第73話 ティナへの授業

 石鹸を作製した次の日。ちょうど仕事が休みでティナのところに二回目の授業に向かう予定だったので、空間石に石鹸が入っていることを確認して屋敷を出た。

 そしてしばらく馬車に揺られると、孤児院が窓の外に見えてくる。


「フィリップ様、そろそろ到着いたします」

「うん、ありがとう。フレディは今日も馬車の番をお願いね」

「かしこまりました」


 孤児院の周辺には馬車を預けられるところがないので、万が一にも盗まれたりしないように護衛を付けているのだ。孤児院の中では俺に危険もないし、フレディには馬車を優先してもらっている。


 馬車から降りると音が聞こえたのか、ティナが数人の子供達を連れて迎えに来てくれた。俺と視線が合うと、にっこりと優しい笑みを浮かべてくれる。


 ……めちゃくちゃ癒される。


「フィリップ様、ご足労いただきありがとうございます」

「俺も楽しみにしてるから気にしないで。皆、久しぶり」


 子供達にも挨拶をすると、元気いっぱいの笑みで挨拶を返してくれた。ここの子供達は来るたびに礼儀正しくなってる気がする……さすがティナだよね。ダミエンも頑張ってくれてるのだろう。


「中へどうぞ。今は掃除当番の子達以外は畑に行っているので、ほとんど誰もいないのですが」

「そうなんだ。じゃあ皆にはお昼の時に挨拶するよ」


 孤児院に来る時は差し入れとして食材を持ってくる代わりに、お昼ご飯を食べさせてもらっているのだ。子供達と大人数で食べる食事は凄く楽しい。


 食堂に入ると中にはソフィともう一人の女の子がいた。ソフィは俺に気づくと嬉しそうに笑みを浮かべて駆け寄ってくる。


「フィリップいらっしゃい。待ってた」

「ソフィ久しぶり。ここでの生活はどう?」

「楽しい。凄く……楽しい」


 噛み締めるように言ったソフィのその言葉に、今までの苦労が表れているようで少しだけ胸が痛くなる。


「それなら良かった。たくさん楽しんで元気に成長するんだよ」

「……フィリップ、おじさんみたい」


 あっ、またやっちゃった……どうしてもここにいる子供達は全員年下だと錯覚してしまう。俺よりも年上の子だっているんだよね。


「ごめんごめん、兄目線というか、政策決定者目線というか……そんな感じになっちゃうんだ」

「そろそろ私の歳を覚えて。私は十二歳、フィリップより二歳も年上、私の方がお姉さん」


 ソフィはそこまで話すと少しだけ黙り込み、悪戯な笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んできた。ちょっと嫌な予感。


「私のこと、お姉ちゃんって呼んでみて?」

「そ、それはさすがに……二歳ぐらい誤差だよ誤差」

「そんなことない。二歳は大きな差」


 確かに子供の二歳差が大きいのは分かる。でも俺にとっては二歳差なんてどうってことないし、何より俺は二十七歳の人格なんだ。十二歳の女の子をお姉ちゃん呼びはキツい。


「ソフィ、フィリップ様を困らせないの」


 俺がどう答えればいいか慌てていると、ティナが助け舟を出してくれた。ティナ本当にありがとう……


「はーい」


 ソフィはティナのその言葉に少しつまらなそうに返事をすると、厨房の方に向かっていった。


「ティナありがとう」

「いえ、うちの子がすみません」

「全然気にしてないから大丈夫。ただなんて答えれば良いか迷っただけなんだ」

「ふふっ、フィリップ様がお姉ちゃん呼びをしているところは……想像できませんね」


 ティナが楽しそうに口元に手を添えて笑っている。俺はティナのそんな笑顔に見惚れて、もっといろんな表情が見たいと思い、思わずさっきは頑なに口にしなかった言葉を口にした。


