第二十話 石英 前編
大学が春休みの期間に入ってから、花梨はほとんどの時間を槐の店で過ごしていた。当然、それはアルバイトとして働くためだ。
そうした結果、倉庫のようだった店もそれなりに片づいて――とまではいかないが、とりあえず置かれていたものは仕分けされ、場所を確保するくらいはできている。とはいえ、店としての体裁を整えるには、まだまだ時間がかかるだろう。
ともかく、ここにある石を売るためには、何があるかを把握するところから――ということで店の整理を始めたのだが、これが思っていたよりも大変だった。
部屋を占拠している箱のうち、それごとにひとつの石が分けられているようなものはまだいい。厄介なのは、何もかもが雑多に――鉱物も岩石も全てが一緒に――入れられているような箱があることだ。
これを売りものにしようとするなら、ひとつひとつ何の石かを判別しないわけにはいかないだろう。しかし、そんなことをしていては時間がどれだけあっても足りない。ただでさえ、花梨はひと目で区別できるほどには、石についてくわしくはないのだから。
さて、どうしたものか――と考えながらも、花梨がいくつかある箱のひとつをのぞいていると、それに気づいた槐がこう言った。
「それはいわゆる、ズリ
「ズリ石?」
花梨が問い返すと、槐はさらにこう説明する。
「鉱山で鉱石などを採掘する際に出る不要な石をそう呼ぶのです」
「不要な石、ですか」
花梨はあらためて、箱の中にある雑多な石に目を向けた。
そこにあるのは道端に転がっていてもおかしくないような石ころが大半だ。しかし、その中にもきらりと光るものは――水晶だろうか――いくつか見えるのだが。
槐はこう続ける。
「鉱石は資源として利用される鉱物や岩石のことですね。特定の鉱石を採掘するための鉱山では、それ以外の石は不要なものと見なされてしまいます。そういった捨石はズリ、あるいはボタなどと呼ばれていて、鉱山坑付近に山積しているんです」
それを聞いていた桜が、運んでいた箱を下ろしながら、こう言った。
「ズリ石なんかは売り物になる石なんてあまりないんじゃないですか? 柾さんが石と見れば何でも持ってくるものだから……そのわりには、ほったらかしなんですよね。あの人」
柾は槐の叔父――つまり椿の父らしい。この人も石好きとのことだが、そうして持ち込まれた石を見る限り、どうも大雑把な人物のようだ。店にある雑多な石の多くは、その人が集めたものとのこと。
桜が言うには、埋もれてしまっている中にはもう少しましな扱いの収集品もあるそうだが――それらは、鉱物採取が趣味だった槐の祖父のものだそうだ。こちらなら、ひとつひとつ採取地を記したラベルが添付されているので、見ればわかるだろう、ということだった。
ともかく、そういった現状を考えれば、売れる石から先に売っていった方がいいのかもしれない。花梨がそんなことを考えていると、そのときふいに、表の格子戸が開く音がした。
花梨と槐と桜と――この場にいる三人が、そろって通りの方へと目を向ける。皆が見守る中で、おずおずと顔をのぞかせたのは――
「こ、こんにちは……」
控えめなあいさつと共に、中に入ってきたのは百合だった。
「こんにちは。百合ちゃん」
「花梨さん!」
百合は花梨と目が合うと、こわばった表情をぱっと明るくさせた。そうして、うしろ手で戸を閉めると、すぐに花梨の元へとかけ寄る。
その途中、箱の中にあるもの気づいた百合は、大きく目を見開いた。
「わ。すごいですね。これ全部石ですか?」
そうして室内を見回した百合は、ふと部屋の隅にある石に目を止めて――小さく、あ、と呟いた。
「かんかん石……」
積み上げられたダンボール箱に囲まれながらも、かろうじて確保された空間に、古めかしい文机がぽつんと置かれている。この机は、店の奥で埋もれていたものをどうにか掘り起こしたものだ。
机の上には、いくつかの石が並べられている。石燕、異常巻アンモナイト、玄能石、それから割れた火打ち石も。花梨にとっては見覚えのない黒い大きな牙のような石や、薄い板が重なったような石もある。そして、そのとなりには確かにかんかん石も置かれていた。
それを目にした百合は、しばし無言になる。花梨は少しだけ心配になって彼女の表情をうかがった。かんかん石は、百合にとってつらい記憶と結びついているだろうと思ったからだ。
しかし、そのことに気づいた百合は、花梨に向かって笑ってみせる。
