9 犠牲者
「逃がしただと!」
今は亡き領主ポムドの片腕、農奴観察官ノルドは戻ってきた農奴達の報告に激怒した。
ノルドはポムドの親戚筋であり、彼の警護も仕事にしていた。しかしあろうことかポムドが殺害された折に何故か寝てしまい、仕事を全うできなかった。
面倒なことになる。
ポムドの妻は既に病で死んでいたが、成人した息子が違う領地にいて彼が復讐権を用いるのは決定事項だ。その時ノルド自身も罪をならされなる可能性があった。
本来、武装権のない農奴達に剣を配って三年四組を追わせたのにはそんな事情がある。
「何という失態だ!」
「しかしノルド様、奴らは躊躇いなくマルツを殺しました、あのままだと我々も殺されていたでしょう」
ち、と舌打ちしたノルドはこの先を考えるために訊ねる。
「で、奴らはどこへ向かった」
「終焉の谷です」
「何だと……終焉の谷」
ややあってノルドは大声で笑い出した。
「愚か者め、誰も生きては出られない終焉の谷に自ら入ったか、ならポムド様の敵討ちは終わったな」
「そうですね、終焉の谷は怪物は強い、あいつらは死ぬだけですわ」
補足したのはユニだった。
いつか彼女を襲っていたゴブリンのような歪んだ醜い笑みを浮かべユニは呟いた。
「領主様の痛みを、身をもって思い知ればいいのよ」
「おら! おら! おら! おら!」
黒咲司の拳が落ちるたびに、斉藤和樹の顔面から血が飛び散った。
「もうやめて!」と片倉だけでなく女子達が懇願するが、目を血走らせた黒咲は許さなかった。
「こいつのせいで俺は人を殺したんだ、こいつのせいで!」
黒咲のパンチがまた斉藤の顔面を潰す。
「いい加減にしろ!」
徳川准と平深紅が見かねて止めようとするが、黒咲司の前には堀赤星と脇坂卓が直立していて、彼等を阻んだ。
「いい加減にしろ黒咲、斉藤のせいじゃないだろ、お前が止められなかったんだ」
本田繋がため息を吐いて彼を非難した。
「はあ、何だって?」
黒咲は唇を笑みに歪めると、斉藤の胸ぐらから手を放す。
「何偉そうなこと言ってんだ、本田よう」
黒咲は笑うが、それを笑顔だと誰も取らなかった。
「お前達はいつも俺にたよって、俺の邪魔をしているだけじゃねえか、選ばれた者、そいつはきっと俺だ、お前達はただのザコ、ついでさ」
「人のせいばかりにするな!」
准は怒鳴った。黒咲司の思い上がりに吐き気がする。
「何だと」黒咲は笑みを引っ込め、まわりの生徒達を見回す。
「そうかい、わかったよ。ならお前等だけでやってみるんだな」
黒咲は吐き捨てると堀と脇坂を伴って背を向けた。
「白夜、左だ」
源白夜は反射的にだろうショートソードを横薙ぎに払い、左側から狙っていたゴブリンの胴体を斬った。
「ぐおおお」
緑色をした怪物が悲鳴と共に沈む。
徳川准は前衛に立つ本田、白夜、深紅、木村、立花、力角に後方から指示を出し、援護する。
「平、弓!」
「判っている」
深紅が素早く伏せると、頭上を鋭い矢が空気を斬っていく。
「片倉!」
「はいっ」と片倉美穂は徳川の声と同時に呪文を完成させ、炎の玉を放つ。
弓矢を持ったゴブリンが燃え上がり、「ぐぎゃぁぁ」と叫んだ。
「力角、行ったぞ」
「うん」
仲間を失い捨て鉢になった一匹が、太った少年にダガーで躍りかかる。
がつん、と力角はウォーハンマーを振り下ろし、敵の頭蓋骨を砕いた。
「はあ」と徳川は安堵する。
霧の中から突如襲ってきた十匹ばかりのゴブリンを全滅させたのだ。
「おじょうず、おじょうず」と一番後ろで見物していた黒咲らが拍手して口笛を吹く。
徳川は不快を顔に出さなかった。もう諦めたのだ。
彼等が敵と遭遇するのはこれで三度目だった。
どれも幸い弱いゴブリンだったのだが、黒咲、堀、脇坂の三人は後ろからはやし立てるだけで戦闘に参加しようとしなかった。
否、それを言うなら幾瀬、磯部、飯盛の女子三人もだ。
だから三年四組は事実上二二人での戦いとなっていた。
「しかし、この道は何なんだろう?」
魔法の準備をしていながらも出番がなかった石田宗親が、両端にそそり立つ壁の片方を触る。
ぱらぱらと砂が振った。
「石田、あんまり近づくな、何が落ちてくるか判らない」
本田は霧で上まで見通せない空を仰ぐ。
「この先、どこに通じているのやら」
「いいえ」神出鬼没のエレクトラが容易く首を振る。
「この谷はエルス王国領に行くための近道です、皆さんの判断は間違っていません」
