東京5レース、左回り、1600メートル、新馬戦。

「羅田さん、どう乗ります?」


「グリゼルダレジェンは追い込みが得意です、他の脚質もいけなくはないんですが最後方から抜き去るのが好きみたいで。なのでスタートしたら後ろにつけて残り4ハロンからスパートをかけてください」


「4ハロンから!? マイルとはいえスタミナが持つんですか?」


「いけます。グリゼルダなら」


 妙に自信を持つ羅田調教師に吉騎手は驚く。

 以前ならこのように馬のことを信用した選択をしなかっただろうと、彼の管理馬と長年戦ってきた自身の経験がそう告げる。

 昔とは見違える姿を見て、何があったのだろうと考えた。だが、今はそれどころではないと頭の中から追い出しレースに向けて思考を切り替える。

 羅田調教師と別れて、吉騎手はパドックに向かう。騎手が乗り込む最終周回まで待っていると先輩の館岡騎手に話しかけられた。


「足立のこと聞いてるか?」


「まだ意識が戻ってないそうです」


「そうか…。問題ないといいけどな」


「まったくです」


 聞き耳を立てていた他の騎手もどことなく意気消沈している雰囲気を出している。


「じゃあ代わりに俺が一着とらねぇとなー」


「なんでですか! 獲るんだったら乗り替わりの吉さんでしょ! いや譲りませんけど!」


 落ち込んだ雰囲気をどうにかしようと館岡騎手がボケを飛ばすと、すかさず沼付騎手がツッコミを入れる。

 そこにいる十一人の騎手みんながガハハと笑い、空気が元に戻ったところで。


「足立が目が覚めてレース結果見たときに、俺なら一着とってましたよって言われねぇようにしねぇとな! よっしゃ行くぞ!」


 館岡が自らの頬を叩き、気合を入れてパドックへと飛び出す。

 それに続くように吉や沼付も自らの騎乗する馬に向けて歩き出した。




 グリゼルダレジェンに騎乗し、返し馬を行うために本馬場へ。


(大人しい馬だ…、闘争心が欠けているように見えるが本当に大丈夫なのか?)


 何千頭もの馬に騎乗してきた吉は感覚的に勝負根性がないタイプだなと理解した。

 羅田調教師の言う通りにして走ってくれるのだろうかと思っていると。

 本馬場に入り、駆けだした瞬間。吉は自身の過ちを悟った。


(速い…! しかも身体のブレが少ない…!! 新馬の乗り心地じゃないぞこれは!)


 本走ではない、しかしそれを差し引いても速い。鞭も無しにここまでいけるのか。 


(これは足立騎手は悔しいだろうな、館さんたちには悪いが馬の質が違う。G1を獲る馬は基礎から違うものだが、この子はその器だ)


 そのまま返し馬も終わり、グリゼルダレジェンはゲート前で他の馬に混ざり輪乗りを始める。やはり落ち着いたままで闘争心が見られない。

 

「やばいな、その馬」


「見えちゃいましたか」


 返し馬の最中に視界に入ったのだろう、真面目な顔をした館岡がグリゼルダレジェンの隣まで馬を寄せ感想を告げる。


(警戒されてるな、当たり前だけどね)


 吉はそれでも焦らない、自身がキチンと導けば負けはないと確信したからだ。

 輪乗りも終わり、ファンファーレが鳴り響き一枠一番からゲートに収められていく。グリゼルダレジェンは5枠5番。奇数番からゲートに入るため、他の奇数馬は落ち着きがなくキョロキョロしたり頭を振ったりするがグリゼルダレジェンにはまったくそれがない。

 そのまま偶数番が収まり、ゲートが開いた。




 レース後の吉武騎手はこう語った。

「すごい馬ですね、いやもう伝説のモンスターですよグリゼルダレジェンは」





ーーーーーーーーーーーーーーーー


『東京競馬5レース、新馬戦、芝1600メートル、11頭です。

 全馬のデビュー戦、スタートはスタンド奥右手寄り。ノバシタテソノママが向かいます、リーガルギガントとリーガルプレゼント収まってヨシクマ入りました。最後にデンゲキセカイ、11番ゲートに収まります。ゲートイン完了。

