シン・ウルトラマンの感想

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狭間にいるから見えるものがある

映画『シン・ウルトラマン』の感想


 外星人ウルトラマンと禍威獣に対抗する禍特対との友情の物語。


 突如日本に出現し始めた敵性大型生物、禍威獣の脅威に対抗するため結成された禍特対こと禍威獣特設対策室専従班は、銀色の巨人が禍威獣と相対する様を目撃。ウルトラマンと名付けられた巨人は、禍威獣から人々を守るよう振る舞い、禍特隊は正体や目的などを調べていく。やがてウルトラマンが他天体からの外星人と判明した時、すでに地球には複数の外星人が侵入していることが判明。光の星の使者であるゾーフィはメフィラスの計画から、地球人類の兵器としての潜在的ポテンシャルがいずれ全宇宙の脅威にもなりかねないと判断。天体制圧用最終兵器ゼットンを起動させて殲滅を図る。

 しかしウルトラマンがもたらした知識と技術を世界中の科学者が分析した結果、超高熱火球を放つ直前にそのエネルギーを別宇宙に逃がす方法で地球の破滅を回避する術を見つけるも、ウルトラマンも同じ運命を辿ることは免れないという。これを聞いたウルトラマンは、生還の可能性など無いことを承知で引き受け、禍特隊の面々に「生きて帰る」と約束しゼットンに立ち向かっていく。

 ウルトラマンが地球人と協力してゼットンを倒したことに驚いたゾーフィは、生物兵器として利用されるだけの存在ではなく、地球人を絶滅させようとしたのは早計だったと誤りを認め、共に光の星に帰ろうと誘う。地球人の神永と融合したままでは帰れないし、今回の事で次々と現れると予想される禍威獣や外星人と戦い、地球人を守ることがウルトラマンの望みだった。

 肩入れし過ぎだと諭されると、ならば彼の命を奪った償いと地球人という生き物の素晴らしさを教えてくれた感謝から、神永に自分の命を与えてほしいと願い出る。聞き入れたゾーフィは神永を蘇らせ、去っていく。

 地球に生還した神永の目に飛び込んできたのは、禍特対メンバーの笑顔だった。



 シン・ウルトラマンを見ていたら、ふとエヴァンゲリオンを思い出した。エヴァの表現は、ウルトラマンから来ているのがよく分かる。「そんなにウルトラマンが好きだったのか、庵野さん」と伝わってくる。

 なぜ原作を忠実に作るのかは、新世紀エヴァンゲリオンの「ただのコピーとは違うわ。人の意思が込められているもの」という赤木リツコのセリフからもわかる。

 庵野さんは初代のゴジラやウルトラマン、仮面ライダーが一番だと思ってる人。その後に作られた新しいものは、初代の良さを越えられない。だから初代のものを作るし、作るときは単なるコピーにならないよう、現代の最新技術を用いて当時のものを忠実に再現しつつ、魂を込める。

 魂を込めるには儀式が必要であり、儀式とは忠実に真似ることなのだ。

 学ぶは真似ぶが由来であり、絵を書くときもモチーフを模写する。ヨガや拳法の型も動物の動きを真似るところから来ている。技術職も先代の優れた技工を真似し、継承されてきている。

 庵野さんは職人のように、「作品に魂を込めるために」影響を受けた作品を真似て作るのだ。

 今回は、現場にはあまり顔を出せなかったらしいので、庵野さんの意向を組んだ樋口監督の作品みたいな感じなのかもしれない。

 シン・ゴジラと繋がりがあるかはよくわからないけど、ゆるい感じではつながってる気がする。作品の構造で、きっと庵野さんの中ではつながっていると思う。

 


 ストーリー全体は、メロドラマと同じ中心軌道で描かれている。

 ウルトラマンと禍特対、もしくは共通してクリアしなければならない障害が複数用意され、個々の障害を克服できるサブキャラが登場。クリアする度にサブキャラは退場するエピソードが組まれ、クリアするごとに、彼らが個々に成長できる短い軌道が与えられ、前に進む。


