父と息子
虎は襲いかかりるため、頭を低く構える。
しかし、安易には飛び出してこず、先程のニーの攻撃を少し警戒してか、こちら側の出方を伺っている。
「ソリオン!シェーバとイースを頼む」
ダトは槍を構える。
「僕も手伝うよ!」
「ダメだ! 2人を連れて、今すぐ逃げろ!」
ソリオンはダトの言葉に応えない。
先程から自分の足が震えている。
溶銑の巨大虎から
(今、僕が逃げたら父さんが死んでしまう)
ソリオンは深く息を吸い込み、呼吸を整える。
「イチ、隠れて後ろから毒爪を、サンは麻痺針だ。ニー、一緒にアイツを引き付けるぞ」
「ソリオン、止めろ!」
今までの戦いでも命をかけたことはあった。
だが、今生を生きると決めた途端、死が信じられな位ほど恐ろしいものに感じる。
震える足を無理やり押さえつけ、前を向く。
「父さん、一緒に注意を引いて。毒を背後から打ち込む。毒を打ったら全速力で逃げよう」
「……分かった。だが、一度だけだ。成功しても失敗してもだ」
虎が痺れを切らしたように、林の中から襲い掛かってくる。
振り上げられた巨大な前脚からは焔が吹き出している。
ソリオンとダトは虎の横側へと回る。
(熱い!!)
ただ横へ逃げただけ。それだけのことで、猛烈な熱量が2人を包み込む。
ダトは回避しながらリーチの長い槍で虎の胸を突く。
ガッガッ
岩でも切りつけたかのような、嫌な音がする。
ソリオンも負けじと、ニーの身体強化で俊敏に動き、虎の腹部に向かってナイフで斬りつける。
ナイフによる手応えは全く感じない。
「うっ!」
斬りつけたソリオンの腕から、強烈な痛みが脳へと
腕は真っ赤になっており、広い範囲で火傷になっていることが判る。
そして、ソリオンの攻撃は全くといっていい程ダメージを与えてない。
(近づくだけで火傷を負うのか)
ソリオンが間合いを空けるため、後ろに下がった所へ、赫灼の
ソリオンの腹を溶銑の鞭がかすめると、腹部が火の粉を上げながら、燃えていく。
「痛ッ」
顔をしかめる。
更に他の鞭が振るわれる。
ソリオンは2度、3度と鞭を回避していくが、その度に火傷を負っていく。
業を煮やした溶銑の巨大虎が、4本同時に鞭を振るう。
避けられない、と思ったその時。
ダトが横から割り込み、そのうちの3本を槍で受け流し跳ね除ける。
余る3本がソリオンの首もと、付近を
(肺の中まで焼けそうだ)
呼吸まで苦しくなるほどの灼熱が周囲を埋めつくして居る。
ソリオンの息が切れした時、さらに鞭が振るわれようとするが、一瞬、虎の動きが止まる。
よく見ると、虎の背後に、炎に包まれながらも、毒爪と麻痺針をつきたてる従魔達の姿が見える。
虎は異変を感じとり、虫でも払うかのようにイチとサンを吹き飛ばす。
吹き飛ばされた二匹は炎を纏っている。
(ごめん)
ソリオンの嚙みしめた唇から、うめきが漏れる。
「終わりだ。引くんだ」
そこには片腕が炭と化したダトの姿があった。槍も半分、焼け溶けている。
先程、ソリオンをかばった際に焼かれてしまったようだ。
「父さん! このまま麻痺や毒が効くかもしれない! 今のうち逃げよう」
「……」
ダトは逃げようとはしない。
そして、咆哮をあげる虎に全く体の変調は感じられない。
ソリオンは、虎を見据えたまま動こうとしないダトの腰を抱え、無理やり一緒に連れて行こうとする。
「すまんな。お前の図鑑集めを手伝ってやれなくて。母さんとイースを頼む」
ダトは槍から手を離し、拳を作りソリオンへ向ける。
「嫌だ!」
「ソリオン! ……頼む」
ソリオンは渋々、ナイフを握っていない方の拳を当てる。
「うん」
ダトはニカッと笑う。
残った腕で、腰にしがみつくソリオンを引き上げるとシェーバの方をへ放り投げる。
「シェーバ、愛してる。子どもたちを頼む」
「ダト!」
泣き叫ぶように名前を呼ぶシェーバを、力強くも優しい目で見返す。
目線を逸らすと、ダトは槍をトラに向けて牽制する。
溶銑の巨大虎はダトに狙いを定め、溶岩のような
ダトは巨体を
槍を打ち込んだ体から、白煙をあがる。
辺りに、肉が焼けた嫌な臭が立ち込める。
虎は目に虫でも入ったかの様に、忌々しそうに首を振り、手で
拭った後、開かれた眼孔がダトを狙い澄ます。
ダトは崖を背にし、足で石蹴りつけ、虎を必要に挑発する。
ダトはどうやら、崖下に虎を落とそうしているようだ。
虎はダトの思惑を理解してるのか、むやみには飛び付かず、鞭で払い除けようとする。
真赤に燃えた鞭を、槍で弾いていく度、ダトの体が焼かれていく。
(クソッ! 見ていることしかできないのか)
だが、ソリオンやシェーバは声を上げることができない。
命をかけて魔物を引き寄せているダトの思いを踏み
それほどの気迫が
「ニー、崖の上から虎を攻撃して」
「ピィ」
小声でニーへ手助けを命じる。
ニーは静かに飛び立ち、崖の上まで行く。
鞭を振るわれながらも、必死に避け、払うダトの背後から、援護射撃するようにニーが虎に羽の刃を浴びせる。
羽は虎の表皮に到達する前に、跡かともなく焼け落ちていく。
(だから無傷だったのか!)
