第45話 私は生きている


 11月17日土曜日。

 亜希の死から半月が経ったその日、玲子が家にやってきた。


 多恵子に通されて部屋に入ってきた玲子を、奈津子は抱き締めた。

 涙が止まらなかった。

 何度も何度も、玲子の名を口にする。

 玲子は微笑み、「久しぶり」そう囁いた。





「元気にしてた?」


 涙を拭う奈津子に、玲子が語り掛ける。


「大丈夫……ずっときつかったけど、玲子ちゃんの顔を見たら元気出た」


「よかった。その……心配かけてごめんね」


「玲子ちゃんの方こそ、大丈夫なの?」


「うん……私もね、色んなことを考えてたの。亜希のことは勿論だけど、奈津子のこと、クラスのこと……あと、これからのことも」


「……」


「亜希がいなくなったことで、私の中の何かが死んだ、そんな感じだったの。その喪失感が辛くてね、しばらく何も手につかなかった。

 でもね、人間って面白いなって思った。全てに絶望して、もうどうなってもいいって思ってるのに、お腹が空いてくるんだ。部屋から出たくないって思ってても、トイレにだけはちゃんと行くの。どうなってもいいんだったら、部屋で服のまましちゃえばいいじゃない? でもね、それは嫌だ、恥ずかしいって思ったの。

 おかしいよね。何もしたくないって思ってるのに、誰にどう思われてもいいって思ってる筈なのに、その一線だけは守ろうとしてた。

 そんなことを考えてたらね、笑ってる自分がいたの。どんなに絶望していても、どんなに苦しんでいても、結局のところ、私はこれからも生きていくつもりなんだなって気付いたの。そうしたら笑ってて」


「玲子ちゃん……」


「それからしばらくしてね、久しぶりにちゃんとご飯を食べたの。お米を洗って、味噌汁も作って……冷蔵庫にあったから魚を焼いたわ。あったかくて、とてもおいしかった。

 それからお風呂にも入った。久しぶりだから、本当に気持よかった。私、生きてるんだ……そんなことを何度も思ってね、また泣いたの」


「……」


「私は生きている。亜希が感じることの出来なかった今を生きている。そう思ったらね、急に勿体ない気がしてきたの。何をやってるんだろう、私って。

 こんなんじゃいけない。亜希が今の私を見ても、絶対褒めてくれない。しっかりしなくちゃって思ったの」


 奈津子が玲子を抱き寄せる。


「本当に……本当によかった……私、玲子ちゃんにずっと会いたかった、声が聞きたかった……でも、玲子ちゃんがどれだけ辛い思いをしてるかって考えたら、何も出来ないって思って……ごめんなさい、友達失格だよね」


「そんなことないよ。奈津子のことだから、そんな風に考えてるんだろうなって思ってた。私の方こそ、辛い時に支えてあげられなくてごめんね」


「私のことはいいの」


「そんなことないよ。だって奈津子は、一番近くで亜希を見送ってくれたんだから」


「玲子ちゃん……」


「あの日私が休んだばっかりに、辛い役をさせちゃったね。ごめんなさい」


「玲子ちゃん、玲子ちゃん……」


「でも……傍にいてくれたのが奈津子で、亜希も嬉しかったと思う」


「亜希ちゃん……亜希ちゃん……」


「もう……この話はここまでにしましょう。どんな言葉を紡いでも、自分を貫く刃になってしまう。そんなこと、亜希も望んでないと思うから」


「うん……うん……」


「だから……奈津子、ただいま」


 そう言って奈津子の頬に手をやり、玲子が微笑んだ。

 頬に伝う涙。それを指でぬぐい、奈津子も微笑んだ。


「おかえり、玲子ちゃん……」






「奈津子は文化祭、参加したの?」


「ううん、流石に無理だった。前の日に先生とも話したんだけど、やっぱりうちのクラス、誰も来ないって聞いて」


「そうなんだ。でも……仕方ないよね」


「うん、仕方ないと思う。だってクラスメイトが、二人も亡くなったんだから」


「それも、ただの別れじゃないし」


「うん……」


「私もね、色々考えていたの。どうしてこんなことが起こったんだろうって」


「……」


「二人共、それなりに説明はつくの。丸岡の事故。あれはただの事故だった。たまたま丸岡が不運に見舞われただけ。

 亜希は……ずっと悩んでた。亜希にとって、あの家は本当に大切な場所だったの。これからもずっと続くと思ってた幸せが、ある日突然壊れていった。その現実に、亜希の心がついていけなくなった。絶望し、哀しみ、苦しんで……それが限界を超えてしまって、ああいう結果になってしまった」


「そう……だね……」


「でも、私には納得出来ないの。こんなことが続けて起こるなんて。それも……あなたの目の前で」


 そう言って、表情を引き締めた。



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