スタートしました! 11頭まずは先行争いに入りますがレアシンジュいいスタートいいダッシュ。リーガルプレゼントが先頭に立ちました。2番手にレアシンジュ、3番手にはオマツリママ、4番手にはノバシタテソノママ。その後ろにリーガルギガント中団です。さらにグレッグスセン、ヘブンズロード、バトルポスト、ヨシクマ、デンゲキセカイ、最後方にはグリゼルダレジェン追走体系です。各馬1コーナーから2コーナーに向かいます。

 まずリーガルプレゼント先頭でリードは3馬身と見ました。やや縦長です。2番手3番レアシンジュ、3番手1番オマツリママ、4番手4番ノバシタテソノママ、縦長バラバラの展開。あとは5、6馬身切れました。リーガルギガント追走、後方固まってヘブンズロード、バトルポスト、グレッグスセン、ヨシクマ、デンゲキセカイ。グリゼルダレジェン最後ほっ! いや違う! グリゼルダレジェン猛烈な足で上がっていく! レースはまだ中盤だが体力は持つのか!? デンゲキセカイを抜き、続けてヨシクマ、グレッグスセン、バトルポスト、ヘブンズロードをごぼう抜き! リーガルギガントをあっさりかわしてノバシタテソノママに食らいつく! 抜いた抜いた! ノバシタテソノママ、オマツリママ、レアシンジュを抜き2番手まで躍り出た! 残り400メートル! リーガルプレゼント逃げるが捕まった! 独走だ! 独走だ! 残り200メートルで既に独走状態だ! 後ろはもう届かない! グリゼルダレジェン大差勝ち!! 続けてバトルポストがゴールイン! オマツリママ、ヨシクマ、ヘブンズロードが並んでゴールイン! デンゲキセカイ、グレッグスセン、リーガルギガント、リーガルプレゼント、ノバシタテソノママ、レアシンジュの順番で入線です。

 グリゼルダレジェン、大変強いレースを見せてくれました。来年のクラシック戦の主役になることは間違いないでしょう!』 



ーーーーーーーーーーーーー



「勝ったな」


 固く握った拳を解く。相応に緊張していたらしい。


「強いな、お前は」


 魔法の手帳でグリゼルダレジェンの能力を見たときに数値としては理解していたが、目の前で見せつけられるとそれも納得してしまう強さだった。


「素晴らしいお子さんですな」


「渡辺さん」


 ゴール前で観戦していた俺にわざわざ馬主席から下りてきてくれたであろう渡辺さんが声をかけてくれた。

 ああ、そうだ。レジェンは自慢の娘だ。


「足立騎手のことを聞こうと思いましてな」


「まだ連絡がこないんです、おそらくはまだ…」


「そう、ですか。大事ないといいのですが」


「私も山田君と連絡を取って、このあと病院に向かおうと思います。先ほど頂いた名刺に連絡を差し上げても?」


「それはありがたい、よろしくお願いします。羅田調教師にもできることは協力するとお伝えいただけますか?」


「分かりました、それでは」


 渡辺さんに挨拶をして東京競馬場から出る。レジェンにも会いたいがレースが終わればレジェンは栗東にそのまま帰厩するので会えるタイミングはないだろう。直接会ってやりたいが足立騎手のことが気になりすぎる。

 タクシーを捕まえて山田君に電話する。運ばれた病院は把握済みだ。

 二、三コールのあと彼と繋がった。

 

「もしもし山田君?」


「社長、おめでとうございます。やっぱりレジェンは強かったですね」


「ああ、分かってたことだがね」


 幾分か山田君の声が小さい。おそらく病院内の通話できるスペースにいるのだろう。


「足立さんの状態は?」


「残念ですが意識はまだ…。それに骨折もあるみたいで」


「あれだけ勢いよく投げ出されれば骨の一つも折れるか…」


「お医者さんにはしばらく目を覚ますことはないと思うと言われました」


「分かった、羅田さんにはメッセージを送っておく。後二十分ぐらいで着くから食事を取ってきてもいいよ」


 ありがとうございます、そう言って電話が切れた。山田君も結構凹んでいるな…。

 外とまだ出走する馬がいて連絡が取れない羅田さんにメッセージアプリで現状を送っておく。その馬は別のジョッキーが乗る予定だったのが唯一の救いか。

 それにしても骨折か…。予定にしてあった2歳限定重賞の新潟、小倉、札幌は八月末から九月頭だ、果たして間に合うだろうか…?



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る