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4ヶ月の冬眠から目覚めた僕は、メインブリッジに移動してウインドウを覆う保護シャッターを開く。通常なら4ヶ月も寝たきりだったら筋肉が落ちてしまい、長期間のリハビリが必要になるが、人工冬眠は新陳代謝を最低限に留めるため、基本的に入眠時の肉体がそのまま保持される。だから目覚めた直後でも普通に体を動かすことが出来るのだ。
目の前には白い雲に覆われた金星が見えていた。最接近位置のここからみた金星は、ちょうど静止衛星軌道上から見た地球くらいの大きさだった。それもそのはず、ここは金星の地表から約4万キロメートル離れた宇宙空間。地球の静止衛星高度とほぼ同じであり、しかも金星は地球の双子と言われているくらい大きさが似ている星なのだ。しかし大気成分はほとんどが二酸化炭素で、地表は気圧9万3千ヘクトパスカル、気温約500℃の灼熱地獄だ。
この距離から肉眼でこの星を見た人間は、僕が最初だろう。しかし、僕には何の感動も無かった。そもそも今回は金星探査がメインのミッションではない。あくまでここは通過点だ。それでも僕は船に備わった全観測機器を駆使して、できるだけ金星のデータを収集した。これらはそのままリアルタイムに地球に送られる。
そして重力の影響により急角度で方向転換しつつ、「はやて」は金星から遠ざかっていく。次の目標は、地球だ。と言っても帰るわけではない。「はやて」は地球にもスイングバイをかけることになっているのだ。これで3年後に木星に到達できるだけの速度が得られる。もちろん地球は観測なんかする必要が無いので、無事金星の引力圏を脱出したら、再び僕は人工冬眠に入ることになっていた。
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それはいつもの朝の目覚めと全く変わらなかった。だけど、世界は僕が眠りについてから3年ほど経過していたのだ。ウインドウの向こうには三日月の形の木星が大きく広がっていた。
到着したのだ。最終目的地に。
木星中心から半径約20万キロメートルの周回軌道。遠くから見ると表面の縞模様は美しかったが、これだけ近くだと細かな模様が結構グロテスクだ。そして……例の赤道付近の幾何学模様も、肉眼で十分確認出来た。
この風景も、肉眼で見たのは僕が最初だろう。だけど金星の時と同じように、僕は何の感慨も得られなかった。僕の感情というものは、娘を失った3年前に既に完全に鈍磨してしまったのだろう。
「アキ」が記録したこれまでのフライトログを遡ってみると、今回の旅は本当に順調だったことが分かった。デブリに衝突することも無く、太陽フレアも船に大きな影響を及ぼすことはなかった。
既に観測機器は僕が目覚める2ヶ月前から、「アキ」によって全て起動されていた。金星の時は観測する波長を限定したが、今回は木星から放射されるほぼ全ての波長の電磁波を観測することになっている。
木星から電波が放射されているのは、既に 1950 年代には知られていた。それが知的存在によるものなのかは分からない。だが、何らかの手がかりにはなるのではないか。僕のミッションの第一歩は、それを探ることなのだ。そして、この2カ月間に蓄積されたデータの解析も、「アキ」によってかなり進められていた。
「……信じられない」
高速フーリエ変換によるスペクトル分析の結果を見た僕は、思わず呟きを漏らしてしまう。
「アキ、本当に、間違いではないのか?」
「はい。結論は99.89パーセントの確率で正しいと言えます」
無機質な女性の声で、アキが応える。
「……」
僕の目の前のホロディスプレイに表示されているのは、木星電波と人間の脳波のスペクトルを比較したグラフだった。低周波成分の分布がほぼ完璧に一致しているのだ。ただし正確に言えば、木星電波のグラフでは時間軸のスケールが100倍に圧縮されているのだが。
そして、木星表面における木星電波の分布マップから得られた空間周波数スペクトルも、人間の大脳表面における脳波のそれにかなり近いものだった。
これらの結果から得られる仮説、それは……
木星の大気も、人間と同じように思考しているのではないか。
そう。木星の知的存在とは、木星の大気そのものなのかもしれないのだ。
ただし、その思考速度は人間に比べると 1/100 程度になる。それは当然だろう。スケールが違いすぎる。光の速さでも木星の北極点から南極点まではきっかり1秒かかるのだ。それを考えると、1/100 程度の遅れで済んでいるのは逆に奇跡と言わざるを得ない。
しかし……
だからと言って、木星の大気が何を考えているのかは、分からない。それは人間の脳波を見ても人間が何を考えているのか具体的に分からないのと同じだ。
何らかの方法で木星の大気とコミュニケーション出来ればいいのだが……どうしたらいいのだろうか……
いつの間にか眠気と疲労感が押し寄せてきた。僕も少し頭を使いすぎたようだ。冬眠から目覚めたばかりでまだ体が本調子になっていないのかもしれない。考えるのを切り上げた僕は居住セクションに戻り、(人工冬眠ではない通常の)眠りにつくことにした。
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