 主人公の神永新二は、女性神話の中心軌道で描かれている。

 ウルトラマンと一つになっていることを隠し、禍特対の一員となっている。禍威獣が現れ、ウルトラマンになって戦うも、外星人ザラブの工作で正体が知られ、ウルトラマンであることを認めた行動を取ってザラブを駆逐。

 地球人である神永と融合している彼の意志から、メフィラス星人の陰謀を阻止するも、光の星のゾーフィが全宇宙の平和から地球人が兵器として脅威になる恐れがあるとし、天体制圧用最終兵器ゼットンを起動するなか、地球人と協力して破壊。

 償いと感謝から自身の命を神永に与え、ゾーフィと光の星へと旅立ち、人間神永は禍特対メンバーのもとに帰還する。


 浅見弘子は、絡め取り話法で進んでいる。

 神永とバディとなるも、早くも不協和音が漂う。そんな矢先、ザラブに囚われた神永。彼がウルトラマンだと気づいた彼女は、禍特対メンバーとともにザラブと戦うことを決める。

 彼を助け、ベーターカプセルを渡す浅見。本来の力を取り戻したウルトラマンは敵を倒し、彼女らとの信頼関係を取り戻す。



 久しぶりに、「特撮」を見た気がしました。

 この場合の「特撮」とは、昔ながらのゆるくてご都合主義的にテンポよく物事が解決しながら、やや重いテーマをさらりと扱って見せつつ、面白かったと思える作品のことです。

 ウルトラマンとして、よくできていたと思います。

 原作と造り手をリスペクトした感じです。



 特撮の入口としてゴジラかウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊など別れているけれども、私はウルトラマン世代ではないし、時代劇や特殊効果のCMから入ったので、間口を広く特撮を受け入れている気がします。

 子供の頃は「アニメや漫画を見るな」という家でしたので、親が見ているドラマや時代劇を見てました。

 あきらかに演技だし作り物だしカツラだし、なので、時代劇がいいのなら、人が演技する特撮も見ていいのではと協議し、特撮を見るのを許されたわけです。

 その頃には、作り物で演技だとわかってみてたので、ストーリーを楽しむより、どうやって作られているのかに興味が向いていました。なので、「懐かしの特撮」の特番を見るのが好きだったし、「ウルトラマンを作った男」のドラマとか、作っている側に興味が強くなっていきました。

 怪獣のきぐるみを使い回すとか、ピアノ線を上ではなく下につけてカメラをひっくり返して撮影するとか、そういうことを知るのが楽しかったです。

 ですので、ウルトラマンやライダー、戦隊などの作品世界にどっぷり浸かって面白さに夢中になって視聴した覚えがなく、いまもどこか冷めた感じで楽しんで見ています。

 普通のドラマを見ていてもそうなのですけれど、この話の中心軌道はどうなっていて、どういう組み立て方をされていて、前半の受け身から反転攻勢を経て後半は積極的に動かしていく、みたいなことばかり考えてしまいます。


 最近のウルトラマンシリーズや仮面ライダーやスーパー戦隊も見てますし、その流れの一つとして『シン・ウルトラマン』を見ました。

 全体的には、よくできたウルトラマン作品でした。

 迫力もあったし、面白かったです。

 ウルトラQからの流れでウルトラマンがはじまったように、シン・ゴジラからシン・ウルトラマンがはじまるところは、遊び心があるなと思ったし、初代ウルトラマンが史上初の空中での交通事故でハヤタ隊員の命を奪いつつ融合した未知との遭遇ではなく、空より飛来した衝撃に巻き込まれて、子供をかばった神永と融合したウルトラマン登場にインパクトがあって面白かった。前半の禍威獣バトルは迫力があって良かったです。

 ウルトラマンも禍威獣もどちらもCGで、殴ってる感じがゲームのウルトラマンみたいにみえて残念とか、巨大浅見のシーンのCGがあってないとか、そういう意見はわかる気がする。

 気がするけれども、私はそういう文句は出ませんでした。

 昔ながらの特撮だと、殴るとかのインパクトのときに別画面に切り替わってさっきまでの表現にずれが見られるとか、使い回しとか、合成が浮いてるなど色々みているので、特撮を見るときは「温かい目」で見れるのです。

