第5話 蛍光灯事件
放課後。
三人は飼育小屋の掃除をしていた。
宿題が丸写しだとばれた亜希が掃除を命じられ、奈津子と玲子も手伝っていたのだった。
「ううっ……寒い、水が冷たい、獣臭い……」
「ほらほら、口より手を動かすの」
「この長靴だって……誰が履いてたのかも分からないやつだし、気持ち悪い」
「まあ、普通に考えたら坂井先生よね。飼育小屋の担当だし。それと後は、亜希のように宿題忘れた生徒」
「そんなこと言われたら、余計気分が落ちるじゃない。坂井ってばさ、絶対水虫持ってるよ。うつったらどうしよう」
「なんであなたは、そうやってネガティブに考えるのかしらね」
「だって水虫だよ? 坂井の水虫だよ? この靴を履いてるってことは、坂井と足の裏をすりすりしてるのと同じなんだよ?」
「じゃあ裸足でやるのね」
「冷たいじゃない。それに糞とか落ちてるし」
「だったら文句言わないの。奈津子を見てみなさいよ。文句ひとつ言わずに手伝ってくれてるのに」
「ごめんね、姫」
「ううん、いいの。私、動物好きだから」
「それにしても……奈津子って、転校してまだ一週間だったわよね」
「先週の月曜からだから、そうなるかな」
「それが不思議なのよね。どう言ったらいいのかしら。ずっと前から友達だった、みたいな感じなの」
「ああそれ分かる。私も姫のこと、そんな風に思ってた」
「よね。だから不思議なの。まだ一週間しか経ってないって言うのが」
「初日のインパクトが大きかった、って言うのもあるよね」
「蛍光灯のこと?」
「うん、そう。中々見れないよ、あんなの」
転校初日の昼休み。
奈津子は亜希と玲子に連れられて、校内の見学にまわった。
そこで奈津子は、妙な事件に出くわしたのだった。
美術室に入った時。音楽室に入った時。
そして図書室に入った時と三度、奈津子の目の前に蛍光灯が落ちてきたのだ。
一度目の時は、亜希も苦笑いをしていた。
しかしそれが三度も続くと、流石に笑えなくなってきた。
「ひ、姫? 姫ってばその、秘密組織にでも狙われてる?」
引きつった顔の亜希が聞くと、奈津子は困惑した表情で首を振った。
「亜希ってば、そんな風に脅さないの。蛍光灯、夏休み前に全部拭き掃除したでしょ。その時にちゃんとつけられてなかったのよ」
「勿論そう思ってるよ。でもさあ、流石にこう続いちゃうと」
そう言って三人がしゃがみ、割れた蛍光灯を片付けようとしたその時だった。
突然窓ガラスが割れ、ボールが跳びこんできた。
粉々になったガラスが奈津子の背中に落ちる。
「え……」
しゃがまなければ直撃していた。そう思い、奈津子が小さく息を吐いた。
「ちょっと姫、大丈夫だった? と言うか動かないで。今ガラス取るから」
そう言って、亜希と玲子が背中のガラスを慎重に払う。
床に落ちるたびに、ガラスの割れる不吉な音が響いた。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
「ここまできちゃうと、逆に姫が神々しく見えてくるよ。災難は災難なんだけど、でもそれ以上に姫、全部紙一重でかわしてる。これはもう才能だね」
そう言って笑った亜希に、奈津子も笑顔で応えた。
慌てて入ってきた男子生徒に嫌味を言った後で、三人は図書室を後にしたのだった。
「ほんと、今日はありがとうございました」
亜希が二人に頭を下げる。
そんな亜希に、玲子が意地悪そうに笑う。
「それはそうと、来週からの中間試験。亜希は準備万端よね」
「れ、玲子ってば、言ってはならないことを……ああっ! 折角忘れてたのに、また思い出しちゃったじゃない」
「ふふっ。でもこうして思い出させてあげないと、亜希は勉強しないから」
「ううっ……私たちに安息の時はないのか」
「そんなことないじゃない。試験が終われば文化祭よ。亜希、お祭り大好きでしょ」
「そうなんだけど」
「奈津子もいきなりだけど、試験大丈夫?」
「う、うん……あんまり出来てないけど、今回は仕方ないかなって」
「姫は色々大変だったもんね」
そう言った後で、亜希はしまったといった顔で頭を下げた。
「あのその、姫……今のはね、その」
「いいよ亜希ちゃん、ほんとのことだし。それにね、気を使われ過ぎるのも困るって言うか」
「……ごめんなさい」
「だから……ふふっ、気にしてないよ。お父さんとお母さんがいなくなって半月。私は今、新しい生活を始めた。本当のことを言うとね、ちょっと、ううん、違うな、かなり不安だった。でも二人のおかげで私、毎日が楽しいの」
「姫……」
「こうして放課後に友達と話すのだって、初めてだし」
「塾とか行ってたんだよね」
「うん。お父さん、どうしても国立に行かせたかったみたいだから」
「大学かぁ。楽しそうだけど、受験は大変よね」
「玲子ちゃんはどうなの? 成績いいって聞いてるけど」
「私は……将来何をしたいのかも、まだ決めれてないし」
「進学してから考える、そういうのもありだと思うよ」
「もう少し考えるつもり。お父さんも、しっかり考えなさいって言ってくれてるし。奈津子はやっぱり国立?」
「お父さんも死んじゃったし、正直よく分からなくなってるの。でも、選択肢は多い方がいいと思ってる。だから勉強も頑張るつもり」
そう言った奈津子に、玲子も亜希も笑顔でうなずいたのだった。
バスに乗り窓の外を見ると、自転車の二人が手を振っていた。
奈津子も手を振り、小さくなっていく二人をいつまでも見ている。
何だろう、この胸が熱くなる感覚は。
嬉しいの? 楽しいの?
両親を亡くして、まだ半月しか経っていない。
それなのに今、こんなに新しい生活を楽しんでいる。
そう思うと、自分が人として間違ってるような気持ちになった。
窓に映る自分の笑顔に、後ろめたさすら感じる。
何笑ってるのよ、私。
でも、どれだけ否定しようとも、今の楽しい気持ちは本当だった。
新しい環境で、新しい人生を歩み出した高揚感は、どれだけ否定しても隠せなかった。
まあいいか。
今はとにかく、自分に出来ることを精一杯していこう。
そう思い、鞄から出した文庫本を手に取った。
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