第55話 災厄の根源


「……」


 奈津子は、この災厄が最終局面に入ったんだと理解した。

 何度も文字に目を通す。


「ヤット アエルネ」


 これは即ち、災厄の根源との邂逅を意味する。

 そう思うと身震いがした。

 奈津子はページをめくり、ペンを取った。

 そして大きく「ぬばたま」と書き、息を吐いた。






 ずっと考えていた疑問に、まだ答えは出ていない。

 でもこの「ぬばたま」という存在が、頭から離れなかった。

 それは私自身の心にこそ、この言葉がかかるからなのかもしれない。


 ぬばたまは、私の前に現れることを宣言した。

 どうして私を狙うのか。正体は何なのか。何も分かっていない。

 でもせめて、ぬばたまと対峙する前に少しでもいい、この存在のことを理解しておきたい、そう思った。


 奈津子がペンを走らせる。

 これまでにあった異変を、もう一度書き起こす。

 宗一に語った時にはなかった、事故の前に亡くなった旅行者の死も加える。

 書き終えて見る。この短期間の間に、これだけのことがあったんだと改めて思った。


 そして次に奈津子は、「ぬばたま」から連想される言葉を書いていった。

 それを書くことで、正体に近付くことが出来るかもしれない。そんなことを思いながら、一文字一文字に力を込める。


「漆黒、暗黒、絶望、虚無、死、闇、影」



 そして思った。状態や概念に関する言葉がほとんどだと。

 それらはぬばたまの正体に近付く為に、多少助けにはなるだろう。ヒントも隠されているかもしれない。だが、概念はあくまでも概念だ。存在を暴くのにはまず、そういったものを排した方がいいのではないかと思った。

 奈津子が言葉にバツをつけていく。


 漆黒、暗黒。これは状態であったり、次にある絶望を表す比喩的な言葉とも言える。絶望は勿論、心の状態だ。そう思いバツをつける。

 虚無もそういう意味では、今は除外した方がいいのかもしれない。


 そして死。

 自分の周囲で、これ以上形容するにふさわしい言葉はないかもしれない。だがこれもまた、状態を表す言葉だ。

 勿論、死を何かの存在として例えることは出来る。死神などは、その最たる例かもしれない。

 だが、自分にとってはどうなんだろう。確かに自分の周りで、多くの命が奪われていった。しかし自分は健在だ。ぬばたまの目的が、自分の死にあるとは思えなかった。もしそうであるなら、事故の時に死んでいた筈だ。

 そう思い、死にもバツをつけた。


 闇。

 心の状態とも言えるこの言葉。その本質は何だろう。

 闇とは即ち、光の差さない場所のことだ。言ってみれば対義語であり、光のコントラスト。

 そう思うとこの言葉は、次の言葉と同義とも言えた。





「……」


 最後に残された言葉で、奈津子はペンを止めた。





 影。





 ぬばたまを連想した言葉の中で、一番印象の薄かった言葉。どうしてこの言葉が浮かんだのかもよく覚えていない。


 しかし今。


 この言葉に身震いしている自分がいた。

 唯一、この世界に実在しているもの。

 そう思った時、奈津子の中にあった一つの疑問に答えが出た。





 異変の始まりであり、今なお続いているもの。

 自分を追い続けている視線。

 どこにいても、どこに逃げてもついてくる視線。

 そんなものが存在する筈がない。

 たったひとつを除いて。

 奈津子は立ち上がり、足元に視線を移した。


「……そういうこと……だったのね」


 足元に色濃く刻まれた自分の影に、奈津子がそうつぶやいた。


「どこまでもついてくる……当然よね。だってあなたは、私が消えるその日まで、私と繋がってるんだから」


「正解。よく出来ました」


 背後からの声。

 奈津子が体をビクリとさせた。


 恐る恐る振り返ると、そこにはいつも使っている一面鏡の姿見があった。

 そしてそこに映っているものに、奈津子が驚愕した。


 自分の姿。


 しかしその顔は、自分とは思えない凶悪な笑みを浮かべていた。



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