第03話 呪われた後宮

「急いでいるの? なら縁取ふちどりの図案をもっと簡単なものに変更すれば……」


「ダメよ! 簡単な図案になんてしたら、私が出来の悪い娘だと思われちゃうじゃない! 砂漠の勇者カムラーン様の花嫁としてふさわしい装いをしなきゃ、向こうの女衆おんなしゅうにナメられちゃうわ!」


 その簡単な図案すら、貴女は一人で仕上げられないんでしょ?


 ……なーんて言ってやりたいところだが、下手に反論しようものなら、また父親にあることないこと言いつけて面倒を増やしてくれるだけだろう。伯父は母のことを親に甘やかされたせいでつけ上がっただなんて言っていたけれど……自分の娘が同じように甘やかされて育っているということに、気付いていないのかしら?


 伯父は祖父のことも横暴だなんだとすごく嫌っていたけれど、実は似た者親子なんじゃない? ――そんなことを考えながら内心ため息をついていると、ジロジロと部屋の中を見回していた義妹が言った。


「あら、その糸を入れてる箱! まだそんな良い物を隠してたのね!」


 ――しまった、見つかった!


 彼女はずかずかと部屋の奥まで入り込むと、刺繍糸を入れている手箱を持ち上げた。


「これ、私にちょうだい? こんなにキレイな螺鈿細工らでんざいくなんかにはもったいないわ!」


『砂かぶり』とは、義妹が私につけたあだ名である。みな黒髪ばかりのこの砂漠の部族の中で、西方人を父に持つ私はひとりだけ乾いた砂によく似た色の髪を持っていたからだ。……もっとも父さまの髪は私と違って、とても綺麗な金色ブロンドだったのだけれど。


「待って! 糸を整理しておく箱がないと、刺繍の効率が悪くなるわ。完成が遅れてもいいの?」


 なんとか持って行かれまいと私は反論したけれど、義妹は鼻で笑ってみせる。


「なによ、分かってるわよ。オバさんのお古ばかりでカワイソウな義姉ねえさんは、新しい物が欲しいんでしょう? 大丈夫、後で代わりの物を持って来てあげるわ!」


 義妹は箱の中身をバサッと床にぶちまけると、さっと身を翻すようにして部屋を出ていった。きっとまた明日にでも、確かに新品の手箱が届くのだろう。でもそれは母のお古とは比べようもないほど質素な物なのは、いつものことなのだ。


 なにより……あの東方渡りの美しい細工箱は、母がとても気に入っていたものだ。帰ってきた時に失くなってしまっていたら、悲しく思うかもしれない。


 と、そこまで考えてから――別にそれほど高価な手箱が惜しかったわけではないということに気が付いて、私は自嘲した。口では悟ったようなことを言いつつも、私はまだ、いつか両親が迎えに来てくれると心の奥で信じていたのだろう。自由すぎて大人としてダメなところはあったけど、優しい人たちだったから。



 ――このように、まずは装飾品、次は衣類、そして最近ではこんな小物にいたるまで……母が残して行った物たちは、ことごとく義妹のものになっていた。見かねた祖母が以前に抗議してくれたけど、『今はオレが家長だ!』という伯父のひと言で、もう止められる人はいなかったのである。



  ◇ ◇ ◇



 あれから数日後の朝。私がいつものように厨房で野菜くずを集めていると、母屋おもやの方が騒然とし始めた。


「ねぇ、何かあったのかい!?」


 そわそわと落ち着かない様子で母屋から戻ってきた女中の一人を、厨房係たちが取り囲む。


「それがねぇ、成人したら皇帝陛下の後宮ハレムへ上がれって、アルマお嬢さんに宮殿から使いが来たんだってさ!」


「ええっ、でも、アルマお嬢さんはもう再来月には、カムラーンさまの婿入りがひかえてなさるんだろう?」


「それがさ、後宮入りってのはていのいい言い訳で、実情は人質なんだってさ! 皇帝さまは有力部族の長の娘を、年頃になったら片っ端から差し出させてるらしいのよ!」


「まああ! でもさ、人質とは言っても皇帝のお妃さまにゃあ変わりないんだろ? いくらお相手があの獅子殺しの勇者カムラーンさまでもさ、こんな小さな部族の次期族長の妻なんかより、ずうっと名誉なことなんじゃないのかい?」


「でもねぇ、その後宮……実は呪われてるって噂なんだよ!」


「呪いだって!?」


 いつの間にか厨房中の皆が作業の手を止めて、話し手である女中の方へと顔を向けている。女中は鬼気迫るような表情で辺りを見回してから、重々しく口を開いた。


「……ああ、呪いさ。さきの統一戦争で、皇帝に反発した部族の者たちゃたくさん首を斬られちまっただろう? その呪いでねぇ、あの後宮は妃やお子に不幸がたえないんだってさ。しかもそれは表向きの話で、本当は血に飢えた暴君みずから夜な夜な気に入らない妃の首をねてるって噂もあってさぁ……アルマお嬢さんはたいそう怖がっちまって、さっきから泣き叫んで大変なんだよぅ」


 つい最近までこの砂漠は、ひとつの国ではなかった。それぞれが独立した部族が治める小国がひしめき合って、長らく小競り合いを続けていたのである。それをつい十年ほど前に一つの大帝国にまとめ上げたのが、初代にして今の皇帝アルサラーン陛下なのだ。


 早々に降伏し新皇帝の旗下きかに入ったこのロシャナク族は、このたった数年で成された覇道による被害は最小限で済んでいた。しかしその苛烈なまでに急速な一大帝国の誕生は、各所で多くの血を流すこととなったのである。結果として砂漠には新皇帝の名の下での平和がもたらされたが、まだまだ根深い禍根を残しているのだ。


 ――その時。母屋の方からこちらへバタバタと走って近付く音と共に、叫ぶような呼び声が辺りに響いた。


「おいっ、ファリン! アーファリーンはどこだ!」


 それを聞いた私は仕方なく立ち上がると、慌てて持ち場に戻ろうとする女中達の流れを掻き分けるようにして、厨房の出口をくぐる。


「はい、ここにおります」


 外に出た私の顔を見るなり、伯父はわらいながら言った。


「わざわざここまでメス猫の娘を育ててやったかいがあったというものだ。恩に着ろよ、アーファリーン。特別にお前を、名誉ある皇帝陛下の妃にしてやろう!」

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