「大丈夫です。その……これのこと、自分のことを守る武器みたいに思ってたこともあったから。うっかり落として、花梨さんにまで怪我させてしまったけど……だからこそ、これを見ても嫌とかじゃなくて、何となく気合いが入るというか」
百合のその言葉に嘘はないようだ。少なくとも、花梨にはそう思えた。そのことに、花梨はいくらかほっとする。
「そっか。でも、ここに入ってくるときも、何だか元気がないみたいだったから」
花梨がそう言うと、百合は慌てて首を横に振った。
「それは、その……違うんです。何と言いますか」
百合は注目されていることに照れながらも、その理由についてこう答えた。
「何度か来たことはあるんですけど、ここの通り、似たような建物が並んでいるから、この場所で合っていたかどうか不安で――」
確かに、槐の店がある通りは同じような町屋が並んでいるので区別がつきにくい。それでいて店には看板もないから、うっかり知らないところに入り込んでしまうのでは――と心配する気持ちは、花梨にもよくわかった。
しかし、そもそも住人である槐や、外に出ない桜にはあまり実感できないことかもしれない。彼らはお互いに顔を見合わせていたが――それでも槐は何やら考え込んだかと思うと、こんなことを話し始めた。
「そういえば、磬石――かんかん石は、叩くための棒と一緒に門前に吊るして、呼び鈴代わりにしていたようなところもあったとか……」
へえ、と感心したような声を上げながら、百合はあらためて、かんかん石の方へと目を向ける。
叩くと、かんかん、と澄んだ高い音を鳴らす石。この石が、そんな風に身近に使われていたとは、意外だが――少しおもしろい。
そんなことを考えながら、花梨も一緒になってかんかん石をながめていると、槐はこんなことを提案した。
「そうですね……これからは、うちでもかんかん石を吊るすようにしましょうか。呼び鈴代わりに――というわけではないですが、店を訪れる人も増えましたし、開いていることを知らせる印として。その方がわかりやすいでしょうから」
それを聞いた百合はしばしきょとんとしていたが、すぐに笑みを浮かべた。
「それなら、これからはこの石を目印に来られますね。私、これなら絶対に間違いませんから」
槐はかんかん石を手に取ると、どこに吊るすかを桜と相談し始めたようだ。そうしているうちに、花梨はそれまでの作業を片づけて、通り庭へと下りて行く。
「それじゃあ、槐さん。百合ちゃんと行って来ますね」
花梨がそう言うと、槐は桜との話を止めてうなずいた。
「ええ。主催の方に、よろしくお伝えください」
その言葉にうなずき返しながら、花梨は百合を連れて表へと出て行く。そうして、花梨たちが向かったのは――
* * *
その日、空木が向かったのは例の店だった。
通りには似たような町屋が並んでいるので、少し見ただけでは区別もつきにくい。とはいえ、探りを入れていた空木にしてみれば、その場所はさすがに間違えようもなかった。
しかし、そう思って格子戸を開けようとした、そのとき。傍らに見覚えのないものが吊るされていることに気づいて、空木は思わず動きを止める。
麻紐で結ばれていたのは黒く細長い石だった。この場所に、こんなものがあっただろうか。いったい何の意味があるのだろう。まさか、何かのまじないか――
そう思った空木は、その石にうろんな目を向けながらも、こうたずねた。
「こいつも、おまえのお仲間か?」
「残念ながら違うよ。空木。石という点では同じだが、私のようには話せない」
答えたのは日本式双晶だ。
吊るされた石を不審に思う傍らで、別の石とは普通に会話する――というのも、よく考えると妙な話だ。とはいえ、日本式双晶を名乗るこの石は、その名を明かしてからこちら、空木にことあるごとに話しかけてくるようになっていたから、それも仕方がないことだろう。話す石の存在には、空木もすっかり慣れてしまっている。
それにしても、この日本式双晶なる石――話かけてくるのはいいが、どうもすかしている感じがして苦手だ――と、空木はひそかに思っていた。今のところ、面と向かって指摘するつもりはないが。
とにかく、その――吊るされているだけのただの石を横目に見つつ、空木は思いきって店の格子戸を開けた。訪いを告げながら中に入ると、いつかの日にも真っ先に姿を現した、あの青年に出迎えられる。
空木が何か言うより先に、日本式双晶は彼に向かって、こう声をかけた。
「やあ。桜石。今日の訪問は、槐にも知らされているとは思うが」
「それはそうですけど……」
青年は姿なき声に平然と答えながらも、空木のことはうさんくさげに見返してくる。どういうわけだか、空木はこの青年に嫌われているらしい。全く身に覚えがないのだが――それはそれとして。
