偽典
「……」
咄嗟、狛彦は腹を突き破った蛇を左手で掴み、引き抜かれるのを阻止した。
出来たのはそこまでだ。それも生身の手が傷つき、血が刃を濡らしている以上いつ滑って抜かれるかも分からない。そもそもあっちがその気になれば指ごと持っていかれるだろう。
「お? 良い判断だな、良い子だ、黙刃木偶。その頑張り――特別に花丸あげちゃうぞ!」
「……」
――うるせぇよ。要らねぇよ。死ねよ。
そんな悪態の代わりにせり上がって来たのは黒の混じった血。ごぽ、と噴き出て口の両端からだらしなく垂れていく。
呼吸が乱れ、内氣が漏れる。生存本能が錬氣の呼法を行わせようとするが、貫かれた腹がそれを拒否する。氣が練れない。
それは
勁穴が開き、勁脈が広がり、人よりも強くなったとは言え、人の延長線上。氣と言う燃料が無ければ、どうしたってその身体は人の側に偏ってしまう。
そして腹を貫かれたのなら人は死ぬ。
それが道理だ。
――あぁ、くそ。
だけど悔しさに奥歯が軋む。
負けた。それは良い。それは初めてではない。何度も負けたし、こうして死にかけたことだって初めてではない。
小さな少女の依頼。それがこなせないことに申し訳なさはある。確かにある。それでも結果は結果だ。そう受け止めるしかない。
殺そうとした。奪おうとした。
だから殺されるし、奪われる。
それはごく単純なルールだ。一刀如意を志し剣客となった以上、そこに文句は無い。殺されて死ぬことに文句は無い。例えそれが道の途中であり、約束が守れなくなることだとしても、死ぬことに文句を挟むつもりはない。
だから――
だから、この悔しさは――
――外道に届かぬ自分の未熟さに向けられたものだ。
剣に救われた。だから狛彦は剣は正しいモノだと、綺麗なモノだと信じている。
所詮は人斬り包丁――と
『殺すことと見つけたりって訳でもないが……狛、お前はもっと剣が汚いモンだと理解しろ』
師に、右介にそう言われた。
それでも狛彦はその言葉に頷くことが出来なかった。
――だって仕方がないじゃないか。
狛彦が初めて見た剣は綺麗だった。
狛彦が憧れた剣は本当に綺麗だったんだ。
重くなった瞼に任せ、目を閉じてみればその情景が浮かんだ。
男がいた。
大樹の下、はらはらと葉が舞う中、一人の男が剣を振っていた。
――無想にて。
――赴くままに剣を振る。
男が剣であり、剣が男であると言うその境地。その剣に惹かれた。あの剣に憧れた。
だから幼い狛彦は剣を指さして男に頼んだのだ。『それ、おしえて』と。
「……」
――あぁ、と鉄の匂いを伴って吐息が漏れる。
自分があの男であれば、虎一であれば、あの剣を振れたのならばこの外道にも負けることは無かったのだろう。
あの剣。一刀如意のその先。“無”の境地にて振るわれた世の
「――」
ちり、と何かが焦げた音がした。それは錯覚だ。
それでもそれは確かなヴィジョンだった。
あの剣――
あの剣を、振るうことが出来たのなら外道を斬れると言うのならば――
――振れ。
「さて、と……そろそろ終わらせるが……どこ斬られて死にたいとかの死に方に希望はあるか? 花丸は冗談にしてもそれ位は聞いてやるぞ?」
「――――――――――――――――――」
「ん? わりぃ、聞こえねぇ」
「……孫、に、囲ま……れて、畳の上、で、っ、死にて……ぇ……」
「は? ………はは、ははは、はっはー! 面白れぇなお前! けどごめん! 聞いといてナンだが、そう言う方向のは聞いてねぇンだわ!」
「……あ、ぁ……そう、かぃ……」
なら――
「
「は?」
一歩を踏む。その一歩の衝撃が足を通り、腹を通り、喉に絡む。グル、と絡む。身体に合わせて服が膨らみ、腹に刃を入れたまま一足にて加速してみせる。
時越え。斬る前に
それを真似た以上、これもまた有り得ざる一手だ。
腹を貫かれた者では振るえるはずの無い剣速にて――
人の形から外れた異形が横薙ぎを撃つ――
錬気も無く、技も無い。
吐き気がする程の未熟。
己の信じた武からは程遠く、人外の身体に頼った速いだけの剣。
ただ、ただ、人狼の生命力と回復力だけを頼りに、それでも、ただ、ただ、それだけで人の
それは剣を極めた者のみ振るえる秘奥の一手――の出来損ないの紛い物。
“無”。剣聖のみが入ることが許されるその領域からは程遠く、それでも確かに人の
さぁさ見やれ聞きやれ皆々様。
これより演ずは人狼剣舞。
人外の身体にて人の世の理を斬る絶招絶技。
魔剣と呼ぶには余りに未熟。
秘剣と言うには余りに滑稽。
されど確かに没義道を斬ってみせるその剣の名は――
