第3話-帰省二日目③
レジ袋にゴミを入れて、俺達は道場に向かって歩いていた。
今日は挨拶だけして帰るつもりだ。美冬も居るし稽古をする気にはなれなかった。
「道場ってやっぱり怖いのかしら……?」
「んー……、もしかしたらちょっと怖いって思うかもな」
一般人からしたら、道場って怖いイメージあるよな。少なくとも、気楽に顔を出せる場所ってイメージではないと思う。
「ふーん、そうなのね」
「まあ、大丈夫だよ」
俺の顔を見て怒鳴り散らす奴なんて、あの道場には居ないだろうし。
桐崎家とは違って、道場に向かう足取りは重くならない。中学卒業まで毎日のように行ってたし、それも理由の一つかもしれない。
「ついた」
「すごい……」
ふらふらと歩いていると、古風な屋敷の前に辿り着いた。
相変わらず厳格な雰囲気を漂わせているが、中でやってるのは稽古だ。断じてヤクザの根城じゃあない。
「えっと、入っていいの?」
「大丈夫」
気後れする気持ちもわかる。俺も初めて陵先輩に連れて来てもらった時に、めっちゃ焦ったからな。
あの人との出会いなんて、怖い以外無かったから余計にビビった。
彼女の手を引いて、屋敷の門をくぐった。四ヶ月ぶりだが、それなりに久しぶりに感じるな。
今の道場は、俺の記憶が正しければ、陵先輩のお父さんである善一さんが当主をやってるはずだ。
善一さんは今の時間は何処にいるんだ……?
取り敢えず稽古場に行ってみるか。
普段から稽古をしてた場所に、一番馴染み深い場所に向かった。
道場生に見つからないように、稽古場を外から覗く。うん、皆頑張ってるな。
子供から大人まで、沢山の人々が稽古に励んでいる。
善一さんの姿は見えない。だから、前当主の厳十郎さんの姿を探してみる。
見当たらないな……
「琉亜……?」
「居ないんだよなぁ……」
心配そうな顔をされて、思わず俺も首を傾げてしまう。
背筋にゾッと寒気が走った。
美冬を抱き寄せて、後ろに飛んだ。俺達が居た場所を木刀が横切った。
「厳十郎さん、急過ぎませんか?」
木刀を振った張本人を見て悪態を吐く。ったく、当たったらどうするつもりだったんだよ。
「ほっほっ、腕は訛って無いようで何よりだ」
白髪の厳つい顔で楽しそうに笑った。
「道場に通わない程度で、疎かにすると思いました?」
「まさか、琉亜の真面目さは儂がよく知ってるからなぁ。……それより、良いのか?」
「?」
厳十郎さんに促されて、美冬に視線を向ける。
……あ。
「だ、ごめんっ」
抱きかかえたままで、そのままにしてた。すぐに離した。
**
「……ん、だ、大丈夫よ」
丁寧に地面に降ろしてくれたから、私はゆっくりと地面に立つ。
彼の身体、大きくてごつかった……
心臓が飛び出そうなくらいにバクバクしてる。
「ほっほっほ」
そんな私達の様子を見て、白髪の御老人は軽快に笑った。
厳十郎さん……だったわね。忘れないようにしよう。
「琉亜、彼女は?」
「彼女は白石美冬、お付き合いさせて頂いてる相手です」
彼はいつもよりも丁寧な言葉で、私の事を紹介してくれた。
身体の熱は抜けないけれど、彼の紹介に合わせて頭を下げた。
「付き合ってる……だと?」
「はい、そうですが?」
目を見開いて驚く厳十郎さんに、それをケロッと流す琉亜は、さっきの出会いとは対極だった。
「なんだとぉぉおおおおお!?!?」
厳十郎さんは御老人に似つかわしくない叫び声をあげた。
**
「……そんなに驚きますか?」
厳十郎さんがそんなに叫ぶもんだから、ついつい、師範代に向けるべきではない視線をぶつけてしまった。
「驚くわいっ!! 長生きもしてみるもんだな……」
そこで長生きを実感するのか……
「それにしても、琉亜が美玲以外の女性に心を許す日が来るとは」
「それは……、俺が一番驚いてます」
口に出してみると、本当に有り得ないに等しい話だったはずだ。
「まあ良い。今日は何用だ?」
「陵先輩に挨拶だけしに来ました」
「"だけ"を強調するとは良い度胸だ」
「彼女も居るので、流石に長居するのは……と」
俺だけの事情だったら、軽く身体を動かして帰ってた。
「ん? 今日くらい待ってるわよ?」
すると、美冬が小首を傾げてそう言った。
「一回始まると長いんだ」
「別に良いじゃない。昔の琉亜が何をしてたのか気になるもの」
そう言われるとその気遣いを断れない……
「ほっほっほ。白石さんもそう言っとるし、少しくらい身体を動かして行け」
「……わかりました。って言っても、道着とか無いですけど」
「琉亜なら着替えなくても変わらんだろ」
「んな無茶な……」
道着じゃなきゃ出来ないとか、そんなヤワな稽古や練習をしてるわけじゃないが、前当主がそんなんで良いのか不安になるな。
