火曜日
それはよく晴れた火曜日。いつも通りの日常。いつも通りの登校。なにもかもいつもどおり。僕はいつも通り自分の席につく。
いつもと違うことがあれば、昨日までの僕と違い、今日の僕には彼女がいる。
そう。彼女がいる。生まれて初めての彼女が。それも学園でもっとも可愛い女子の一人と噂されているあの壬生さんと!
ヤバい、幸せすぎる。生きててよかった。頑張ってこの高校に受験して良かった。
でも付き合ったのは良いものの、一体これからどうしたら良いんだろう?女性経験なんてまったく無いからわからない。とりあえず、壬生さんに嫌われたくはないから、エッチなことは止めておこう。
…それはまあ、気になるけど。壬生さんとどんなエッチなことができるのか、非常に興味はあるけど。でもダメだよ。まずはそう、健全な、きわめて健全なお付き合いから始めないと!
そんなもやもやとしたことを考えていると、教室の扉が開き、一人の女子生徒が入ってくる。
壬生さんだ。
そうだ、一緒に登校すれば良かったじゃん!バカか僕は!なんのために連絡先を交換したんだよ!意味ないだろ!せっかくの二人の時間を自分から潰して…あ、目があった。
壬生さんは自分の席に鞄を置くと、ちらりとこちらを見て、にっこりと微笑んだ。
ああ、めちゃくちゃ可愛い。朝からあんなに可愛い美少女の笑顔が見られるだなんて、それも僕のために笑ってくれた。恋人がいるスクールライフって最高だよ。
すべてが順風満帆。どうしよう、話しかけるべきか?いや、もうクラスには他の生徒が集まってるし、壬生さんの友達が彼女を囲い始めてる。
こうなってしまうともう声をかけづらい。別に付き合っていることを隠しているわけではないのだけど、かといって堂々と宣言するのもなんか違うし。
別に自慢したいわけではないのだ。僕はただ、壬生さんと仲良くなって、平凡かもしれないけど、充実した学園生活を送りたいだけなんだ。
とりあえず、話しかけられるタイミングまで待とう。
そして時間が経過する。
話しかけられなかった。
なにをしているんだ僕は!情けない、情けなさすぎる。でもしょうがないじゃないか。
壬生さん、常に誰かと一緒なんだもん。
授業中に声をかけられないのはしょうがないとして、昼休みは友達と一緒にいるし、放課後はテニス部の活動があるから話せないし。
もう部活動が終わるまで待つしかないじゃん。壬生さん、実はすごく忙しいんだな。話せなかったけど、恋人の知らない一面を知れて良かったかもしれない。
放課後。そろそろ日が沈むのであろう。真っ赤な夕日が校庭を照らし、地面を赤く染め上げている。
そんな夕日を背景にラケットを振るい、テニス部の練習に明け暮れる女子生徒たちを、校庭の隅にあるベンチから眺める姿はまるで…まるで…あれ?なんかストーカーっぽくね?
いやいやいや、違うからね!彼氏が彼女を待ってるだけだからね!そう、大事なことなのでもう一度言うけど、彼氏が彼女を待ってるだけだから!決していやらし事とか淫らなこと、邪悪なことなんて考えてないから!きわめて健全なお付き合いの方法しか考えてないよ!
そんなわけのわからないことを妄想していると、どうやらテニス部の練習が終わったようで、スマホに壬生さんから連絡が来た。
『今おわったよ!一緒に帰ろう!』
ああ、付き合ってるっぽい。いや、付き合ってるんだけどね。
『うん!そっちに向かうね!』
僕は鞄を持ってベンチから立ち上がると、急いでテニスコートへと向かった。
なんか走って彼女のもとへ向かったら、なにこいつ?必死すぎない?とか思われて引かれるかもしれないと、ちょっと嫌な考えが脳裏をよぎったが、それでも足が勝手に駆け出していたのだからどうしようもない。
…早く会いたい。早く壬生さんに会って、いろいろ一緒に話したい!