――
名とは裏腹に影を残す不様を晒しながらも、確かにその剣は八頭蛇刃の胴を両断してみせた。
「っ、づァ、ぁあぁぁぁぁ――――――」
ぞる、と腹の中を撫でる様にして撓る刀身を抜く。出血は、ある。それでも孔は無い。人狼。造りモノである以上、銀の弾丸以外では――と気取る気は無いが、その造りモノの獣の生命力と回復力は尋常ではない。
「……なンだよ、そレ」
「手品だよ」
ノイズ混じりの問い掛けに笑いを混ぜながら狛彦が答える。
左腕一本。半ばから断ち切られた蛇腹剣を力なく地面に垂らして八頭蛇刃は横たわっていた。
どう取り繕っても死に体だ。両断された胴からは剥き出しの配線と良く分からない液が流れ出していた。
そんな死に体のまま、残った左手で八頭蛇刃は首からドッグタグを一つ毟りとって狛彦に投げつけて来た。「……」。爆発物と言う訳でもなさそうなので、受け取り、眺めてみる。半分に割れている様だった。
「……これは?」
「ウチ……
「……」
「……次ハ負けネぇ」
「……いや、次はねぇよ」
悪ぃが殺す、と狛彦。それに「――いヤ」と八頭蛇刃。
「次はマけねェ」
同じ言葉を繰り返し、その機械の目から光が消えた。同時に淡い青に輝いていた髪の様なフィラメントからも光が消えて行く。
機能停止。それにしては最後のセリフが捨て台詞に聞こえない辺りが不思議だったが……
――まぁ良いか。
そう結論付けて首を刎ねる。
勿論、金を溜めて完全に機械で出来た身体を買って胸や腹、或いは背中に脳を背負う様な奴等もいるそうだが、余り好まれないらしい。
だから狛彦は弔ってやるつもりで首を刎ねた。刎ねて「ん?」となった。何かがおかしい気がする。どこかがおかしい気がする。
「――」
何だ? と考えて白濁した人工血液が流れていないのだと気が付いた。
脳が有ればどうしたって血が必要になる。それは完全な
腕を斬った時は出なかった。――腕に脳を置く物好きは居ないから当然だろう。
胴を斬った時も出なかった。――酸素等の供給器官がもっと上にあるのだと判断した。
だが首を斬って出ないとなると――
「
「遠隔操作で俺とやり合えんのかよ……」
マジか、と凹む狛彦。未熟だと言う自覚はあっても人形遊びに負けそうになるとは思っていなかった。世界は少し広すぎる気がする。
「それは無いと思いますよ」
不意に、背後から鈴の様な声音を掛けられた。
振り返ると鈴音がいた。何時から見ていたのか、姿の変わった狛彦に驚く様子もない。
「ここら辺、汚染の関係もあって電波が届かない地域らしいですから」
――電波が無いなら動かせないでしょう? と鈴音。
「……じゃぁ何だ、コレ?」
「さぁ? でも果たし状を貰ったんだったら何か意味があるんじゃないですか?」
「……この
「あら、ありがとうダーリン。それなら私に似合う
「……」
押し付けようとしたがあっさり失敗。
お嬢様に口喧嘩で勝つのは難しそうだ。
「それで、ジル? 傷はどうですか?」
「そこそこヤバい。戻ると死ぬと思うから、このまま医者に見せる」
「そうですか。包帯くらいなら私、巻けますよ?」
「……頼む」
「はい、頼まれました」
言って、鈴音はテックコートのポーチから道具を取り出すと、傷口にガーゼを宛がい圧迫する様に包帯を巻きつけて行く。
「……」
「……」
互いに無言。体格差から鈴音が狛彦に抱き着く様な形になってしまうので狛彦はどうにも居心地が悪い。この姿になると五感、特に嗅覚が鋭くなるから猶更だ。
「……この恰好に関してなんかねぇの?」
だから何となくそんなことを聞いてみた。
「別に特には。ただ、納得しました」
「納得?」
「
「……あれ、コレが由来だったのか……」
「由来だったんです、よ、っと」
――はいこれでお終い。あまり動かないで下さいね。
ぽん、と軽く狛彦の分厚い胸を叩きながら鈴音。どうやら狛彦の恰好に関しては余り気にならないらしい。「……」。狛彦は有り難いような、もう少し驚いて欲しかった様な、微妙な気持ちになった。だが――
「あぁ、でも恰好と言うなら――」
鈴音が、ちら、と周囲を見渡し、他に人が居ないことを確認してから、そっと耳打ちをしてくる。
「貴方の剣、不様でしたけど……それでも、私はかっこ良いと思いましたよ、とりまる」
あとがき
ようやくリメイク前に追いついた……かな? と。
膨らませ過ぎてテンポ悪くなっただけかもしんねぇー(; ・`д・´)
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