「ティナお姉ちゃん、とか?」


 するとその言葉を聞いた途端にティナの笑いが止まり、少し目を見開いて固まった。そして数秒後にぶわっと顔を赤くする。

 そんなに赤くなられると、俺まで恥ずかしくなってくるんだけど……なんでお姉ちゃん呼びなんてしちゃったのか。弟じゃなくて異性として意識して欲しいって思ってたのに。


 でも、この反応って……やっぱり俺のことを特別に思ってくれてるのだろうか。聞いてみたいけど怖くて口にできない。

 そうして二人で顔を赤く染めながら言葉を発せずに見つめ合っていると、ソフィがコップに注いだ水を持って来てくれて我に返る。


「フィリップとティナ先生、顔赤い」

「あ、こ、これはね、そ、そう、暑いなぁって」


 ティナがかなり慌てた様子でそう誤魔化したので、俺もそれに便乗することにした。


「この部屋ちょっと暑いよね。喉乾いてたんだ、ソフィありがとう」


 俺は平静を装って、コップの水を半分ほど一気に飲み干した。ふぅ……多分普段通りに振る舞えてるはずだ。この辺は二十七年の経験値が役に立つ。

 俺の普段通りの振る舞いにティナも少し落ち着いたのか、一度深呼吸をすると子供達の方に向き直った。


「皆、掃除がまだ途中だったでしょう? それぞれ担当のところをやって来なさい。食堂担当の子はここはもういいから、他の場所を手伝ってあげて」

「はーい」

「やってくるー!」


 子供達が元気に食堂から駆け出ていき、ソフィもそれを追って外に出ていった。そして食堂には俺達二人とニルスだけになる。


「子供達は元気だね」

「はい。毎日大変ですが、その分元気をもらえます」

「俺もここに来ると頑張ろうと思えるよ」


 まあそれは子供達の影響というよりは、ティナがいるからなんだけど。それを口にする勇気はまだない。


「じゃあ子供達が戻ってくる前に授業をやっちゃおうか」

「よろしくお願いいたします」


 ティナは食堂の隅に置いておいたのか、紙とペン、インクを持ってきて机に向かった。俺もティナの向かいの席に座って教材を空間石から取り出す。


「この前は魔法陣魔法と魔道具についての基礎を教えたから、今日は魔法陣の構築法と神聖語のさわりを教えるね。そういえば、そよ風を起こす魔法陣の練習はした?」

「夜に少しずつですが練習しました。これなんですけど、紙とインクを節約するためにいつもは木の板に砂を敷いて練習してるのですが、一度だけペンで書いてみました」


 そう言ってティナが差し出して来た紙に描かれた魔法陣は…………驚くほどに綺麗だった。まさかこんなところに逸材がいたなんて。


「あの、やはりダメでしょうか?」


 俺が何も言葉を発さないからか、ティナが不安そうに声をかけてくる。


「ううん、違う、逆だよ。え、これ本当にティナが書いたの!?」

「は、はい……どこかダメだったでしょうか」

「ダメじゃないよ、上手過ぎて驚いてるんだ。まだ練習を始めて二週間だよね? それでここまで描けるのは相当才能あるよ……」


 二週間前はそこまで描けてなかったから、少し練習しただけで上達したのだろう。これは凄い、シリルと同じぐらいの才能がある。近いうちに使いこなせるようになるはずだ。


「ティナ聞いて。この魔法陣はもう少しで発動するぐらい上手く描けてるんだ。そして普通はここまで描けるようになるのに半年はかかる。ティナ凄いよ……、相当才能あるよ!」


 俺が興奮してそう伝えると、ティナはやっと上手く描けていたことを理解したのか嬉しそうに微笑みを浮かべた。


「私にも才能があったなんて……嬉しいです」

「これは凄い、誇っても良い才能だ」


 こうなるとティナには孤児院の院長じゃなくて、魔道具師になって欲しいと思っちゃうけど……ティナはこの仕事を凄く楽しんでいるし、さすがにそんな提案はできない。

 他にも何人か魔道具師になれそうな人が出てきてるし、それまで俺が頑張れば良いだけだ。


「この才能を伸ばせるように頑張ろう。俺もより力を入れて教えるね」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 それからは二人してやる気が上がり、かなり熱心に授業を続けた。そして食堂に子供達が戻って来たことで、やっと教材から顔を上げた。

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