その想いが溢れて止まらなかった。付き合ってまだ一日なのに、好きの感情が止まらないのだ。
夕日に赤く染まったテニスコートがだんだんと近づいてくる。既に制服に着替えた壬生さんがこちらに気づいた。手を振ってくれたので、僕もそれに応えて片手をあげた。
「壬生さん、今から一緒に…」
「よーし、じゃあ来沙羅、これからカラオケ行こう!」
それはまったく関係ないところから出た言葉だった。思わず体が硬直。壬生さんとの距離があと十メートルというところで僕の足は歩みを止めてしまった。
「ん?なんのこと?」
「いやいや、一週間前に言ったじゃん。今日、みんなでカラオケ行くって」
「あ、あー、そうだったね。ごめん、忘れてた」
「ちょっとしっかりしてよね!私が言わなきゃ来なかったってこと!」
あははは、とちょっとギャルっぽい女子が明るく笑いながら壬生さんの肩を叩いている。
…え、どういうこと?なんか、変な雲行きになってきたんですけど?
「うん、そういえば、そうだったね。ごめん、完全に忘れてた。そういえば、美香とそういう約束してたよね。あのーうん、ごめん、ちょっと待っててね」
「え、あー、うん。わかった」
壬生さんは美香と呼ばれた女子に申し訳なさそうな顔をすると、こちらに小走りで走り寄ってきた。そんな走る姿もとても可愛かった。
「ごめん、根東くん。今の話、聞いてたかな?」
「う、うん。なんか、予定があるみたいだね」
平常心。とにかく平常心を保つんだ。残念そうな態度を取らないように、素数を数えながら平常心を保たないと!…ダメだ、素数を知らないから数えられない。
「うん、本当にごめんね。私も根東くんと一緒に帰りたかったんだけど…どうしても嫌なら美香に今日の予定はキャンセルしてもらうけど、どうする?」
え、それは、どうなのだろう?
ここは彼氏として強く出るべきなのだろうか?でもそんなことしたら絶対壬生さんの評判悪くなるし。だいたい僕が告白をしたのは昨日のことで、その美香さんとの約束はそれより前の約束なんだよなあ。
割り込んだのは僕の方なのに、先にしていた約束をそんな無理やり断らせて良いのだろうか?
「でも、前からの約束なんだよね。それを断るのは、流石に悪いかな?」
「本当に?」
壬生さんは今までの申し訳なさそうな表情から一転、急に真顔になった。
あれ、もしかして引き留めた方が良かったかな?
「本当に友達とカラオケ、行っても怒らない?根東くん、あとから怒ったりしない?ちゃんと納得してくれるんなら、私も気持ち良く遊びに行けるんだけど、どうかな?」
これってそんな重い話だったっけ?
そりゃあ、男友達と遊びに行くって言うんなら僕も止めた方が良いかなって思うけど、女の子同士で遊びに行くなら、そんな無理して止める必要はないのでは?
そうだよ、怒る理由なんて何もないじゃないか。ただ友達と遊びに行くだけだ。
確かに一緒に帰れなくて残念だけど、でも壬生さんにだって予定はある。僕一人の身勝手な感情で壬生さんを縛ることはできないよね。
「お、怒らないよ。だって僕、壬生さんのこと信じてるし」
一体なにが彼女の琴線に触れたのだろう。今までの真顔から一転、壬生さんは嬉しそうな表情を浮かべて「そうだよね、私たち、恋人同士だもんね」と言う。
「信じてくれてありがとう。じゃあ、行ってくるね!」
「うん、いってらっしゃい」
「あ、ちょっと待って!」
壬生さんはそういうとスマホを取りだし、僕の横へ移動。僕の右腕に自分の左腕を組ませて、スマホでパシャリと撮影した。
女の子らしい甘い香りが鼻につく。右腕はしっかりと体全体でホールドされており、壬生さんの胸の感触が伝わってきた。制服越しなのに、すごく柔らかい。
「思い出作っちゃったね」
可愛い笑みを浮かべながら壬生さんは戻っていく。なんて良い子なんだろう。あんなにも可愛い女の子が、僕の彼女だなんて。今なら死ねるかもしれない。いや、もっと壬生さんと恋人同士の時間を楽しみたいのでやっぱり死ねないや。
「あの人、誰?」
「彼氏だよ」
「え、そうなの?やっぱりカラオケ、止めとく?」
「大丈夫だよ、根東くん、行っても良いって」
「え?いくらなんでも優しすぎじゃない?だって今日のカラオケって…」
そういえば、カラオケってそんな一週間も前から予定をいれて行くものなのだろうか?
