43「空白の十年間」

 その日僕は、同窓会へと向かっていた。

 唯一愛した、初恋の人に会うために。

 まさか、それが彼女をとも知らずに。


   ◆


 久しぶりの再会を前に、僕は期待と不安で胸がいっぱいだった。寒空の下、ズボンのポケットに手を突っ込みながら、同窓会が開かれる会場へと足を運んでいた。

 中学を卒業して、十年が経つ。あれからみんなどう過ごしたのだろうか。いろいろな人の顔がおぼろげに浮かんでは、瞼の奥へと消えていく。同窓会などはっきり言って行く意味など感じなかった。特別に親しい友人もいなければ、会いたい人などもいなかった。

 ただ一人だけを除いて。

 その人に会うためだけに、僕は会場へと向かっていた。


 彼女は今どんな姿をしているのだろう。


 それは僕の初恋の相手。名は村雨むらさめ紗季さき

 彼女は、それはそれは美しかった。

 黒くて長いしなやかな髪。切れ長な眼に、整った鼻筋。

 華奢きゃしゃな彼女は軽く触れただけで壊れそうなほど繊細で、そして美しかった。きっと彼女のことが好きだった人は僕だけじゃないはずだ。


 一人で会場に向かう中、僕は彼女との思い出を回想した。


 あれは初めて彼女を見た時だった。忘れもしない入学式の日。桜の花びらがひらひらと舞う中で、慣れない制服に身を包み、新たな生活の始まりに気持ちが高まっていたあの瞬間。新入生が集められた中で、僕は彼女の姿をひと目見て恋に落ちた。初めて人を好きになった瞬間でもあった。


 学校生活では、僕の目は自然と彼女の姿を追っていた。

 幸運にも彼女と僕は、三年間同じクラスだった。授業中、僕はふと気づくと彼女を見つめていた。たまに彼女と目が合うと、彼女は嫌な顔せず目を細めて微笑みかえしてきた。僕はそれがとても恥ずかしくって、いつも目を逸らしてしまっていた。今思い出しても恥ずかしい。僕は彼女にからかわれていたのだろうか。


 彼女は見かけによらず運動が得意だった。細い手脚とは裏腹に、体育の成績は優秀だった。僕は何度か彼女の走る姿を見たことがある。軽やかに、そして颯爽と走る姿はまるでひょうのようで、その時に見せるしいあの表情かおは、えもいわれぬ美しさがあった。僕はつい見入ってしまっていた。


 彼女はとても賢かった。テストの成績はいつも上位に名をつらねていた。対照的に僕の成績はお世辞にも良いものとは言えなかった。だから僕は学力に関してコンプレックスを持っていた。そんな馬鹿の僕に対して、彼女は対等に接してくれた。決して哀れむことも無自覚に馬鹿にすることもなく振る舞ってくれた。そのことが僕はとても嬉しかった。


 彼女は人参にんじんが嫌いだった。給食に人参が入っていると、いつも皿の端に避けていた。頭も良く運動もできる彼女にも苦手な物があるのだと知り、僕はそれがたまらなく可愛らしく思った。

 ますます彼女のことが好きになっていた。


 彼女はウサギが好きだった。彼女のカバンには小さなウサギのストラップが付いていた。彼女に「それ可愛いね」と言うと、彼女は満面の笑みでその話をしてくれた。その時の話は今でもはっきりと覚えている。ネザーランドドワーフという種類のウサギで、彼女の一番のお気に入りの種類なんだとか。そしてそのストラップは父親と動物園に行った際に買ってもらったものだと言っていた。彼女はウサギを家で飼いたかったそうだが、母親が動物嫌いで飼えないそうで、その時はションボリとした顔をして僕に愚痴ぐちっていた。


 ある日僕は、彼女が野球部のエースでもあり部長でもある先輩から告白されたという噂を耳にした。その先輩はかなりモテているらしく、隠れファンも多くいたそうだ。そんな女に不自由しないような先輩がわざわざ彼女のもとへ行き、告白したらしい。僕は内心穏やかではなかった。だがそんな不安もすぐに収まった。どうやら彼女はその告白を断ったらしい。僕は心の中で盛大に喜んだ。だがそれも束の間、どうやら彼女には他に好きな人がいて、だから断ったらしいのだ。彼女はその人からの告白を待っているらしい。僕はその意中の相手がうらやましく、憎らしかった。


 中学生活はあっという間に過ぎ去った。僕は地元でもっとも偏差値の低い高校へと進学した。一方の彼女は、地元を飛び出して有名な私立高校へと進学した。卒業式の日、僕は彼女と少しだけ会話をした。

「これから離れ離れになるけど、もしどこかで会ったらまたいっぱいお話ししましょうね」

 僕は「うん」と頷いた。結局、彼女が好きな相手が誰なのか聞くことはできなかった。


 卒業してから彼女に会うことはなかった。

 月日は流れ、久しぶりに今日、彼女と再開する。

 僕はその空白の期間の中で、何度も何度も彼女のことを思い出してきた。

 人参を食べるたびに、彼女の嫌そうにしていたあの顔を思い出した。

 ウサギを見れば、彼女が楽しそうに笑ってウサギについて語ったあの姿が思い浮かんだ。

 夏の甲子園を見れば、彼女が告白されたあの日のことを思い出した。

 そうして彼女のことを思い出すたびに、僕は、彼女が今どうしているのだろうと勝手な妄想を繰り返した。

 僕の知らない誰かと過ごして、僕の知らない誰かと笑い合って、僕の知らない誰かと恋人同士になっているのだろう。

 彼女は美しいままだろうか?

 それとも醜く別人のようにえているのだろうか?

 いずれにせよ、それが彼女である。

 だから僕は、彼女がどんな姿で現れようと、どんな性格になっていようとも、それを受け入れようと思っていた。

 ありのままの現実を全てを受け入れようと思っていた。

 それなのに――。


 現実とは、こんなにも非情だったのか。


 彼女は現れなかった。

 会場につくと、懐かしい顔ぶれがいくつも見つかった。中学時代によくつるんでいた知り合いや、あまり話したことのなかった女子、クラスのムードメーカーだった奴などなど――。


 クラスいちおちゃらけていた新田にったは、驚くべきことに社長になっていた。小さな会社だが、いまのところ順調らしい。また、クラス一の童顔だった浜辺はまべさんは結婚していたし、子供まで作っていた。それも驚いたが、その相手が同じクラスメイトの笹元ささもとだったことにはさらに驚かされた。

 皆あの時の面影を残しながらしっかりと十年分歳をとっていた。

 そんな中で、村雨紗季──彼女だけが一人変わっていなかった。


 僕は知らなかった。知りたくもなかった。知らなければ彼女はまだ生き続けられたというのに。――その日、彼女は死んだ。


 村雨紗季は約十年前に、交通事故に遭って死んでいた。

 高校の入学式の日の事だったそうだ。

 彼女は一度も高校生活を送る事なく、この世を去っていたのだった。


 僕はこの十年間ずっと彼女のことを思い続けていた。何度も何度も彼女の日常を思い浮かべた。

 彼女はもうこの世にはいなかったというのに。



 僕の中で生き続きてきた彼女は、もういなくなっていた。

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