「ん? 桜、石?」
「そうだよ。彼も石だ」
日本式双晶の言葉に、空木は思わず目の前の青年をまじまじと見つめてしまった。彼も石だ、とはどういうことだろう。どう見ても人にしか見えないのだが。
吊るされていた石は仲間ではなく、この人の形をしたものが石だとか。もはや何が何だか。
空木の混乱に冷ややかな目を向けつつも、青年はあらためてこう名乗る。
「どうも。桜石です。普段は桜と呼ばれてますので」
桜石――もとい、桜はそう言った。
そうした発言だけでは、彼らが冗談を言っているのか、そうでないのか、空木にはいまいち判断がつかない。ともあれ、石が話す以上の驚きなどないだろう、と思っていたことについては、どうやら空木の考えが甘かったようだ。
そうして空木が呆気にとられているうちに、通路の向こうから誰かが近づいて来るのが見えた。姿を現したのは、この店の主――音羽槐。
相変わらずこなれた着流し姿の彼は、空木に深々と頭を下げたかと思うと、こう言った。
「ようこそ、お出でくださいました。しばらくご連絡もできずに、申し訳ございません。こちらも少々、立て込んでおりまして」
「それは、まあ……こっちでも、いろいろと事情があったもので」
空木から連絡をしなかったのは、国栖の葉のことがあったからだ。彼女のことについては問われない限り黙っているつもりだったが、日本式双晶はそのことを知っているはずだから、あまり意味のないことかもしれない。
案の定、槐は隠すことなくこう言った。
「日本式双晶を通じて、いくらか知らされております」
その存在は言わずもがな、日本式双晶を送り込み空木の身辺を探っていたことについて、相手はごまかす気もないようだ。とはいえ、空木としても今さらそのことについて、どうこう言うつもりはない。空木の方でも似たようなことはしていたのだから。
空木が特に反応を示さなかったからか、槐は淡々とこう続ける。
「とはいえ、こちらもいろいろと確認したいことがあるのですが――その前に、どうしても会って話をしたいと言っている石がおります。よろしいでしょうか」
その言葉に、空木は思わず顔をしかめた。
空木に会いたいという――石。
日本式双晶いわく、彼自身を空木に渡るよう仕向けたのは、その石だと言う。それがどんな石かは知らないが、そもそもなぜ空木なのだろう。石に嫌われるようなことをした覚えはないが、好かれるようなことをした覚えも当然ない。
とはいえ、会いたいと言うからには、会ってやろうとも思っていた。そんなことを言う石自体にも、興味はある。
そう思って空木がうなずくと、槐は通路の先を示して歩き出した。中に入るのは二度目なので、空木もためらうことなく彼のうしろをついて行く。
坪庭に出ると、初めて訪れたときに通された座敷が見えた。その先にある玄関から中に入り、また座敷に通されるのかと思えば、そちらとは別の方向に廊下を曲がって行く。
そうしてたどり着いたのは、行き止まりにある小部屋だった。入り口は開き戸で、中は洋間になっているようだ。
「それでは――」
空木を先に通したかと思うと、槐はそれだけ言って、さっさと立ち去ってしまった。どうやら同席するわけではないらしい。空木は呆然としてそれを見送ったが、もはやその姿も見えなくなると、気を取り直して室内へと目を向けた。
中は妙に薄暗い。明かりは点いていないし、カーテンもすべて閉めきられている。暗がりに目が慣れた頃に照明を探して視線を巡らせたところで――空木は思わずその動きを止めた。
三方の壁にいくつもの棚か据えつけてある。そして、その棚の上にあったのは、あらゆる姿、形の――
石だ。
棚の上にきちんと並べられていたのは無数の石。そのひとつひとつが、おそらくは違う種類の石だった。普通ではあり得ない、異様なその光景に――空木は圧倒される。
呆けていた空木に声をかけたのは日本式双晶だ。
「ひとつひとつ紹介していては、時間がかかってしまうから、そこはおいおい、ということにしておこう。ひとまず、ここにあるものたちが皆、君の言うところの、私のお仲間――ということになる」
その言葉に、空木は思わずうなり声を上げた。つまりは、ここにある石はすべて、日本式双晶のように話す石、ということになるのか。
心を持つ石たち。ざっと見て五十くらいはあるだろうか。そんなものたちに取り囲まれているかと思うと、とてもではないが心穏やかにはいられない。
石の存在に気圧されて空木がしばらく言葉を失っていると、ふいにどこからか声が聞こえてきた。
