第130話 妄執

 それはある日の朝の事であった。その日もまた、ガインはいつも通り自身が隊長を務める討伐隊と共に魔神族の侵攻に赴き、まずまずの戦果を上げてギルドへと戻ってきていた。


 しかし、状況がいつもとは少し違うということがギルド内の慌ただしさから察することができた。なにやら嫌な予感がしたガインは討伐隊の報告も忘れ、必死に書類作業に取り掛かっている顔見知りのギルド員に話しかけることにした。


「少しいいか?」


「あっ、ガインさん! 無事でよかった!」


 無事でよかった、なんて言葉はいつもかけられている。しかし、自身を見上げたギルド員の目がどこか潤んでいることをガインは見抜いていた。


 そして、誰かがこの侵攻で亡くなったのだろうという事もこの時点で察しがついてしまった。魔神族との戦いでは人が亡くなるのはあってはならないことなのだがよく起きてしまう事ではあったのだ。


「それで……誰が亡くなったんだ?」


「……イライザ様です」


 ガインは一瞬、理解が追いつかなかった。聞き間違いではないかと自身を疑いもしたが、ギルド員の口からははっきりとイライザという単語が出てきていたことを数秒後に認識することができた。


「イライザだと!? そんな馬鹿な! 彼女が負ける筈がない! それこそ七罪魔王しちざいまおうが現れたとしても!」


「現れたのは魔王ではありません。です」


「魔、神だと……」


 魔神が現れた、それは今までの侵攻では有り得ないことであった。魔神は基本、本拠地から動かないためである。


 ガインはそのことを知っているのともう一つの意味で絶句していたのだ。それは現状、人類側と断定できる勢力で最も強いイライザが魔神に敗北したという事だ。


 神出鬼没の黒の執行者が得体のしれない者であると考えているガインからすれば、それは人類が魔神に敗北することを意味していた。


「突然、魔神が戦場に現れて暴れはじめたらしいです。イライザ様もその際に……」


「……そうか。イライザがまさかな」


 今でも信じられない、そう言いたげに俯きながら呟くと、ありがとうとギルド員に伝え、足早にその場を去る。


 ザッザッザッと地面を踏みしめながらガインはイライザの事を考える。そうして自分がそれほどイライザに執着していたことに今更ながらにガインは驚く。今までは単なる競争相手だと強がっていたが、実際はあの強さに憧れていたのかもしれない。


「そうか、イライザが負けたであるか」


 宿にある自身の部屋にたどり着くとベッドに腰掛け呟くガインの目はどこを見ているのかも曖昧で曇っているようにも見える。ガインは何を思っているのか、それはガインにも分からない。ただはっきりとしているのは魔神への強い憎しみとイライザを超えるにはもう魔神を倒すしかないという思いであった。


「俺が魔神を倒す……か。そんなものはイライザの役目だと思っていた。だがそのイライザは負けてもういない。ならば俺が、いや、が倒すしかないであるな」


 神を倒すのであれば神にならねばならない。それは一人称を我に変えることでより鮮明にガインの頭に焼き付いた。それに不思議と自身を我と呼ぶことで急に強くなった気がしたのである。そのおかしさと奇妙な心地よさからガインはフッと笑みを零したのであった。



 ♢



「おい! 朗報だ! 魔神が封印されたぞ!」


「マジか! やっとこのくそったれな戦争の日々から解放されるのか!」


 国中でそんな喜びの声が聞こえる中、ガインは一人、嬉しいような悔しいような気持ちが入り混じった表情をしてその喧騒を眺めていた。


「魔神が封印された……であるか。それも黒の執行者と皇后陛下の手で」


 本当は自分の手で魔神を倒したかった。それは戦争が続く日々を終わらせたいという思いからだけではなく、イライザを超えたいという思いもあった。


「だが封印されたのならまだわけではないのである。ならばまた復活させれば今度こそ我が……」


 そう言うとガインは人類の勝利を祝う人々の前から姿を消す。そこか暴走した妄執とともに。


 数年後、あるSランク冒険者が魔神教団に入団したというニュースが世界中に流れる。その人物を知っている者は皆口を揃えてどうしてそんなことになったのか分からないと言い首を傾げる。それもそうだろう。彼の思いはいつも語られることはなかったのだから。

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