夏真っ只中の昼下がり、俺は冷房の効いた電車に一人で揺られていた。

 夏真っ只中の昼下がり、俺は冷房の効いた電車に一人で揺られていた。


 理由はもちろん、前日の約束を果たすためである。


 千歳皐月に指定された勝負の会場。どうやらそこは彼女の地元の公園らしく、その最寄り駅で待ち合わせをすることになった。


 高校は同じだったものの、俺と千歳の家は電車を乗り継いでいかなければならないほど離れていた。お互いに地元と呼べる地域は異なっており、俺はその駅周辺の土地勘がまったくなかった。


 とりあえず、俺は午前中を家で勉強して過ごし、昼飯(確か素麺。夏はだいたいそうだった)を食べた後、暑い中でも比較的動き回れそうな服に着替えて真夏の外へと繰り出した。


 依然として何をするのかも知らされないままだった。とにかく遅れないように待ち合わせの駅へと移動していた。


 見慣れない車窓。ぼうっと眺めていたらその駅の名前がアナウンスされた。


 電車が到着し、降りてホームの階段を上がる。


 すると、改札の先で白いスポーツウェアを身に纏った千歳が待っていた。


「先輩、遅いですよ! 尻尾を巻いて逃げ出しちゃったんじゃないかと思っていたところです」


 彼女のもとへ小走りで近づいたところで、初っ端から不適な笑みとともに先制「口撃」を食らわされた。


「はい、これ持ってください。ここまではわたしが運んできたので、ここからは先輩の担当です」


 間髪入れずに、千歳は地面に置いていた大きなバッグを俺のほうへ差し出してきた。


 俺はそれに目を向け、すぐにはっと気づく。そこに書かれているブランド名やそのバッグの形状等には偶然にも心当たりがあった。


 瞬時に、俺はこの日行われる勝負の内容を把握してしまった。


「これにバドミントンのラケットとシャトルが入ってます。今日は公園でバドミントン対決です。ラケットもちゃんと二本あるので安心してください」


 千歳は自慢げにバッグの中身を見せながら解説する。その姿は写真に収めておきたいくらい晴れやかだった。


 けれど、俺の表情は逆に強張っていたらしい。


「先輩、どうしたんですか? もしかして戦う前から怖じ気付いちゃいました?」


「いや、別に。これ持てばいいんだな?」


 確認にならない確認をし、俺はラケットバッグを手に取って肩に掛けた。


 適当に歩き出そうとした俺を見て、千歳は「あっ」と言いながら引き留めた。


「逃がしませんよ。ちゃんとわたしと勝負してくださいね」


 からかいの言葉と笑みを向けつつも、千歳の瞳には思案の色が浮かんでいた。


 こんなところで心配されていてはせっかくの息抜きが台無しになってしまう。そう思って、俺は気合いを入れるように宣戦布告した。


「言っておくけど負けるつもりはない」


 必要以上に負けん気が出てしまった。変に意識しすぎたせいかもしれないと後悔の念が襲った。


 だが、千歳は挑発的とも取れる俺の発言に対し、ふっと鼻で笑って対抗してきた。


「あまりわたしを舐めないほうがいいですよ。自信があるから勝負を挑んでいるわけですし」


 腕っ節の強さを誇るようにえいっと右腕を曲げて力こぶを作る。筋肉質とは縁遠い細い腕なのでそれほど説得力はなかったが、まるっきりはったりではないことは状況が示していた。


「それくらいわかってるよ。良い道具が揃ってるみたいだし」


 持たされたバドミントン用具。それらは部活動で買わされるような本格的なやつだった。昔、俺の家にも似たようなものがあった。


 高校一年生の入部直後に購入し、すぐに使い手を失って用済みとなり、しまいには捨ててしまったが。


 暗い出来事を思い返していると、千歳は遠慮がちに呟いた。


「まあ、姉のを勝手に借りてきたんですけどね。バドミントン部だったんです。わたしは入りませんでしたけど。でも、姉とは小さい頃よく二人で打ち合ってたんで」


「なるほど。お姉さんの影響ってわけだ」


「はい。姉は一応、中学時代に部内でエースだったみたいなんで、同じDNAを持ったわたしならそれなりに戦えると思います。バトル漫画のキャラクターでも血統が大事ですからね」


 千歳は冗談っぽく口角を上げて笑ったが、どこか嫌な真剣さを伴っていた。


 面差しを変えず、彼女は言葉を続けた。


「でも、その姉もわたしの年には早々にやられましたけど」


「誰に?」


「敵」


「敵ね」


 何言ってんだよ、という感想が浮かばなかったと言えば嘘になる。


 バドミントンの話をしていたと思ったのに、いつの間にか話の内容がすり替わってしまっていた。


 いやあるいは、話題が転換したというのはこちら側の勝手な思い違いで、千歳はずっと同じことを証言し続けていたのかもしれない。


 結論は出なかった。


 けれど、彼女が度々口にする『敵』というものに対して、俺はこの頃から漠然としたイメージながらも存在を認めつつあった。


 その後、公園へと歩いて向かいながら千歳との会話は続いた。


「先輩は兄弟いるんですか?」


「兄が一人いる」


「へぇー、どんな人なんですか?」


 訊かれたので、とりあえず特徴を考えてみた。


「どんな人って言われてもな。まあ、弟の俺と比べたら優秀だよ」


 そう前置きしてから、優れていると思うポイントをいくつか挙げてみた。


「通ってた高校も俺よりランクが上だったし、大学も偏差値高いところに現役で受かったし、今は社会人なんだけど入った会社も誰でも知っているくらい有名だし」


「ふうん。そんな感じなんですね」


 ますます興味を抱くかと思ったが、千歳は意外にも冷たくあしらうような声音で切り捨て、つまらなそうな顔で足元の小石を前に蹴った。


「敵にやられましたね、それは」


 軽い音を立てて飛んでいった石は、暗い側溝へと吸い込まれていった。


「敵ね」


 何言ってんだよ、とまたしても思った。


「そうかもな」


 けれども今度はふっと吹き出して、俺はゆっくりと天を仰いだ。


 晴れ渡った夏の青空が嘘みたいに綺麗だったことだけは覚えている。

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