「さて、お初にお目にかかる――と言いたいところだが、君はまだ僕の姿を見てはいないか」
それは、日本式双晶とはまた別の声だった。空木が戸惑っている間にも、声はこう続く。
「とにかく、君をこの場に呼んだのはこの僕だ。まずは、初の対面といこうじゃないか。君の目の前に正方形の木箱があるだろう。それを開けてみてくれたまえ」
有無を言わさぬ要求に、空木はどうするべきか――と考えもしたが、ここまで来て怖じ気づくわけにもいかない、とも思っていた。だからこそ、その声に従って、空木はひとまず前方へと視線を向ける。
部屋の中央にはサイドテーブルが置かれていて、その上にはふたつの箱が並んでいた。ひとつは平たい寄せ木細工の箱。しかし、声が示したのは、おそらくこちらの方ではないだろう。
もうひとつは桐の箱。両の手のひらにおさまる程度の大きさの、立方体の箱だ。少し古びているようだが、あざやかな紐が結ばれ封がされている。
空木はその箱に手を伸ばした。紐の端を軽く引いただけで、蝶結びはするりとほどけていく。天板の蓋を持ち上げて、のぞき込んだ中にあったものは――
「人はそれを初めて見たとき、とけない氷だと考えた者もいたという」
姿なき声はそう語る――とけない氷。そこにあるのは確かに透明な何かだった。指先でそっとふれてみると、ひやりと冷たい――が、空木は同時に、これが氷ではないことを確信する。
外した蓋を傍らに置いてから、空木は中にあるそれを慎重に持ち上げた。出てきたのは、透明でなめらかな球体。これは――
「鉱物名としては石英だが、その中でも結晶を成した透明なものは水晶と呼ばれて区別されている。ただ、この名称については取り違えられただの、そうではないだの、面倒な問題があるのだが――それについては、今は置いておくことにしよう」
何の話なのか、空木には言っていることの半分もわからなかったが――ともかく、空木が手にしたこれは、やはり水晶玉なのだろう。占いなんかに使われる――いや、実際にどう使うのかは、知らないが。
そんなことを思いながら、手のひらの上にある水晶玉を見つめていた、そのとき。ふと、視界の端に人影があることに気づいて、空木は思わずぎょっとした。
部屋の中には誰もいなかったはず。しかし、目を向けてみれば、サイドテーブルに寄りかかるようにして、確かに誰かがそこにいる。目の前のものに気を取られていたとはいえ、いつの間に現れたのか――
ひと目見たその瞬間から、空木はそこにいる者が人ではないことを確信していた。まとう空気が、人のそれとは明らかに違っていたからだ。
氷のように透き通る白。それが、彼に対して最初に抱いた印象だ。しかし。
「やあ」
と、見知らぬ青年は不敵に笑いながらも、思いがけず気さくに声を上げた。空木は呆気にとられてしまう。
しかし、そんな空木の反応を気にする風もなく、唐突に現れた青年はこう続ける。
「というわけで、僕の名は石英。見てのとおりの水晶玉だ。しかし、ただの水晶ではない。よく見たまえ。球体の内部にうっすらと白く結晶の形が見えるだろう?」
石英と名乗る青年がじっと見つめてくるので、空木は言われるままに水晶玉をのぞき込んだ。手にしたそれは無色透明の球体――だと思ったのだが、よく見ると、その中心には先端の尖った六角柱――水晶というと、まず思い浮かべるその形――が幻のように淡く浮かんでいる。
石英はそれについてこう説明した。
「水晶が結晶する途中で成長を止めたとき、他の物質などを取り込むことがある。そのまま再び成長すると、内部にそのときの姿が残るんだ。これは幻影水晶、あるいはファントムクォーツなどと呼ばれている。僕はそれを内包した水晶玉なのだよ」
得意げに話しているが、いまいちすごさがわからない。珍しいものなのだろうか。
空木は目の前の水晶玉と青年をまじまじと見比べた。ともかく、彼の言葉を信じるなら、ようするにこれは――
「つまり、日本式双晶があの変な形の水晶であるように、おまえはこの水晶玉ってことでいいんだよな」
言葉を失っていた空木は、そこでようやく口を開いた。石英はにやりと笑ってうなずく。
「そうだよ。空木」
こちらの名前はすでに知られているらしい。ならばあらためて名乗る必要はないだろう。
そう考えた空木は、まずは疑問に思ったことについて、こうたずねた。
「それから――これは確認なんだが。この水晶玉がおまえだとして、たった今、俺が言葉を交わしている、目の前のおまえは何なんだ?」
石英はけげんな顔をしている。人ではない、という印象に違いはないのだが、そういった表情や仕草は思いのほか人らしい。