いや、そういう人もいるのだろうけど。僕の世間のイメージでは、暇だったら行くぐらいの、軽いノリで行く場所だと思っていたんだけど。
まあ、そういうこともあるかな?その時の僕は、それぐらいのことしか考えておらず、それよりも壬生さんとの距離が縮まったことに対する喜びを噛みしめながら一人、帰宅した。
寂しくないもん。僕には彼女がいるもん。
その夜。二十時ごろ。自室のベッドでゴロゴロしていると、スマホが鳴った。見ると、壬生さんからだった。
『終わったよ!これから帰るね。今日は本当にごめんね!』
ピロン♪その音と同時に画像が添付されて送られる。それはカラオケルームの一室。壬生さんが自分を撮影した画像だった。
「はは、楽しそうだな」
…
…
…
「隣の男、誰だろう?」
カラオケルームには、壬生さん以外にもたくさんの人がいた。流石スクールカーストトップの壬生さん。交友関係が広いんだね。女子だけでなく、男もいたよ。
『根東くん』
再びメッセージがくる。心臓がバクバクと早鐘を打っていた。
え、どういうこと?今日のカラオケって、女の子同士で遊ぶってことじゃなかったの?なんで男子がいるの?僕と一緒に帰らずに、他の男と遊んでいたってこと?
え、一体なにがどうなって?わけがわからず、頭が真っ白になった。
友達って、男も含んでいたの?壬生さんは今この瞬間までずっと、男の人と一緒にいたの?え、なんで?
『ごめんね』
え、なんで謝罪が来るの?一体なにがどうなっているのかわけがわからない。壬生さんが僕に謝罪するようなことなんて何一つないのに、一体なにを謝るって言うの?
続きを聞きたくなかった。でも、聞きたい。
『友達が私の彼氏見たいってしつこいから、今日撮った画像見せちゃった。根東くん、見せても良かったかな?』
なんだ、そんなことか。
壬生さんが他の男と一緒にいたという事実は拭えていないというのに、なぜか僕はほっと安堵した。
とにかく、なにかメッセージを送らないと。ええと、なんて送ろう?とりあえず画像の件について。
『うん、いいよ。今日は楽しかった?』
なにを余計なことを聞いてんだよ!そういうことじゃないだろ!これでお前、もしも楽しかったなんて返ってきたらどうするつもりなんだよ!やばい、どうしよう?どんどん心臓がバクバクいって爆発しそうなんですけど!
『うん?なにがあったか、詳しく聞きたい?』
なぜだろう。なんてことのないメッセージなのに、妙な圧を感じる。
『明日の放課後、一緒にカラオケ行こう。そこで詳しく教えてあげる』
一体なにを教えてくれるというのだろう?その思いが頭をぐるぐると巡り、まったく寝付けなかった。
もしかしたら、壬生さんは僕が思っていたような、清楚で可憐な乙女ではないのかもしれない。
明日、何を話すのかわからない。もしかしたら最悪のことを話すのかもしれない。そう思うと、もやもやとした黒い感情が沸き起こる。
しかし同時に、壬生さんの口から何があったのかを聞いてみたいという、黒い感情とは正反対の感情まで沸き起こっていた。
僕は一体、どうなってしまったのだろう?
時刻が変わり、水曜日が訪れる。
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