第23話 命


「……証拠はないわ。あなたは馬鹿だけど、こういうことには慎重だからね。自分の痕跡なんて残さないでしょう」


「だったら謝ってもらわないとな。証拠もなしに犯人扱いされて、こっちはたまったもんじゃない」


「でも動機はある。と言うか、あなた以外に動機なんてない」


 もう大丈夫だから。そう言って亜希に微笑むと、ゆっくりと息を吸い込み丸岡を見据えた。

 いつもの玲子だった。


「あなたは試験で奈津子に負けた。あなたが言うところの『チンケな馬鹿共の集まり』の中で、必死に守ってきた一位の座を、転校してきたばかりの奈津子に奪われた。

 さぞ悔しかったでしょうね。なんでこんなやつに、しかも女ごときにってね。それは昨日のあなたを見てたら分かるわ。あなた、みっともないくらい奈津子に嫉妬してたもの」


「和泉お前……黙って聞いてればいい気になりやがって」


「違ったかしら。みんなもそう思ってた筈よ。それと、ざまあみろってね」


「お前……」


「いつも私たちを下に見て、自分以外はみんな馬鹿だって言ってたもんね。ほんとあなたって、選民意識の塊だもんね。でもそんなあなたがトップから転がり落ちた。きっとみんな、痛快だったと思うわよ」


「ふざけるなよ! お前、いい加減に」


「いい加減にするのはあなたよ丸岡! 何より私が怒ってるのはね、そんなあなたのどうでもいいプライドの為に、たくさんの命が奪われたことよ!」


「はあぁ? 命ぃ?」


「そうよ、命よ! あなたまさか、高校生にもなってそんなことも分からないの? あなたはね、無駄に命を奪ったのよ、それもあんなに」


「たかが虫けらじゃねえか! そんなもんで何をそんなに」


「命をなんだと思ってるのよ! 虫にだって命はあるのよ!」


「はあああっ? じゃあ何か、お前は今まで命を奪ったことはないってのかよ」


「……やっぱり馬鹿ね、あなたは」


「何だとっ!」


「一つの命も奪わずに生きているものなんて、この世界にいる訳がないじゃない。私だって、あなただってそう。いつもたくさんの命を奪って、それを糧として生きている」


「それみろ、お前だってそうなんじゃねえか。それならどうこう言われる筋合いはねえよ」


「いいえ、あるわ。確かに私も、たくさんの命のおかげで今まで生きてこれた。だから私たちは、そのことに感謝しなくちゃいけないの。

 食事の時に、どうして手を合わせると思う? どうして『いただきます』って言うと思う? それはね、犠牲になった命に対する、感謝の気持ちなの。そうしないと生きていけない私たちは、その気持ちを忘れちゃいけないの」


「はんっ! くだらねえ、坊主の説教かよ」


「でも、あなたがしたことは違う。あなたは自分の鬱憤を晴らしたい、ただそれだけの為に命を奪った。それはね、殺戮なの」


「虫ぐらい、ガキだって面白おかしく殺してるじゃねえか!」


「いいことだとは言わない。でもね、人間はそうやって、少しずつ命の重みを学んでいくものなの。何をしてるか分からない。無邪気に笑いながら虫を殺す。でもね、ある時気付くの。何て愚かなことをしてたんだろうって。

 あなたはそんな子供たちにも劣るのよ。高校生にもなって、分別のつく大人になろうとしている筈なのに、自分のストレスの解消の為に無駄に殺したの。それがどれだけ愚かなことなのか、本当に分からないの?」





 玲子の言葉に、教室内は静まり返っていた。

 そんな風に考えたことがなかった、そう言った思いが一人一人の胸に灯っていく。


 奈津子も同じだった。

 日頃当たり前に言っている「いただきます」。あれは単に、作ってくれた人に対する感謝の言葉だとしか思ってなかった。特に何も考えず、惰性的に使っていたにすぎない。

 しかし玲子の言葉に納得した。確かにそうだ。私たちはたくさんの命を糧として生きている。身勝手な理屈だ。でもそれでも、感謝するとしないとでは、天地ほどの開きがある。


 今、自分は虫の死骸を見て、何も感じなかった。でも玲子は違った。命への冒とくに憤り、感情のはけ口として殺された虫を憐れんだのだ。

 なんて気高い精神の持ち主なんだ、そう思った。


「改めなさい、その考え方。でないと」


 そう言った玲子が、もう一度深呼吸をして丸岡を見据えた。


「いつか報いを受ける時が来る。命を粗末に扱う者には、必ず罰が下るから」


 そう言って丸岡に背を向けた。


「ごめんね亜希。また心配かけちゃったね」


「いいよ玲子。私もいつも面倒かけてるし」


 そう言って笑い合う二人を見て、奈津子は思った。

 この二人は、誰も入り込めないくらい深い絆で結ばれていると。

 しかし不思議と、嫉妬する気持ちにならなかった。それより、もっと二人に近付きたい、自分もその中に入っていきたい、そう思った。


「奈津子もごめんね、変なところ見せちゃって。奈津子は大丈夫?」


「私は……うん、大丈夫」


「後で一緒に、この子たちを埋めてあげましょ」


「……そうだね」


「私も行くよ」


「ええ、お願い」


 始業のベルが鳴り、生徒たちが席へと戻っていく。

 そんな中、玲子がふと立ち止まり、振り返ることなく丸岡に言った。


「そうそう丸岡。あなた、さっき自白したわよね。『俺が虫を殺したことで、お前にどうこう言われたくない』って。私は引き出しの話しかしてなかったのにね。これ以上にない証拠じゃないかしら」


 そう言って再び歩き出し、席へと着いた。

 丸岡はうつむき、肩をわなわなと震わせていた。



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