石英は首をかしげたかと思うと、自分の姿を軽く見下ろしてから、肩をすくめてこう答えた。
「うん? ああ――この姿のことかい。こちらは仮の姿だよ。この方が話しやすいだろう? とはいえ」
石英はそこで、空木が持つ水晶玉へと目を向ける。
「本来の僕はこちらなのだが――こんなに素晴らしい姿だというのに、皆はなかなか、僕のことを外に出してはくれなくてね。重いだとか、持ちにくいだとか、落としそうで怖いだとか言って」
確かに――水晶玉は拳よりひと回り大きいくらいで、ずしりと重い。空木にはこういった石の価値はよくわからないが、これだけの大きさの水晶――それなりに高価なのではないだろうか。うっかり傷をつけてしまう前に、早く元の箱に戻してしまいたかった。
というより、すでに対面は済んだのだから、もはやこうして持っている意味もない気はする。そう思った空木は、無言で水晶玉を箱の中へと収めた。石英は少し不満そうだったが、何も言わずにそれを見守っている。
空木が箱に蓋をして、元どおりに紐を結んだところで、話を切り出したのは石英だった。
「それで、ここからが本題なのだが」
その言葉に、空木はあらためて石英――当然、青年の姿の方だ――に向き直る。
この石英を名乗る水晶玉こそが、空木に会いたいと言っていた石らしい。だとすれば、これでようやく空木が呼ばれたその理由を知ることができる。まさか自分の姿を見せるためだけに空木を呼び寄せた、ということはあるまい。
そうして身がまえる空木に、石英は意味深な笑みを浮かべたかと思うと、こんな言葉を投げかけた。
「双くん――日本式双晶が君に見せる力を示したように、僕には僕の力がある。何だと思う?」
まさかの問いかけに、空木は顔をしかめた。本題に入るのではなかったのだろうか。迂遠な言い回しに空木は思わず呆れてしまっていたが、石英はどこか楽しげだ。
今までにも思っていたことではあるが、ここの連中は人ではないわりにはどうにも気安い。とはいえ、空木が話をしたのは、まだこの石英と日本式双晶と――あとは桜石、か――くらいだが。
空木はため息をついてから、こう答える。
「そもそもの話だけどさ。俺はこいつが――あー……日本式双晶が何を見せているのかすら、わかっていないんだが。いったい何なんだよ。たまに見えた、あの変なものは」
石英は訳知り顔でふむと呟く。
「双くんが君に見せたもの、か。あれはなかなか説明が難しい。まあ、僕と双くんは近しいからね。だからこそ、力も少し似ているかもしれない。僕が見えるようなものを一部だけ見せている、といったところかな。一部だから、多少は歪んで見えるんだよ。ちなみに、僕の力は過去、現在、未来――そこにあった事象、あるいは、あるかもしれない事象を見ることができる、というものだ」
勿体つけたわりに、石英はあっさりとそう言った。空木もうっかり聞き流してしまいそうになったほどだ。しかし、よくよく考えてみれば、何かとんでもないことを言ったような気もする。
そう思って、空木はこう聞き返した。
「未来を見ることができる、だって?」
にやりと笑う石英に、空木は思わず妙なうなり声を上げた。
それが本当であれば、確かにすごい力なのだろう。とはいえ、空木にはそのことが自分とどうつながるのか、どうにもぴんと来なかったのだが。
そうした心の内を見透かしているのか、石英は空木に向かって、笑いながらこう答えた。
「しかし、これがなかなか扱いにくい力でね。ただでさえ、見るものは選べないというのに、どうも――その見える未来というのも、まだ定まってはいない不確かなものらしい。だからこそ、それが見えたとして、役に立つかどうかは全く別の問題なのだよ」
空木は、はあ、といまいち気のない返事をした。
それは興味がないとか、意味がわからないとか、そういった心情からではない。それが事実だとして、なぜ空木にそんな話をするのか。そのことが気になり始めていたからだ。
何だか嫌な予感がする。しかし、空木の不安など気にする風もなく、石英はこう続けた。
「僕は常々思っていたんだ。この力。ただ無為に見ているだけでは意味がない。特に、未来を見る力は不安定だから、現状を正しく知らないと、その本質をたやすく見誤る。だからこそ、多くの事実を確かめなければならないのだが、そのことを槐に頼もうにも――」
石英はそこで一旦話を止めて、サイドテーブルの上に置かれた寄せ木細工の箱を軽く叩いた。何だかわからないが、何となく不遜なことをしている気がする。