徳川は横目で赤いエルフを見る。
彼女の関する信頼は揺らいでいた。何故かいつも肝心な時その姿が消えるのだ。
「私にも仕事がありまして」とエレクトラは誤魔化すが、彼女が全面的に協力してくれていたら、あるいはこの悲惨な事態は避けられていたかも知れない。
「ほらほら、早く行けよ」
傍観者の黒咲が軽薄な声で休憩を取っている一行を急かした。
ち、と徳川は舌打ちする。彼には懸念があるのだ。
戦っている者の体力である。
前衛職の戦士達は勿論、魔法使い達も、もういくつも魔法を使わせてしまっていた。
魔法は無限ではない。使いすぎると魔法使いの集中力は切れ、呪文を覚えられなくなる。 休息を取れば疲労は回復するらしいが、先程からろくな休みを捻出できていなかった。「あるいは引き返すか?」
野々村が同じ不安にたどり着いたのか提案するが、准は首を振る。
「背後には村人達がいる」
「そうだよなあ」黒咲が耳ざとく会話を拾っていた。
「人殺しは俺だけで十分だもんなぁ」
「ねえ、あれ何とかならないの? ウザいんだけど」
小西歌が唇を噛むが、准は答えなかった。
黒咲司がみんなの為に人を殺したのは確かなのだ。彼が荒れるのも仕方ないと思える部分があった。
「おい」本田が突然警告を発する。
霧の中にまた多数の影が浮かんだのだ。
「あれは!」
影が全身を表して准は震えた。
この世界に来て初めて襲ってきた豚顔の戦士、オークだったのだ。
しかもかなりの集団だ。
「徳川っ! どうしよう」
大谷環が怯えた声を出すが、准は冷静に指示した。
「魔法使いは呪文の用意、レンジャー達は弓、戦士は前に……明智さん、今度は君も前に行ってくれ」
戦士のクラスとは言え女性だったので、後ろに下げていた明智明日香にそう告げると、彼女は「はいっ」と駆けていく。
オークとの一戦は骨だった。
最初の遭遇ほど一方的にはならなかったが、さすがにゴブリンとは違う。
魔法使いは殆どの魔法を使い果たし、戦士達も怪我を負いながら撃退する。
「あたたた」と痛みを訴える者達に聖職者が駆け寄る。
「……まあ最初の俺達とは違うってことさ」
木村智はにやりと笑った。
オークを撃退した事実に興奮しているようだ。
「……強くなっている、かな」
力角はそっと何者かに尋ねるから、徳川准が強く頷いた。
「ああ、君はそのハンマーでオークの頭を叩き割ったろ、もうかなりの強者だよ」
准に褒められた力角拓也ははにかんで顔を赤くした。
「何とか谷を越えられそうね」
細川朧は、吟遊詩人としての歌の魔法を使い切っていたが、楽観的に呟いた。
「だといいけど」
准は小休止の終わりを告げ、皆に前進を促した。
何か得体の知れない不安が彼にはあった。霧の立ちこめる谷底だからかも知れないが、どこかに違和感がある。
野々村秀直は後一回になった魔法について考えていた。
どうしてか今まで読めなかった魔道書の先が読めるようになり、使える魔法も増えている。
……あと一回なら派手な方がいい。
野々村は一発派手なライトニング・ボルトでも使ってやろうかと、呪文を暗記しだした。 その時何かが頭上、崖の上から落ちてきて彼をすっぽりと包んだ。
不気味に温かい液体だった。
……おい。
野々村は半笑いを浮かべて誰かに助けを呼ぼうとした。だが液体は開けた口の中にも侵入してくる。
……うううう。
全身が、液体が不意に熱を持ち始めた。半端な熱じゃない、まるで熱湯だ。
……誰か……。
彼は助けを呼ぼうとしたが、霧の立ちこめる中、なかなかこちらに気付いてくれない。 と、一人の男と目があった。
黒咲司だ。
彼は驚いたように目を見開き、野々村を見つめている。
……助けてくれ。
だが黒咲は彼の切なる願いを無視し走り出した。
野々村秀直はスライムにゆっくりゆっくりと溶かされていった。
「野々村君!」
との石田の悲鳴に徳川准は振り返った。
唖然とし立ちつくす……否、脚が震えて動かなかった。
野々村秀直は半分溶けていた。
頭の片方は頭蓋骨を露出させていて、体は皮膚も肉も無くなり内臓が出ている。
「う……!」
准はこみ上げてくる苦い物を喉に感じながら、聖職者に叫んだ。
「敵だ! 野々村が危ない! 誰か治してやってくれ」
しかし駆け寄った北条青藍が憮然とする。
野々村に被さっている液体をどうにかしないとならないのだ。
「何か魔法は?」
准は喚いたが、皆今更魔道書を捲りだす有様だった。