ソリオンは静かに走り、壊れた多脚車から飲料水の入った大きな容器を取り出す。
「ニー、〈飛切羽〉だ!」
ニーの攻撃に合わせて、容器を放り投げる。
容器がニーの羽で切り裂かれ、水がこぼれ出る。
虎に水が降りかかると、ギィジュゥゥーという音を立てながら、周囲に霧のような水蒸気が立ち込める。
表面温度が下がったのか、羽の何枚かが虎へと突き刺ささる。
食い込むように刺さった羽はそのまま燃え尽き、燃え尽きた跡から真っ赤に燃えた血が流れ出てくる。
虎の目に初めて怒りが灯る。
虎がダトを無視して、崖の縁に近づきニーへと狙いを定める。
ソリオンは再度、水が入った容器を横から放り投げると、ニーがそれに合わせてく、羽を飛ばす。
今まで傷一つ付けられなかった、虎の体表に小さな傷が無数にできていく。
崖の淵からニーを牽制していた虎が、業を煮やしたようにソリオンへと、体の向きを変える。
(空の上にいるニーを諦めて、ターゲットを僕に切り替えたか)
ソリオンはシェーバとイースを庇うように立ち、手から流れ落ちる汗で滑らないよう、ナイフを力いっぱい握る。
虎は、崖の縁を歩きながら、ゆっくりとソリオンどの距離を詰る。
数歩歩いた時、虎の脇に向かって、大きな塊が突進していく。
ダトだ。
「お前の獲物は俺だろ! 家族に手を出すな!」
虎は驚き、半身を崖から乗り出しながらも、ダトを振り払おうとする。
「ウォォォオオ!!」
ダトが全身を燃やしながら、更に崖側へと虎を押して行く。
態勢を崩した虎は、その巨体のほとんどを崖の外側へ落としながらも、前脚のみで
ダトは炎をまといながら、虎の頭の上に乗り、槍で顔面を何度も打ち据える。
虎がダトを反射的に振り払うため、前脚を離した瞬間、ダトと虎は空中へと放り出される。
「父さん!!」
ダトは落ちる瞬間、こちらを見る。
顔はひどい火傷により、もはや以前の形ではなくなってしまっている。
ソリオンは居ても立って居られず、すでに空中に乗り出しているダトの所まで駆けだす。
走りながら、大きく手を伸ばし、ダトの手を掴もうとする。
(ダメだ! 今度こそは必ず掴むんだ)
だが、すぐそこにある崖までの距離は、絶望的なほどに遠い。
火で焼かれたダトははっきりと笑っていことが分かる。
手のひらではなく、固く握った拳をソリオンに向かって突き立てると、そのまま崖の下へ落ちていった。
「……父、さん……」
ソリオンは頭が真っ白になる。
焦躁が頭をもたげながらも、重たい足取りで、つい先程までダトが立っていた崖の縁へと向かう。
(居るはずだ。父さんは崖の途中で木か何か掴まってるはずだ)
根拠のない、ただの願望を思いながら、崖の下に恐る恐る目をやる。
断崖の絶壁には、木どころか草すら生えていない。
断崖の下は木々が茂る森となっており、下の様子が全くわからない。
ソリオンはそこで始めて夜が開け、空が
日の出の光に、薄く照らされた崖には、ダトも虎もいないことが嫌でもわかってしまう。
「……」
何度も何度も、行ったり来たり同じ場所を見返すが、やはりそこには何も居ない。
涙が次々と頬を伝ってくる。
ソリオンは泣き叫びながら、火傷を負った手で地面を何度も叩きつける。
泣き始めたイースを、シェーバは魂が抜けたように抱きかかえ、ダトが先程まで戦っていたところを呆然自失で眺めている。
その後も刻々と登る日輪が、新しい一日の始まりを無情に告げていく。
どれだけ受け入れ難い事があっても、時間はいつも待ってはくれない。
その後、日が昇りきった頃、心配になったジャンが、戦場のような痕跡を辿り、ボロボロになった3人と3匹を保護してくれた。
ダトの最期を知ったジャンも、しばし、乗ってきた多脚車の中から出てこなかった。
だか、ソリオンと従魔は酷い火傷を追っており、治療と休息が必要だったこともあり、赤く晴らした目を隠しながら、街へと急ぎ向かってくれている。