そんな空木の心配を知ってか知らずか、石英はその箱に冷ややかな視線を向けながら、こう続けた。
「ここにいるお目付け役が、危険だ、とか言って、許しちゃくれなくてね」
やはりそこにも石はあるらしい。おそらくはそういうことだろう。だとすれば、その発言は少し嫌みたらしい気がしなくもないが――ともかく。
ここまでくれば、空木にも彼の言わんとするところがおぼろげながら見え始めていた。不確かな未来。それを確実なものにするためには、情報が必要ということだろう。そして、石英はそのための協力者が欲しいらしい。
そうした現状で、空木が呼ばれたということは――
「それは、つまり……こういうことか? ようするに、俺におまえの――使い走りになれ、と」
「そのとおり!」
空木がおそるおそる問いかけるや否や、石英は嬉々としてそう叫んだ。
――何がそのとおりだ。
思わず顔をしかめた空木に対して、石英の方は実にうれしそうに、こう捲し立てる。
「いやあ。飲み込みが早くて助かる。まあ、君の置かれた状況を考えれば、遠からずこの店と縁を結ぶことは、確かだとは思っていたのだけれども。とはいえ、双くんたちを通して知る限り、君をただの客として迎えるのは、いかにも惜しい気がしてね。だからこそ、手を取り合えないかと考えたわけだよ」
手を取り合うと言うが、つい今しがた使い走りという言葉に、そのとおりと返したような気がするが。思わず本音を返してしまったのかもしれない。
憮然としている空木に、石英はあくまでも楽しそうにこう話す。
「自分に利がない取り引きだ、とでも思っているのかい? 何も、こちらの主張ばかり通そうというわけではないよ。たとえば――僕は不確かな未来を人に伝えることはあまり好まないんだが、君には特別に教えてもいいと思っている。まあ、そのことで悪事を働かれては困るが、常識を逸脱しない程度の活用なら目をつぶろう。それでも、うまくやれば君は――君が望むものを、手に入れられるかもしれない」
石英のその言葉に、空木は思わず黙り込んだ。
――自分が望むもの。
空木がそのとき考えていたのは、その力を使って成功しようだとか、利益を得ようだとか、そんなことではなかった。確かに、かつての空木は自分が特別な何かになれると思っていたかもしれない。しかし、空木が求めていたのは、そんな――特別な力ではないだろう。
自分が望むものは何なのか。そう考えて、すぐに思い出したのは国栖の葉のことだ。
わけもわからず関わりを持つことにはなったが、それでも空木はできる限りのことをして、彼女に寄り添ったつもりだった。しかし、それでもそれは足りなかったのだろう。だからこそ、彼女とはあんな風に別れることになってしまった。そのことは、今の空木にとっては一番の心残りだ。
自分の力が足りなかったのか。知識が足りなかったのか。いずれにせよ、状況が悪かったとか、そんな理由で逃げたくはない。それこそ、それは空木の望むものとはほど遠い気がした。
空木が求めているのは――おそらく、自分が自分として、ありのままに力を発揮できる居場所だ。誰かに使われるでもなく、寄りかかるでもなく。
しかし、そんな場所なんて、きっとどこにもないのだろう――と空木は思う。どこに行っても自分の居場所だと思えないのは、結局のところ、空木自身の問題なのだから。
今までの空木は自分を過大に評価して、何に対しても斜にかまえるところがあった。しかし、ありのままの自分でいたいなら、ありもしないものにこだわることに意味などない。本当に望むものがあるのなら――まずは、自分が変わらなければ。
呪いだの怪異だのについては、空木には何もわからない。それに対する無力さについては、空木も身に染みていた。しかし、だからこそ、今の空木にとって何より必要なのは、それについて知ることだろう。そう考えるなら、この石と手を組むことは決して悪い選択ではない。
空木は知らず自嘲めいた笑みを浮かべていた。使い走りけっこう。そういったことには慣れている。しかし、空木はそれで終わるつもりはなかった。利用させてもらおうじゃないか。その力。あくまでも対等な取り引きとして。
空木は大きく息をはくと、石英の目を真っ直ぐに見据えながら――こう言った。
「いいだろう。その話。乗った!」
「そうこなくてはね!」
石英はにやりと笑ってそう返す。
未来が見えるこの石は、空木の決断をどこまで見越していたのだろう。そんなことを考えていた、そのとき――呆れたようなため息とともに、聞こえてきたのは日本式双晶の声だった。
