第70話 石鹸完成

「次の工程は、シール油にルコ水を入れるのだったか?」

「はい。ルコ水は全て流し入れてください」

「なんか……シール油って綺麗だから、このルコ水を入れるのがもったいない気がしちゃうね」


 マティアスが呟いたその言葉に全員が首を縦に振る。シール油は熱すと綺麗な透明で香りは濃厚な花の香り、対してルコ水は見た目泥水で匂いもちょっと微妙。混ぜるのを躊躇うのは分かる。


「ただシール油にルコ水を入れると、このキツイ香りが薄まるのだろう?」

「はい。ほのかに香る程度になります」

「ならばすぐに入れよう。もうこの匂いはキツすぎる」


 ファビアン様はずっとシール油を取っていたからか、匂いに辟易しているらしい。食べ物に使わずにこうして匂ってくる程度ならそこまで酷くはないけど、確かにずっとは嗅いでいたくない香りだ。


「では私が入れますね」


 一番年上で背が高いシリルがルコ水の入った鍋を持ち上げて、木ベラで木の枝の搾りかすを押さえて傾けた。すると透明な液体に泥水が加わり……少しだけ色の薄まった泥水になる。


「やっぱり濃い色が勝つんだね」

「まあそれは仕方ないよ。ファビアン様、これから十分ほど混ぜていてもらえますか?」

「分かった」


 ファビアン様が二つを混ぜた液体を混ぜて熱してくれている間に、俺はシリルとマティアスと共に片付けと準備を開始する。


「シリル、その鍋は中にルコの枝を入れたままでいいから、床に置いておいて」

「かしこまりました」

「フィリップ、これってどうやって火を消すの?」

「それは三時間経過するか、火の上に物がなくなって二分後に消えるようになってるからそろそろかな……あっ、消えたよ。でもそこしばらく熱いから触らないように気をつけてね」


 ここが外なら躊躇いなく氷ですぐに冷やすのだけど、室内だと溶けた水の処理が大変だから自然に冷やすことにする。いや……冷風を送るぐらいはしても良いかな。


「シリル、その岩の上が熱くなってるから、冷風を送って冷やしたいんだ。シリルが魔法陣を描ける?」


 どうせならシリルの経験値にしようと思って声をかけると、ちょうど鍋を置いたところだったシリルは真剣な表情で一つ頷いた。


「じゃあ頼むよ、よろしくね」

「かしこまりました」


 頭の中で必死に魔法陣を組み立てている様子のシリルはそっとしておいて、俺は石鹸作りの最終工程に向けた準備を開始した。


「マティアス、オレンの葉をファビアン様のところに持っていってくれる? 刻んだ分の五分の一ぐらいを使えば良いと思う」

「分かった。入れたら混ぜてれば良いんだよね」

「うん、よろしくね」

 

 マティアスにオレンの葉を託して、俺は石鹸を流し込む型を準備した。多めに作ってもらったから足りるはずだ。全てを布で綺麗に拭いて、埃などが混じらないように極力気をつける。


 そしてそれから数分後、石鹸の液が完成した。


「そろそろ良いかな」

「これで完成?」

「うん。あとは固めれば完成だよ」

「ほう、見た目はあれだが香りは良いな」


 シール油のかすかな花の香りとオレンの葉の爽やかな香りが混ざり合って、まさに石鹸という香りになっている。この感想が通じる人はこの国にはいないけどね……俺的にはこれこそ石鹸の香りだ。


「ずっと嗅いでいたくなりますね」


 シリルもやってきて鍋を覗き込むと、嬉しそうな表情でそう口にした。無事に魔法陣を組み立てられたみたいだ。


「じゃあ型に流し込みましょう。ファビアン様がやられますか?」

「ああ、やってみよう」


 レードルは二つあったのでファビアン様とマティアスに渡すと、二人は慎重に型へと液を流し入れ始めた。初めて作ったにしては、かなり良い出来な気がする。


「このぐらいで良いのか?」

「いえ、溢れるギリギリまで入れてしまってください」

「分かった。一つにかなりの量が入るな……これは型が大きすぎではないか?」


 確かにちょっと大きすぎたかな……前世で一般的な大きさにしてしまった。この国では小さめにして、一つ一つの価格を下げた方が手に入れやすいのかもしれない。


「その辺は最適な大きさをまた考えましょう。大きいものと小さいもの、二種類作っても良いと思います」

「確かにそれは良いかもしれんな」


 それから全ての液を型に流し入れた。型が三つ残っただけだったので、ちょうど良い量だったみたいだ。


「あとはこれを風通しが良くて涼しい場所に置いておけば、数時間で完全に固まります。そして型から取り出して完成です。今は私が魔法陣魔法で冷やしてしまいますね」


 型の周辺の空気だけを一気に冷やしてしまおう。風を送ると液が揺れて綺麗に固まらないかもしれないから、空気は流れないようにしてとにかく温度を下げる。そして熱を吸収して……こんな感じかな。


「これで二、三十分ほどで固まると思います。固まるまでに片付けをしてしまいましょうか」

「そうだな。使った器具を洗うのは外の方が良いか……フィリップとシリル、一緒に外へ行こう。マティアスは使わなかった素材を片付けておいてくれ」

「分かりました」


 ファビアン様とシリルが大きなものは全て持ってくれたので、俺はナイフや木ベラなどを持って外に向かった。そして中央宮殿の裏庭に出て、持ってきた桶に魔法で水を貯めて綺麗に洗い流す。


「石鹸の液が入っていた鍋もすぐ綺麗になるな」

「はい。固まる前に洗い流してしまえば、簡単に綺麗にできます。なので片付けは後回しにしない方が良いですね」

「そのようだな」

「フィリップ様、ルコの木の搾りかすはどうすれば良いでしょうか?」


 前世でなら間違いなくゴミ行きだったけど……そもそもこの国ではゴミという考えがほとんどない。なぜなら無駄なものなど存在しないからだ。擦り切れてもう何にも使えなくなった布だって壊れた家具だって、直して使うか最終的には燃料となるのだ。


「とりあえず天日干しかな。乾いたら燃料に使えると思うから」

「確かにそうですね。後で籠を借りて干しておきます」

「ありがとう。よろしくね」


 そうして全ての器具を綺麗に洗い流して、俺達は会議室に戻った。するとマティアスは既に片付けを終えていたみたいで、しゃがみ込んで型の中の石鹸を観察していた。


「もう固まった?」

「うーん、もう少しかなぁ。固まり始めたら透明感がなくなったんだけど、まだ表面だけかもしれない」

「それならあと五分ぐらい待ってみようか」

「うん、それが良いかも」


 石鹸は液体の時は透明感のある薄い泥水色で、固まると濁った泥水色に変わる。パッと見た感じもう大丈夫そうだけど、失敗したら嫌だから少し長めに冷やしておこう。


「……そろそろ良いのではないか?」


 皆で石鹸を囲みジッと眺めていて、結局十分ほどさらに冷やしたところでファビアン様が口を開いた。


「そうですね。では一つ型から出してみましょう」


 ひんやりと冷たい型を手に取り、一応表面を手で触って固まっているのを確認した。そして指に力を入れて底板を押し上げる。

 すると思った以上に力を入れずにカポッと石鹸が押し出された。……あの木工工房、技術力高いな。


「しっかりと固まっているみたいです」


 石鹸は全く問題なく固まっていた。俺がフィリップになってからずっと求めていたものだ。トイレに行った後とか泥で汚れた後とか、水で洗うしか術がなかったのが本当に嫌だった。これからは石鹸で洗える、今日作ったやつを何個か貰って帰ろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る