シェーバは救出されて、暫くは虚脱状態だったが、ある時を境に涙を流し始め、ずっと
ソリオンは泣き塞ぎ込んでいる母の横に座り、3人で身を寄せ合う。
ジャンの多脚車に揺られながら、体力の限界がきたソリオンは、そのまま眠りに落ちていく。
−−−−
『お父さん、そこの木にノコギリクワガタいるよ』
『ん? どこだ?』
『あっち! あっち!』
息子が林の中にある大きなクヌギの木を指す。
木は急な斜面の山肌に面している。
『よし、近くまで行って見るか。危ないから父さんだけで行く。ここで見てるんだ』
『分かった。でもお父さん、大丈夫?』
息子が心配そうに斜面を見上げる。
『大丈夫だ!』
網を片手に持ち、斜面を手足を使い、登っていく。途中、土が崩れ足を踏み外そうとなる度、斜面にへばりつきながらクヌギの木まで到達する。
クヌギの木に手をかけた瞬間、木の表面に生えていた苔で手が滑る。
『うわっ、わっあ』
態勢が崩れて斜面を転がり落ちていく。
草むらに突っ込みながら止まる。
『痛ったた』
頭上から太く暖かい声が聞こえてくる。
目を空けるとダトが笑っている。
『大丈夫か? ソリオン。だから斜面には注意しろって言ったろ?』
『父さん、そんなことは言ったって』
ダトの手を掴んで、起き上がりながら、体の中についた葉や土を払いのける。
『よし! 次は転ぶなよ』
ダトはそういうと槍を構える。
槍先の方向には、大きなダンゴムシがもそもそとしている。
『あれがロリポリだ。頑丈だが、あまり攻撃はしてこない。集団でなければ、なんてことないヤツだ』
『父さん、アイツを従魔にしたい』
ダトは少しだけ嫌そうな顔をする。
『……父さん、虫嫌いだからね』
ダトは諦めたように深いため息を吐く。
『分かった。俺が抑えて置くからその間に捕まえるんだ』
そういうとダトは走り出し、槍の帆先でロリポリを押さえつける。
『よし!やれ!』
『うん!』
肩に乗ったイチの針に指を軽く当て、出てきた血と魔力を混ぜて、光る球を作る。
光る球は当たる魔物を包みこむ。
少しだけ抵抗するように揺れるが、すぐには止まる。
『やった! 捕まえたぞ』
『やっぱり面白い光景だな』
ダトが温かい目でソリオンを見ている。
『なあ、ソリオン』
『なに?』
『結局、一回も手伝ってやれなくて、すまんな』
『今、手伝ってくれてたじゃない』
『母さんとイースを頼むぞ』
『父さん、何言ってるの?』
すぐ近くにいたはずのダトが、妙に遠く感じる。
『お前の夢、叶うといいな』
『父さん!』
更にダトの気配が遠のく。
もはや、果てしなく遠くにいるようにすら感じる。
『だが、生き急ぐんじゃないぞ。ゆっくりでいいんだ』
『待って! お願い!』
伸ばした手が空を切ると、ソリオンの意識が溶け落ち、一気に現実へ引き戻される。
目を覚ますと、手と腹に大きくできた火傷の痛みがこみ上げてくる。
現実がソリオンの胸は大きく締め付ける。
”悪獣”。
先程の溶銑の巨大虎の系統はおそらく悪獣だろう。
魔導時代の言葉を翻訳した時、なんと悪意と嫌悪が込められた名前だろうと思った。
だが、今日理解した。
まさしく、その名は、この世界で生きる人々の経験が積み重ねられたものだ。
「父さん……。なんで……」
ふと、左肩にのしかかった重みに目をやる。
隣では、シェーバがイースを膝の上においた状態で、ソリオンへ寄りかかりながら、静かに眠っている。
母の
ソリオンは固く拳を握りしめ、誰もいない正面に向かって拳を軽く突き出す。
「……分かったよ。約束だからね」
−−−−−−−−−
第一章 幼年期 (父と子) 終わり
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