 実際の話ではないし、空想で、作り話なんです。

 作品内の現実味を感じさせてくれるならば、技術的には可能かもしれないけれども、そこまで私は文句はいわない。

 悪いところより良い所を見つけたほうが楽しめる、という考え方です。


 夜の都内を舞台にした、ザラブとの空中戦はかっこよかったです。

 メフィラスと居酒屋で話してるところが、過去のウルトラマンの作品を思い出して面白かった。メフィラスは人間臭いのに、ウルトラマンは人間っぽさがないところの対比もよかった。

 洋画のヒドゥンが、なぜかふと思い出しました。

 会話で説明して話が進むので、わかりやすくもあり、わかりにくくもあると思いました。

 封切りでみたわけではなく、軽いネタバレを見てから映画館に行ってるので、小難しいことを会話で説明されてもついていけました。

 なので、初見で一切の情報もなく初めてウルトラマンを見た人はどう思っただろう。

 ウルトラマンを見てる子供と、ウルトラマンをまだ見ていない子供でも差が出ると思う。

 ウルトラマンを知っている子供だと、わからないところはさーっと飛ばして、ウルトラマンが戦っているところを見て楽しめたと思う。

 ウルトラマンを知らないと、迫力があって凄いんだけど、難しくてわかんないかもしれない。


 映画として見に行く人は、人間ドラマが薄いとか感情移入できないというかもしれない。

 冒頭、人間神永のシーンが少ないのが理由の一つですね。

 観客が彼に感情移入する前にウルトラマンと融合してしまうのです。危険を顧みず子供を助けに行った彼の行動しかないので、元々はどういった人間なのか、よくわからない。

 世界中の科学者と協力して、ゼットンを何とかする方法をみつけるとき、滝がVRゴーグルつけて通信して説明してるんだけれども、彼がみている科学者たちの映像をワンカット入れてから、「傍から見ると滑稽だね」みたいな会話の流れでもあればよかったのですが、それもないので、地球人が協力して危機に当たろうとする姿勢が作品からはあまり感じられなかったです。

 友情を感じにくい。でも、友情はキャッチコピーだから、ジブリのキャッチコピーでも映画を見てもらうための宣伝文句の一つだと、そこは割り切ってもいいかもしれない。

 最後、神永が目を覚ましたアップのカットと、仲間たちが笑顔で見下ろしているカットで終わるんだけれども、画面を引いて屋上にいる彼らを写しても良かった気がする。

 目を覚ましたのが神永なのかウルトラマンなのか、ウルトラマンと融合していたときの記憶があるのかないのか、そのワンカットだけで感じろというのは難しい気がする。

 平行世界に飛ばされてたので、戻ってきた地球は神永が元々いた世界の地球なのかといった細かいところは、わからない。

 とにかく本作品は、内容を詰め込みすぎているので、緩急や余韻が少なく、リニアモーターカーに乗ってトンネルに入りあっという間に抜け出たような映画です。

 ただ、神永が危険を顧みず子供を助けに行った姿をウルトラマンが受け継いだから、後半は神永の意志を尊重したような、自分の命を顧みずに地球人を助けようとする姿勢を貫き通している。ここは、男の主人公としては描けていると思う。

 

 映画館には、かなり年配の方が多くいらっしゃいました。

 おそらく、子供のとき見ていたウルトラマン世代の方たちだと思います。ウルトラマンの音楽が幾つか使われていましたし、年配の方たちも楽しめる作品になっていたとは思います。

 だとすると、主題歌の米津玄師の歌はついていけなかったかもしれません。

 昔のウルトラマンの歌でも流せば……と考えますけれども、それをするとウルトラマンを見ていない下の世代が本映画を見ようとしなくなる。

「営業・宣伝していくなかで強く感じたのは、オールターゲットだということです。ウルトラマンに思い入れのある五十代以上の方々はもちろんですが、十代や二十代も対象です。さらにカップルが観ても楽しめる作品でなければならない」と東宝取締役常務執行委員の市川 南氏は語っている。

 映画を広く見てもらうためにも、制作側のいろいろな都合を聞きつつ時間と予算と妥協し、作りたいものを生み出した作品だと思います。

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