野々村秀直がぐしゃっと倒れた。違う、脚が溶かされ自重に耐えられなくなったのだ。 もう野々村は殆ど白骨化していた。
「誰か! 野々村を、野々村を」
准は名を呼び続けたが、平深紅が惇の肩を掴む。
「……ダメだ、もう遅い」
「何だと!」
准は深紅の手を振り払おうとしたが、悲嘆に歪む彼の顔を見た。
「あああ……」
徳川准はようやく認めた。
野々村秀直は死んだのだ。死んでしまった。
「ぼけっとしている場合じゃない」深紅は鋭く准の壊れそうな精神を打つ。
「あの敵は次の獲物を探している」
目を上げると野々村を骨にした液体が、おぞましいことに液体の体躯を伸ばしていた。
「……皆、逃げろ」
それしか道はなかった。
三年四組は一人を失い、霧の谷を走り出した。
笹野麻琴は野々村秀直の死について何も感じなかった。
彼が嫌いであったわけでも、心が冷たいわけでもない。
不意に身近な人物に訪れた死、が受け止められなかったのだ。
……野々村の奴、みんなに心配かけて……後で文句言ってやろう。
彼女はそう呑気に考えつつ谷底を駆けた。
「ちょっと怪我してても治してやればいいんだ。魔法があるし」
聖職者である彼女は、戦いと勝利の神「ヴァルガ」のシンボルが刻まれたメダリオンを片手で何となく握りながら走る。
バレー部で中学三年間鍛えた彼女にとって長距離走は苦痛ではなかった。
数歩前も見えない霧の中だとしても、進めば何があるか判る。
……それにしてもお腹空いたな。
笹野麻琴の問題はむしろそっちだ。
ぶつり、と突如彼女は闇の中に落ちた。
笹野麻琴の真後ろを走っていた斉藤和樹は驚愕した。
前にいた少女が消えたのだ。それもカノスの町で買った皆に不評な乳牛の靴をちょこんと二つ残して。
直感で理由を悟り、彼は黒咲に殴られた後に笹野に治して貰った顔を弛緩させた。
霧の中に巨大すぎる芋虫がいた。
丸い口にぎざぎさの牙をはやした、芋虫だ。それは咀嚼しているように口を動かしている。
すぐにぺっと口から何かを吐き出す。
斉藤はすぐに何か判った。
戦いと勝利の神「ヴァルガ」のメダリオンだ。笹野麻琴が首からかけていた物。
ふらりと斉藤は置いてある靴に近づいた。
中には足が、笹野麻琴の足首から下が入っていた。
「うわ……」斉藤の心肺は膨れかけ、すぐに悲鳴は出せなかった。
「うわああああ!」
数秒後、ようやく喉から声がほとばしった。
笹野麻琴の消化はもう始まっていた。
斉藤の絶叫は当然准達に届いていた。
しかし彼等は今それに構っていられる状態ではなかった。
野々村秀直と笹野麻琴を不意に失った三年四組はもう走っていない。彼等は立ち止まっている。
目の前に巨人が現れたのだ。
巨人は成人男性の五倍の身長はあり、体中筋肉でぱんぱんだった。顔には一本の角と一つの目。
准はさすがにこの敵の名前を知っていた。
サイクロプス。
ギリシャ神話に出てくる怪物だ。それが前方にずらずら五体も並んでいる。
徳川准は旅の終わりを予感した。
木村智は絶望に翳る皆の中にあって、一人闘志を燃やしていた。
「でかいからって調子に乗るな!」
それほど背が高くない彼の反抗心だった。
木村は港区羽場中学校に入学した途端、先輩達に目を付けられた。
彼等は何も知らず平和な小学校からやって来た後輩達に、イキって見せたかっただけなのだろう。
木村智が選ばれたのは、それ程身長がないのに元気だったからだ。
先輩達は精一杯偉そうに彼を校舎裏に呼びつけた。
訪れた木村が見たのは、自分より頭一つ以上デカい連中だ。
「お前チョーシに乗ってるだろう」
先輩達は完全に木村を侮り、頭の悪さの証しであるよくある台詞をぶつけた。
木村は何とも思わなかった。
ただ身長がでかい連中など怖くも何ともなかった。
だから「はいそうです、チョーシ乗ってまーす」と相手の神経を逆撫でした。
大乱闘になった。木村は一人だから一方的なリンチだ。
しかしそれにおいて、木村は先輩数人の歯を折り、地にのした。
結局大怪我を負ったのだが、その大活躍によって、二度と先輩達は彼を敵にすることはなくなった。
そう、デカいから強い訳じゃないのだ。
木村智は皆が呆然と見上げるサイクロプスに、一人ショートソードを構え突進した。
足を傷つけられれば突破口を開ける。と考えたのだ。
どしん、と彼の頭上に荒く削った大木の棍棒が振り下ろされた。
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