第30話 暴かれる恋愛事情
「桜」
優しく名前を呼ばれ、コハクの手がそっと私の頬へ伸びてくる。
「願わくば、君を幸せにする役目を僕に下さい」
そう言って真剣な面持ちで私をじっと見つめるコハクの瞳には、何か強い覚悟のようなものが感じられた。
頭の中でコハクの言葉を思い返すと、まるでプロポーズでもされているかのようなニュアンスに捉えられなくもない気がしてきて、慌ててその思考を打ち消す。
何を考えているんだ私は!
私達はまだ高校生であって……いや、それ以前に出会ってまだ一ヶ月も経ってない。
初めて恋愛をこじらせた私の思考が、勝手にハイな状態でエスカレートしていくのが恐ろしすぎる。
コハクは少し前向きになれた私を恋人として後押ししてくれているだけだ。
いくら付き合っているからって将来の事なんてどうなるか分からない。
そりゃあ、このままずっとコハクと一緒に居れたらいいなとは思うけど、さっきの自分のいきすぎた捉え方は流石にアウトだ。
深呼吸して気持ちをリセットして、彼の好意に対するお礼を述べる。
「コハク、ありがとう」
すると私の目を見て、コハクは胸のうちを語ってくれた。
「桜が自分の過去を包み隠さず話してくれて、僕は前よりさらに君の事が好きになったよ。桜が自分は鈍感だからって言うなら、僕はいつでも君にありのままの気持ちを伝えるよ。だから、離れていこうとしないで……哀しみも苦しみも、楽しさも嬉しさも、色んな感情を、僕は桜の傍で一緒に共有して生きたいと思うから」
本当にこの人は、私を喜ばせるのが上手な人だと改めて実感した。
コハク一挙手一投足が私の凍えた心を、じんわりと優しく温めてくれる。
傍に居ない事が最善だと思っていたけれど、私の醜い部分を受け入れた上で彼は傍に居たいと言ってくれた。
その言葉を聞いて、小さな箱に無理矢理積詰め込んでいた彼への気持ちが、爆発したように一気にあふれてきた。
「私も貴方が好き。愛おしくて堪らない……だから、ずっとコハクの傍に居たい」
「そんな可愛い事言われたら僕、桜を手放す事が出来なくなってしまうよ」
そう言ってコハクは、一瞬泣きそうな顔をして私の身体をきつく抱き締めた。
何故彼がそんな顔をしたのか分からないけれど、心なしか彼の手が震えているのに気付く。
その震えを止めてあげたくて彼の背中に手を回す。
ふわりと鼻孔をくすぐる匂いも、身体に感じる肌の感触や体温も、早鐘を打つ心臓の音も、コハクの全てが愛おしくてたまらなかった。
「桜……愛してるよ」
耳元でコハクの透き通った低い声が優しく響く。それだけで、私の耳は一気に熱を帯びる。
コハクは抱き締めた手を緩めると、私の額に触れるだけのキスを落とす。
その優しいキスは額から瞳、耳、頬へと徐々に移動して最後は唇に重なった。
コハクは艶っぽい瞳で私を見つめ、何度も愛おしそうに私の唇をついばむようなキスを繰り返す。
そして、開いた口からゆっくりと侵入してきた彼の熱い舌が、優しく私の舌を絡めとっていく。
次第にそれは少しずつ激しさを増し、口の端からつぅーっと一筋の唾液が滴り落ちた。
それをも愛おしそうにコハクはそっと舐めとり、さらに深い口付けを繰り返した。
その甘美な口付けに、私の胸は今まで感じた事のない程の高鳴りを感じ、火照った身体はとろけてしまいそうな錯覚に陥る。
コハクがそっと唇を離すと、名残惜しくて私はボーッとしたまま彼を見つめた。
「これ以上すると、我慢出来なくなる」
その言葉の意味を理解して、私は赤くなっているであろう顔を見られるのが恥ずかしくて俯く。
コハクが私を女の子として意識してくれている事実が嬉しくてたまらない。
でもそれと同時に、好きでもない人と一晩同じベッドで過ごしてしまった事実を思いだし悲しくなった。
「私の初めてはコハクに貰って欲しかった……」
消え入りそうな程小さな声で私が呟いた言葉を、コハクは聞き逃さなかった。
彼は眉を下げて哀しそうな顔をしながら私に尋ねてくる。
「桜……君はあの日、起きてから腰が痛かったりした?」
「ブラウスのボタンは少しはだけてたけど、特にそんな感じはしなかったよ」
その言葉に少しだけコハクの表情が明るくなった。
「普通は次の日、身体に何かしら違和感を感じるものなんだ。もしかすると、桜の初体験はまだ終わってないのかもしれない」
「それ本当?」
「実際に確かめてみない事には、絶対とは言えないけど……」
「コハク……私、確かめたい」
「そんな潤んだ瞳で見てきても今はダメだよ。桜は病み上がりだし、もっと自分の身体を大事にして」
コハクの言葉に私が大きくコクンと頷くと、それを見て彼はふぅーと安堵のため息をもらした。
「じゃあコハク、その耳触っていい?」
私の言葉を聞くなり、彼は急いで獣耳を収める。
「今は絶対ダメ、僕の理性が持たないから」
真っ赤に染まったコハクの顔がその真実性を物語っていた。
しかし、そこで新たな疑問が生まれる。
それは、やけにコハクが女の子の事情に詳しいことだ。
これだけ完璧ならば、今まで付き合った女の子が居たっておかしくない。
その子達からの情報だと思うと、胸にもやもやとしたものが生まれてチクリと痛む。
「桜、どうしたの? 浮かない顔して……もしかして、熱がまた上がってきちゃった?」
「ううん、大丈夫」
馬鹿正直に言えるわけがなくて慌てて否定すると、心配そうにコハクが私の顔を覗き込んでくる。
「じゃあどうしたの?」
「……どうもしてない」
「嘘だ。今、目を逸らした。桜……」
切なそうに名前を呼ばれ、悲しそうなコハクの瞳から逃げる事ができなくて、私は出来るだけ小さな声で彼に聞こえないように言った。
「……コハクが女の子の事情に詳しいから……結構経験あるんだなって……」
しかし、彼の感度のいい耳は私の声を聞き逃さない。
「え? それは誤解だ、僕付き合ったの桜が初めてだよ!」
「じゃあ……」
身体だけの関係を持つ女の子が?!
驚きを隠せない私の態度からあらぬ勘違いをしたと感じ取ったのか、慌ててコハクが否定してくる。
「違う、違う! 変な誤解しないで! えっと、その……小さい頃から……母が……ね、朝いつも腰を痛そうにさすりながら父に『やりすぎだ』って非難してる姿をよく見てて、それで……」
「あ、そ、そうなんだ……なんか、ごめん……」
「いや、誤解が解けたなら……よかった。うん、よかったんだ……」
心のモヤモヤはとれたものの、しばらく私たちの間に何とも言いがたい空気が漂っていた。
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