「……美冬は良いのか?」
「ええ、もちろん」
美冬は美冬で、ちょっと楽しみにしてる気がした。
大人しく軽く稽古して帰るか……
**
琉亜が稽古場で他の人達に混じって稽古を始めた。
私はその隅っこで足を崩して、ゆったりとしていた。
最初は正座だったけれど、厳十郎さんが崩して良いと言ってくれた。
「お隣、良いかな?」
「はい」
厳十郎さんが隣に座った。
最初に木刀で殴り掛かって来たのを除けば、かなり良い人な気がする。雰囲気も高齢な方にしては話しやすいし。
「こんな別嬪さんを連れて帰ってくるとは……、彼奴も隅に置けんなあ」
「ありがとうございます」
厳十郎さんの言葉に素直に笑みを浮かべて返す。
「ふむ、非の打ち所が無いな。すまんが、琉亜について、少し聞いても良いかな?」
「はい」
変に言葉は並べずに、シンプルな返事だけをする。
「ありがとう。……琉亜は、学校ではどうだ?」
「普通だと思います。ただ、私は別の教室なので、詳しいことはわかりませんが」
涼さんや舞さん、それからクラスメイトとも仲が良いのは、先日の事情聴取で嫌という程に思い知らされた。
私みたいに、クラスで浮いているわけでもなさそう。
「別の教室なのか。琉亜が別の教室にまで行って声を掛けるなんて、うーむ……想像出来ん」
「住んでるマンションが同じで、それで」
「ほうほう。それはまた数奇な出会いよのぉ」
このお爺様、外見に反して精神が若い気がするわ。本当に面白楽しそうに私の話に頷いてくれる。
「聞いて良いのかわからぬが、出会いはどうだったのだ?」
「私がマンションの鍵を無くしてしまって……それで」
「琉亜がそれで家にあげたのか?」
「はい。あげて頂きました」
厳十郎さんは口をあんぐりと開けて、稽古場で身体を動かしている琉亜を見た。
「彼奴が?」
「はい」
「いや、琉亜は例え女性が困ってたとしても助けない男だぞ」
「えぇっ……?」
思わず驚きの声をあげてしまった。そんな食い気味に言われるとは思わなかったから。
「彼の中学の同級生が言うには、積極的に女性を避けていたらしいし、道場に居る女性の門下生にすら近付きすらしないのだぞ」
「えぇ……??」
そこまで酷かったなんて、流石に初めて聞いたわ。
私と出会う前からずっと、高校では変わろうと決めていたのね。
「高校ではちゃんと女性の方とも会話してますよ。苦手そうな雰囲気は出してますけど」
だから、彼のフォローをしておいた。
「それは君の姿を見ればわかる。そうか、琉亜も前に進み始めたのか……」
厳十郎さんは感慨深そうに呟いた。
琉亜が虐待から抜け出すために、最初に頼られた大人が厳十郎さんだと聞いた。
だとしたら、彼が虐待から解放されてから、今までずっと見守ってきたのだろう。
彼の近況が気になるのは当たり前だと思えた。
「儂も前に進まねばな……」
その言葉は私に向けてのモノではなく、何処かへ消えて行った。
「武術って、楽しそうですね」
琉亜が普段よりも少しだけ活き活きとしていて、これは好きになった代償なのか、彼がやっていることだからなのか、とても面白そうに見えた。
「ほう、白石さんもやってみるか?」
「興味はあります。続くかは……」
私の意思ややる気の問題もだけれど、それ以上に、そもそも夏休みが終わったら、暫くここに来ることは無いのだから、続けるのは限りなく難しい。
「良い良い、最初は何でも興味からだ」
厳十郎さんは外見に似合わずに大らかで、ちょっとくらいならやってみても良いかも、と思った。
**
「終わった……」
真夏日に久しぶりの稽古をやった。今までずっと自主練ばかりだったから、前に稽古した時よりも疲れた。
真夏日に久しぶりにってのも、こんなに疲れる要因の一つかもな。熱いってだけで、体力以上に精神的にやられるからな。
「お疲れ様」
ぐったりしてると、美冬が後ろから顔を出した。
「……汗かいてるから」
ちょっとだけ嫌だった。
「気にしないわよ」
……気にして欲しい、とは思ったが、彼女にそう言われると、無理に拒絶するのも違う気がする。
「武術って楽しい?」
美冬はぽつりとそう言った。
「んー……、どうだろうな」
「あら意外ね」
彼女は拍子抜けした声を発した。俺はあくまで、陵先輩に教わったモノを更に精錬したいだけだからな。
あの人みたいに、自分の大切なモノを選べる人間で在りたいんだよ。
「……ねえ、琉亜」
「ん?」
息をのんで、彼女はこっちを見つめてきた。
「私も明日から、稽古をさせてもらうことにしたの」
……どういうこと?
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