さす九 ~さすがキュウシュウ温泉探訪異聞録~

七里田発泡

かじかの湯

 湯川内紡績工場で働く松野隆雄は日給50マンギラートの賃金で何不自由ない生活をおくっていた。そんな松野の退勤後のルーティンは、全国でも30か所ほどしかない足元湧出の共同湯『かじかの湯』に入浴することだった。外気との温度差によって起きるヒートショック防止のため足元からしっかり掛け湯を行う。湯桶は檜の意匠であった。泉質は美人の湯と名高い肌に優しい弱アルカリ性の炭酸水素塩泉。『かじかの湯』のまるで化粧水にでも浸かっているようなとろりとした欲感は全国各地の温泉ファンからも評判が高い。


 足元湧出であるため1度も外気に晒されたことのない温泉が松野の足元から湧き出ていた。細かな気泡がぶくぶくと立ち上り湯の表面で弾ける様は炭酸泉のようだ。新鮮なお湯は麻生あそうにある某有名飲料水メーカーの採水地として知られる白川水源を彷彿とさせるほど透明度が高く、その美しさは神秘性を帯びている。


(まさかかの有名な戦国大名、高野秀水の隠し湯だったと語り継がれる湯に市井の民草が入浴できる時代が来るとは……秀水が存命ならさぞたまげたであろう)


 と松野は地元の過去の偉人に思いを馳せながら湯を堪能する。


『かじかの湯』浴槽の造りは地面を掘り下げた堀湯となっており、大人が4人入れば手狭になるほどの小さなものである。しかし浴槽は小さければ小さいほど新湯と入れ替わりは早まるのだ。浴槽の縁から勢いよく流れ出ていく湯量を眺めているとついつい松野の口許も綻んでしまうというもの。


 昨今はレジオネラ菌による死人が増加傾向にあるため保健所の指導も年々厳しくなり、塩素消毒を実施する入浴施設も増加傾向にあると聞く。公衆浴場衛生管理要綱のために昔ながらの湯治文化が時代の潮流と共に淘汰されるようなことがあってはならない。何とか今後も保全していって欲しいものだ。松野は湯船にゆっくりと浸かりながらそのようなことを考えていた。

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