「やれやれ。君は君が思っている以上に、厄介なことを引き受けてしまったと思うよ。空木」
その言葉にはっとして石英から視線を外すと――近くに見知らぬ青年が立っていることに気づいて、空木は目を見開いた。
しかも、現れた青年はひとりではない。そこに並んでいたのは、おそろしく似た容姿の――いや、全く同じ顔をしたふたりの青年だった。
見比べてみても、空木には違いがわからない。あるいは、鏡に映った姿なのかと思いかけたが、言葉を失ってしまった空木を見て、片方の青年だけは苦笑いを浮かべていた。
「わからないかい? 私が君と話をしていた、日本式双晶だよ」
空木は奇妙な形の水晶を思い浮かべながら、目をしばたたかせた。日本式双晶――というと、あの日本式双晶だろうか。今も空木が持っているあの石が、目の前にいるこの青年だと。
空木の反応を目にした石英は、日本式双晶を名乗る青年に、呆れたような顔を向けている。
「何だい。君。そちらの姿はまだ見せてなかったのかい」
その言葉にうなずきながらも、青年――日本式双晶は、空木に向かって肩をすくめた。
「そんなに驚くことはないだろう。空木。石英はこのとおりだし、先ほど桜石とも話をしたじゃないか」
確かに。石が人の姿となるなら、空木が話していたあの石だって、そうであってもおかしくはない。とはいえ――
「だったら、その……こっちは?」
空木は日本式双晶と全く同じ顔をした、もうひとりの青年を指差した。彼は空木の言葉に、少しだけむっとした表情を浮かべている。
日本式双晶はこう答えた。
「そちらは私の半身。彼も日本式双晶だよ」
半身。何だそれは。思いがけない言葉に、空木は混乱する。そのうえ、こちらも同じ日本式双晶だと言う。どういうことなのか。
そんな空木の戸惑いを気にかけるでもなく、石英は何でもないことのようにこう話した。
「双くんたちはちょっと特殊だからね。まあ、人でいうところの双子なんだろう。おそらく」
「双子?」
問い返す空木に、石英はうなずいた。
「そうだよ。君が持つ本体である石に、ふたつの心が宿っているということさ。ただし、こちらの――」
と言いながら、石英は静かに佇んでいる方の青年を横目で見る。
「双くんは、本体から離れて存在できる、という力を持っていてね。それでいてふたりはつながっているから、やりとりができる。双くんたちの力で、君のことを確認していたというわけだ」
空木の行動が筒抜けだったのは、そういう理屈らしい。言いたいことはなくもないが――空木はひとまず納得した。
石英は空木に向き直ると、ある一点――日本式双晶を入れた布袋があるところだ――を指差して、こう続ける。
「これから協力してもらうにあたって、双くんたちには君との連絡役になってもらうよ。さすがに僕を持ち歩くのは厳しいからね」
「そういうわけだ。あらためて、よろしく。空木」
石英はどこか居丈高に、そして、空木がよく知る方の日本式双晶は愛想よく笑いながら、そう言った。もうひとりは無愛想に黙り込んだままだ。
空木は、はあ、と気の抜けた返事をしながら、よく知らない方の日本式双晶をちらりと見やった。
「どちらも日本式双晶って……だったら、その――おまえたちのことは、何て呼べばいいんだ?」
「双くんたちは双くんたちだよ」
と、石英はあっさりと彼らをひとまとめにした。それでいいのか。しかし、こいつらはそもそも人ではないのだから、個々の人格に対する考えも、そんなものなのかもしれない。日本式双晶たちも、そのことについて特に思うところはないようだ。
とはいえ、一方の日本式双晶は表情が乏しいからか、いまいちよくわからないのだが。当初こそ見分けがつかないと思った彼らだが、どうも容姿が同じなわりには性格が全く違っているらしい。
ともかく、空木からすると、明らかに人格が違う彼らを同一のものとして扱うことには抵抗があった。戸惑う空木に気づいたのか、日本式双晶が――空木がよく知る方だ――こう提案する。
「そうだな。これから私は空木とともに行動するのだから、私たちには別々の名があった方がいいかもしれない。空木。君が私の呼び名を決めてくれ」
「呼び名? 急に言われてもな……えーと」
唐突な申し出に困惑しつつも、空木は必死で考えを巡らせた。
日本式双晶の名。石英は彼のことを双くんと呼んでいるようだし、それとは被らない方がいいだろう。だとすれば――
「式、とか?」
空木がそう言うと、石英はふむとうなずいた。
「式くんと双くんか。まあ、いいんじゃないかな。呼びやすくて。あとは――」
