菊花出走前の目黒会談
結局作戦なんて思いつかないまま菊花賞当日を迎えてしまった。京都レース場のゴール付近でもうすぐ始まる11レースのことを考える。
追いきりの映像を見たがメグロロナウドは完璧に近い仕上がりだった、間違いなく最高のパフォーマンスで勝ちを狙ってくるだろう。
それでも負けてしまうのが競馬の怖いところなんだけどね。
完璧に仕上がった相手にどうやって勝つつもりかって? 俺と海老原のオッサンは吉騎手に丸投げしたよ。実戦でどうにかしてもらわないと机上の空論じゃ返されたらもう無理だから、それなら最初から彼に任せようと俺と海老原のオッサンと二人で相談の上で決めた。
本来なら市古さんが俺の代わりにこの場にいないといけないんだけどね。柴田さんの弟の件でかなり手を尽くしてくれてるのでピンチヒッターで俺が京都まで来た。
市古さんの親父さんが農協の職員さんらしいので、その伝手を今当たってもらっているんだ。喜んで俺も代わりに仕事しますよっと。
「こんにちは。お独りですかな?」
「こんにちは。ええ、ありがたいことに忙しくさせていただいているものでして」
「それは結構ですね。我々が忙しいということは競馬の灯はまだまだ絶えないということですから」
ゴール前でぼやっとしていると不意に御老人に話しかけられた。
よく顔を見てみると、御老人はもう間もなく始まる菊花賞でのサードのライバルである、メグロロナウドのオーナー、目黒牧場の社長さんだ。
彼は馬主席で見ることが多いと聞き及んでいるが、いったい何故ここに?
「私がこのような場所にいるのは珍しいかね?」
「そうですね。目黒さんは上から全体を俯瞰するのがお好きだと思っておりました」
「よくご存じで。私ももう歳ですので、立ったままの観戦は些かきついものがありましてな。最近はよく上で観戦させていただいていました」
なんだか言葉のニュアンスがおかしいな。まるで……。
「どこか身体がお悪いので?」
「ほっほ、ほんに鋭い。
実はこの身は癌に侵されておりましてな、今年いっぱいで牧場に関わることを仕舞にするつもりです。最後ぐらいはゴール前で息子の雄姿を見ようと思いまして。
そうしたら馬主席嫌いの鈴鹿さんが見えたのでご挨拶をと」
「なるほど」
俺の馬主席嫌いはそんなに有名なのか。
目黒さんは確かに頬なんかが痩せこけており、病と言われればそうだろうなと返す姿をしている。それを親しくもない俺にするということは何か裏があると考えるのが妥当か。
「わかりました。何か私に頼みたいことがあるんでしょう?」
「ほっほ。やはり頭が切れますな、話が早い。
目黒牧場は私が回しておりました。不祥の倅たちも懸命に牧場を維持しておりますが、強大な土地を維持するのは限界がありまして。小耳にはさんだのですが、鈴鹿さんの知り合いに独立したがっている方がいるとか」
「ええ、うちのスタッフの弟さんがどうにかして屠殺に回される繁殖牝馬を引き取りたいと、懸命に開業場所を探しております」
俺の言葉に目黒さんはニヤリと笑い。
「うちの土地を賃貸として契約して開業しませんかな? 設備が揃っているので初期投資も抑えられますし、隣接して倅たちも牧場を経営しているので相談にも乗れるでしょう」
ふむ、実に美味しい話だが……。狸爺だなぁ。
「経営が傾いてきたら私が手を貸して潰れないようにすると思っていらっしゃるのですね?
たとえ牧場の一部を貸してでも経営が傾いた時の保険が欲しいと。」
「お見事。鈴鹿さんは人はともかく、困っている馬は見過ごせんでしょう?」
その通りだけどさー。
「その心持ちはアナタの素晴らしい美点ですが、私のようにそれを悪用しようとする人間もいます。老婆心ながら忠告させていただくが、ある程度の割り切りを持たねば必ずコケますよ」
「御忠告どうも。ですが、自分の納得しないことはしないと決めているので。
話はスタッフに回しておきます。すぐに連絡がいくと思います」
「ほっほ。余計なお世話だったようですな」
少しだけ離れていた目黒さんがスッと俺に近寄り。
「気を付けなされ。大手は本格的に桜花牧場を囲い込もうとしてますぞ。政治家にも顔が利く連中ですからな」
なんとも恐ろしい助言をしてくれたが。
「はっはっは。大丈夫ですよ目黒さん」
たかが政治家程度で止められるほど甘っちょろくないぞウチの牧場は。
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