第28話 母の助言
家に帰ると、私は崩れたように泣き続けた。
コハクと過ごした時間があまりにも楽しくて、また独りになるのが嫌だった。
それでも、これ以上優しい彼を巻き込む事の方がもっと嫌だった。
大丈夫だ、今までずっと独りで過ごしていた。
昔に戻るだけだ。ただ、それだけだ……
泣き崩れていつのまにか眠ってしまっていた。
母の「ご飯よ!」という声に起こされた私は、姿見で慌てて自分の姿を確認する。
目は真っ赤に腫れ、涙と鼻水が滝のように流れた痕がひどい。喉はガラガラと痛むし、おまけに頭もフラフラしてきて、身体が鉛のように重たく感じる。
どうやら、風邪を引いてしまったらしい。
それから五日間ほど、私は高熱に苛まれ学校も休んでいた。
あの後、コハクが家に訪ねて来たけど『会いたくない』と追い返してもらい、スマホは彼からの電話やメールでずっとブルブル震えて充電が切れた。
コハクは毎朝、私の家に訪ねてきては『風邪が酷くて学校はまだ無理なのよ、ごめんね』と母に追い返されていた。
夕方には風邪が早くよくなるようにと、ゼリーやプリンなど喉ごしがいいものと、部屋に飾るためにと毎日違う花をメインとした小さな花束を持ってきてくれた。
その優しさに、物凄く胸が痛くて仕方なかった。
「コハク君、今日も持ってきてくれたわよ」
熱も下がり体調もかなり回復してきた頃、部屋に入ってきた母がそう言って、コハクからの小さな花束と手提げ袋をかかげて見せた。
「いい加減、きちんとお話したらどう? こんなにアンタの事心配してくれているのよ」
「でも私はまた……」
相手の気持ちに気付いてあげられなくて、それで……同じ事を繰り返してしまうかもしれない。
どうしていいか分からず、私は布団をギュッと握りしめた。
「桜は昔からお転婆で人の気持ちに鈍感な所があったけど、その天真爛漫なアンタの姿を見て、どれだけ周りに元気をくれてたか分かる?」
「分からないよ……」
私は自分の事で一杯で、相手の気持ちに気付いてあげられない薄情な人間なんだから。
「空手やってた頃のアンタは毎日生き生きしてた。美希ちゃんの描いた絵を思い出してごらんなさい」
そう言って母は、美希の遺品のスケッチブックを持ってきた。
美希がまだ生きていた頃、私に持ってて欲しいと預かった全部のページが埋まったスケッチブック。
風景から動物、植物の描写、そして空手の構えをした私の姿、真剣な表情、試合に勝って喜んでる姿、どれもこれも今にも動き出しそうな臨場感があった。
本当に、楽しかったな……この頃は。
「美希ちゃんの事は残念だったけど、彼女もきっとアンタのそんな姿を見て、元気を分けてもらってたんだと思うわ。嫌なことも辛いことも桜と一緒に居る時間だけは忘れる事が出来た。だから、アンタにはきっと言いたくなかったのよ」
この絵を描きながら、美希も楽しいと思ってくれてたんだろうか。
美希の描いた絵に正面を向いている私の姿はない。
どうしてもっと、美希の方を向いてあげられなかったんだろうか。
「私が気付いてあげていれば……」
「そうね、一番近くにいて気づけなかった桜も確かに悪い。もっと美希ちゃんと一杯話すべきだった」
私の手を握りしめて、母は私の目を正面から捉えて言った。
その言葉が、私の胸にグサリと突き刺さる。
「それで、アンタはまた同じ事を繰り返すの?」
「……」
同じ事って何?
私は美希のようにコハクがならないように、近くに居てはいけないと、きちんと距離をとっているはず。
「コハク君、相当思い詰めた顔してたわね。このままきちんと話をしないと、どうなるかしら……」
いや、一方的にいい逃げしてきただけだった。
「コハク……」
私は本当にバカだ。自分の事しか考えていなかった。
「彼は生きている。きちんと意思の疎通をとることが出来るのよ。勝手に自分で全て決めつけて、相手の話も聞かずに閉じ籠っているだけだと……アンタはまた、大事なものを失うわよ」
「大事なもの……」
理由も言わずに突き放す様な事をして、コハクが気にしないわけがないのに。
どうして、そんな事にも気づけなかったのか。
この一週間、どんな思いで彼は私の元を訪ねていたのだろうか。
「全てを決めるのは、きちんと話した後でも遅くないわ」
「私、コハクに自分の気持ちをちゃんと伝える。そして、彼の話も聞いてみる」
私の言葉に、母はにっこりと微笑んで頷いてくれた。
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