うーん、っていうかたぶん、私たち別れないよ。だって、相性がすごく良いもん」
え?
「だからごめんね。私、彼氏がいるから今は他の人と付き合えないかな。じゃあね」
壬生さんはそういうと鬼瓦さんを後目にその場を立ち去っていった。
なんか、意外だな。あんなにもハッキリ断ってくれるのも意外だと、あんなふうに僕のことを想っていてくれていたんだ。
そっか。僕って、壬生さんと相性が良いんだ。
正直な話。壬生さんは僕のことを揶揄って遊んでるだけなのかなあ、なんてちょっと思っていたりする。
僕のこと、好きかもしれないけど、あくまでライクぐらいの軽い好きなのかなとも思っていた。
だからあんなわざと嫌われるような振る舞いをしたり、わざとトラウマを製造するようなことをしているのかな、と。
でも違ったのかな。
壬生さんは、疑うなら別れようと言った。その代わり抱いてもいいと言った。
でもやっぱり抱かなくて正解だったなって今では思う。
証拠はない。いや、あるといえばあるのだが。うん、壬生さんを抱けば寝取られたか否かを証明できる。
でも、たぶん、いや九割近くの確率で壬生さんはまだ寝取られてはいないんじゃないのかな、って思った。…ここで十割だと言えたらカッコイイのだが、どうしてもそこまでは割り切れなかった。
抱いてみるまで壬生さんは寝取られたかどうかわからない。僕はこれをシュレディンガーの壬生さんと名付けることにした。
「バカな」
あ、まだ鬼瓦さんがいた。なんかぶつぶつ言ってる。一体なにを言っているのだろう。
「壬生さん、彼氏との体の相性が最高だと!そんなの嘘だよね!」
なんかとんでもない勘違いしてんな、あの人。
「くそ!なぜ私は女に生まれてしまったんだ!せめて、ち〇〇があれば!ち〇〇があれば壬生さんを満足させてあげられるのに!クソッ、ち〇〇が欲しいよ!」
…鬼瓦さん、ちょっとヤベー人かもな。関わらないようにしよう。
っていうかあの人視点だとまるで僕が壬生さんを寝取ったみたいじゃないか。こっちは寝取られる側なんですけど!いや、寝取られてないけどね!…たぶん。
その後、僕は再び女子専用のテニスコートへ行き、そこで壬生さんと遭った。
「あれ、根東くん。なにか良いことでもあった?」
「え?そんなことないけど。どうして?」
「嬉しそうな目をしてたから。じゃあ一緒に帰ろう」
「うん」
今週は本当にいろいろあった。正直、ハードすぎて死ぬかもしれないって思った。途中、もしかしたら告白は間違ってたかもしれないって挫折しそうになった。でも告白して良かった。
「ねえ根東くん」
「うん、なに?」
「明日は土曜日で休みだし、駅前の西口あたりでデートしようよ」
「うん、いいよ」
もしかしたらもっと検討して決めるべきだったのかもしれない。
駅前の西口ってさあ、ナンパがめちゃくちゃ多いんだよなあ。あんな場所に壬生さんを連れて行って平気なのだろうかと、その晩、寝る前に気づいて頭を悩ませることになった。
大丈夫だよね?いくらナンパ師だからって、彼氏つきの女の子をナンパしないよね!そんなAVの企画じゃないんだから。
ただ壬生さんは、まるでアニメの名探偵の如く、行く先々で寝取られイベントを起こす特異体質の女性だ。正直、不安だった。
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