特訓の日々

 五月の上旬、繁忙期を乗り越えた桜花牧場では土曜と日曜日に地獄のような特訓が行われている。


「おりゃ、ボン! 体幹ずれとる、馬に負担をかけるな! 重しにもなっとらんど!」

「はい!」


 先生は名古屋競馬のトップジョッキー岡騎手、生徒は野球を辞めて騎手への道を歩み始めた石田君。週末なので騎乗予定のない岡騎手が先生役をしてくれているが、平日の夜には足立騎手や新田騎手、浅井騎手たちが遊びに来たついでに指南してくれている。

 ……指南してくれているのはいいのだが、ちょっと困ったこともある。


『障害はいいぞ少年……障害は減量が効く平地オープンがあるから、ある程度の実力を持った馬に乗れて経験が詰めるぞぉ……』

『そぉだぁ、強い馬に乗らないとわからないことが一杯あるんだァ……!』


 俺が栗東のトレセンに顔合わせで向かった時に石田君のことを障害に適性があるなんて呟いたせいで障害専門のジョッキーたちが呼んでもないのに指導してくれていることだ。

 シミュレーターで障害も体験できるせいで石田君自身もちょっと障害楽しいかもって漏らしたからもう大変、中央障害リーディングジョッキーの石森騎手がシミュレーターを使って実践テクニックを指導し、同じく障害で馬術上がりの神馬騎手が理論講義を繰り広げるなど、まぁ、贅沢な教師陣に囲まれて石田君は一か月しかたっていないのにメキメキと騎乗技術が伸びている。障害は若手が少ないから青田買いしようとするのはわかるけどネ……


「体幹を基本に考えろ! ぶれなければ馬に負担はかからないし落馬の危険もグッと減るど!」

「はい!」


 岡騎手の熱血指導がシミュレータールームに響く。うーん、音花ちゃんやほむらちゃんと違ってノリが体育会系なんだよなぁ。

 苦笑いを浮かべつつ、シミュレータールームの壁沿いに並んでいる椅子に腰を下ろして、コーヒーを啜りながら業務用のタブレットを軽快にタップする。すると厩舎のバイトが終わった音花ちゃんが夜練習を行うためにルームに入室してきた。


「お疲れ様です。……なんか熱気が凄いですね」

「お疲れ。見込みのある生徒だから岡騎手も張り切ってるんだろうねぇ」

「順平のなんでも挑戦してみる姿勢のおかげで私たちにも障害騎手たちの囲い込みの波が来てるんですが」

「……石田君も一皮むけたねぇ」

「相変わらず誤魔化すの下手ですね鈴鹿さん」


 はっはっはっ、と視線をタブレットに戻して逃げ切りをはかる。じゃれあいみたいなものなので、音花ちゃんもそれ以上は追及せずに俺の横からタブレットを覗き込んだ。


「あ、例の馬を擬人化してレースさせるゲームですか?」

「そうそう。広報で使うからレアとレジェンを育成してくれって助手君から言われちゃって。繁忙期も過ぎたから試しにやってるんだけど」

「どんな感じです?」

「レアのシナリオで出てくるレジェンってバグじゃない? 勝てないんだけど」

「バグじゃないです。なんならリアルで起こったことです」

「ふふっ、笑えるわ」

「相対した陣営は泣いてたと思いますけどね。あ、下の選択肢の方が安定しますよ」

「へー……あれ? 音花ちゃんこれやってるの?」

「ほむらが誘ってきたので。対戦すると私が完勝するんですけどね」

「頭使うゲームとか致命的に向いてないでしょ、ほむらちゃんは特に……」


 俺の言葉にあはは……と何も返さずに彼女はシミュレーターへと歩いて行った。庇えないけど陰口も叩きたくなかったのだろう。ああ、美しきかな友情。

 ……うーん、どうしてもレアシンジュでレジェンに勝ちたいな。そうだ、上着の内ポケットから魔法の手帳を取り出す。お久しぶりの登場だ。


「えー、レアシンジュでグリゼルダレジェンに桜花賞で勝つ方法と……」


 俺が手帳にそう書き込むと、パラパラと自動的にページがめくれていき情報が浮かび上がってくる。丁寧にフローチャートが書かれた、その通りに進めていくと……


「あ、勝ったわ」

「鈴鹿さんお疲れ様です。なにがですか~?」


 遅れて練習にやってきたほむらちゃんがぴょこっと俺の傍に寄ってきて挨拶する。相変わらず犬みたいな子である。相方の音花ちゃんは猫っぽいのでバランスがいい。


「レアシンジュでレジェンに勝ったんだよ」

「へー、そうなんですね~。……はぁ!?」


 ふんふんと鼻歌を歌いながらジャージの上着を脱ぎ、俺との会話を話半分で済ませてシミュレーターに行こうとしていたほむらちゃんがビュンと風を切って俺の傍に戻ってきた。


「勝ったんですかっ!?」

「はい」

「なんで!?」

「なんでっ!?」


 勝っちゃいけないのかよ!


「あれに勝ったの鈴鹿さんだけですよ! レジェンチャレンジって専用のスレが立ってるぐらいなんですから!」

「スレッドの人たちがヘタなだけなんじゃないの?」


 手帳の力を借りた俺が言うのもなんだが。


「あー! 助手さーん! 鈴鹿さんがまた俺なんかやっちゃいましたしてるー!!」


 ほむらちゃんは先ほど入ってきた扉から再び外へと消えていった。

 その様子を見ていた音花ちゃんがシミュレーターから下馬して、一言。


「今日の夕飯の時、超うるさいですよあの様じゃ」

「だろうねぇ。スターホースに皆で食べに行こうか。マスターになだめてもらおう」

「そうですねぇ……」


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