石英はそう言いながら、暗い室内をぐるりと見回した。というより、棚の上にある石たちに目を向けたようだ。そうしてある一点に視線を定めると、誰にともなくこう呟く。
「同じ水晶だけでも顔合わせをしておくかな――煙くん。煙くん!」
呼びかけに応える声はない。とはいえ、室内がしんとしたのもわずかな間だけ。時を待たずして石英はあっさり向き直ると、空木に向かって視線の先を指差した。
「まあ、いいや。そこに茶色いひねた水晶があるだろう。これが煙水晶だ。この形は、ねじれ水晶とも呼ばれている」
「だれがひねた水晶だ!」
そう言いながら姿を現したのは、煙管を手にした青年だった。怒りの形相で、石英の指差す先に立っている。
とはいえ、その感情は明らかに石英へ向けられたものだったので、空木はひとまず指し示された方――ひねた水晶とやらに目を向けた。
水晶、というと先端の尖った真っ直ぐな六角柱だと思っていたが、これは確かに、何と言うか――その六角柱をねじったような――真っ直ぐでありながらも、ひねったような形をしている。これも日本式双晶と同じく変わった形の水晶、ということだろうか。
空木がそんなことを考えている間にも、その石が人の姿となったらしい青年――煙水晶は石英にあしらわれていたらしく、猫背気味なうしろ姿をこちらに向けてしまっている。いるよな、こういうやたらいじられるやつ――なんてことを内心で思いながらも、空木は彼に哀れみの視線を向けた。しかし、石英はそれにかまうこともなく、また別の棚を指差してから、こう続ける。
「で、こちらが
「水入り……?」
空木がその言葉に首をかしげたと同時に、誰かが肩にもたれかかってきた。ぎょっとして目を向けた先にいたのは、派手な紫の着物をまとった青年だ。よく見ると、その手になぜか盃を持っている。
「やあやあ。君が石英のお使いになるという、奇特なやつかい。いいねえ。いいねえ。俺は、おもしろいやつは好きだよ」
にやにやと笑みを浮かべながら、その青年は妙になれなれしく絡んできた。空木は呆気にとられて、何も言えない。
――何だこいつ。
空木の反応をおもしろそうにながめながらも、青年はこう名乗った。
「俺は紫水晶。石英が言ったように、水入りだ。水晶は成長する過程で水を内包することがある。よければ手にして傾けてごらん。気泡が動くのが見えるから」
紫水晶はふふふと低い笑い声を上げながら、淡い紫の結晶を自ら指差す。おそらくは、あれが紫水晶なのだろう。少し見た限りでは、水が入っているかどうかはわからない。
「まあ、酒を飲みに行くときには、俺のことは持って行かない方がいいよ。酔わなくなるから。残念だけどね。しかし、やはり人はいい。俺は人のことが好きなんだ。人というものは、実におもしろい!」
紫水晶はそう言うと、空木の肩を叩きながら、あははと声を上げて笑った。どうしよう。ついていけない。
そんなやりとりを平然とながめていた石英は、特に呆れるでもなくこう言った。
「紫くんはいつも酔ってるような感じだからね。見ている分にはおもしろいんだけど、深く考えるだけ損だよ。しかし、紫くんの力のことを考えると、紫くんが酔うはずないんだけどね」
常にこんな感じなのか。その言葉に、空木は思わず閉口する。
紫水晶に肩を組まれながらも、空木は救いを求めるような視線を石英に――あるいは、日本式双晶たちに向けた。しかし、それに応えるものはいない。気づけば、煙水晶には哀れみの目を向けられている。
話を戻したのは石英だ。
「そういうわけで、彼らが僕と同じ水晶だ。そもそも石英を成す物質、酸素とケイ素はこの地表ではありふれている。それゆえに、石英に属するものは多い。碧玉くんだって、鉱物としては石英なんだけど――まあ、今はこのくらいにしておこうか」
空木はあらためて、人の姿をした石たちに目を向けた。どこか偉そうな水晶玉――石英に、ふたり並んだ日本式双晶。気難しそうな煙水晶に、妙に陽気な紫水晶。良く言えば個性的。悪く言えば――癖が強い。
空木は心の中で反省する。日本式双晶に対して、すかしている、なんて思って申し訳ない。もしかしなくとも、こいつが一番まともなのではないだろうか。
ともかく、空木が彼らの手足となり、その代わりに彼らの力を得るという取り引きは成立した。しかし、そのことはもうすでに後悔――しないまでも、不安を抱き始めているような気もするが――それくらいは許されるだろう。
それでも自分の下した決断に、空木の中にはもはや、少しの迷いもなかった。
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