第26話 再びアルフヘイムの森へようこそ

 次の日。

 ファブリス王は黒像と、この世界から音楽が奪われたという真実を国民に語った。

 通信魔法によって国中が知ることになったこの真実に、多くの人々が混乱した。


 当然、城にいる『異世界音楽研究班』の面々も、驚いてはいた。


 しかし、俺達にはやるべきことがある。

 そのためには、ただ混乱の渦中にいるだけでは何も変えることはできない。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 王が魔法陣で国民に真実を伝えた後……


 俺は研究室にレナとチャドを呼びだし、ユグドラシルの大門に描かれた紋様の仮説について話した。

 王から世界の真実を聞いた直後だ。2人が戸惑っているのはよくわかった。


 しかし、俺の仮説を聞くと……

 二人は強く関心してくれた。


「つまり、あの紋様は楽譜なんだ。円になっているから分かりづらいけど、五線譜とよく似てるだろう?」


 俺が紋様の写しを見ながら言うと、チャドが当然の疑問を投げかける。


「線に重なる葉っぱが音符だとして……五線譜って線が5本だろ?この紋様には線が4つしかないんだぜ?」

「これは1オクターブ内の音階しか使わない四線譜の楽譜になってるんだ」


 五線譜は、17世紀になって浸透した楽譜の様式だ。

 五線譜が普及した理由は、楽器の多様化や複数のオクターブに跨る広い音域をもった演奏が一般化したからだと言われている。

 

 それ以前は楽譜が必要な機会がそもそも限られていた。

 

 例えば教会の聖歌隊。

 彼らの歌は音域が1オクターブ内で収まるため、4本の線に四角い音符を描く四線譜が主流だった。


 大門の文様は、そんな四線譜を円で表したもの。

 使われている音階の種類からキーも判別できる。


 音符の並べ方は元の世界の四線譜と逆になっていて一瞬読みづらいが……

 それは譜面が円状に理由と結びついている。


「円状の楽譜は読む場所によって線の上下左右が変わるだろ?だから音階が数えやすいように、一番外側の円が最も低い音になってるんだ」

「……でも拍子もテンポも書いてませんよね?何より楽譜が円になってるから、どこから始めればいいのか……」


 レナの言い分ももっともだ。

 五線譜には音符の他に拍子、テンポ、小節数が記載されてるもの。


 しかし拍子とテンポに関してはこれしかないという結論がでていた。

 それは、紋様の上に描かれていたあの文字。


「『月の下、4つの森に3つの刻』おそらくコレが拍子とテンポを表している」

「どういうことだ?」

「ララノア殿下の言葉、覚えてない……?」


『時すらも森の中の一部……という意味の言葉です』


「4つの森は葉で記された音符の種類。3つの刻は拍数。……つまり4分の3拍子ってことじゃないかな」

「……じゃあテンポは?月の下ってどれくらいのスピードのことなんだよ」

「BPM58.02か……BPM116だと思う」


 24時間という1日の時間を秒針で数えたとき、その速度はBPM60。

 メトロノームの振り子運動で数える場合、左右でそれぞれ1回カウントされるので、BPMは倍の120となる。

 これは太陽の上り下りを24時間として図る『太陽のテンポ』。


 この計算で考えると……

 月の1日は24.8時間であるため、秒針で数えるとBPM58.02、または倍のBPM116になる。


 このBPM116というテンポは、『絶対のテンポ』『人間のテンポ』などと呼ばれる有名なもの。

 このテンポで作られた曲を聞くと、自律神経を整えてリラックスさせる……とか、不思議な力があると言われてる。

 ……そこはまぁ、詳しくは知らないが。


 俺が月から連想できるテンポなんて、正直これくらいしかない。


「じゃあ、曲のスタート部分は?」

「可能性が高いのはこことか……ここ。だけど、正直どこから始めてもいいんだと思う」

「どこから始めてもいい?」

「うん。小節が描かれてないし、楽譜が円になってるからね……この曲はやろうと思えば永遠にリフレインできる曲なんだよ」


 この説明を全て終えると……チャドが俺に言う。


「マジかよ……じゃあ、ミナト本当に……?」


 レナとチャドが、俺に視線を送る。

 その視線は、大きな期待を寄せるあの目。


 正直、その目で見られることにも慣れてきてる自分がいた。


「……うん。この楽譜は演奏できる」


 それを聞いた瞬間、2人の顔がパッと明るくなった。


 いつものように「凄い凄い」と感動を伝えてくれる二人だったが……

 演奏できると確信に変わった時……レナがある疑問を俺に言う。


「でも、黒像によって、音楽に関するものは全てこの世界から無くなったんですよね?なぜこの紋様は、残ることができたのでしょうか」


 それに関しては、俺も同様の疑問を持っていたが……

 この世界に残されたものを見る限り、ある傾向は見えていた。


「おそらく黒像は、その存在自体ではなく……それによってもたらされる影響で選別していたんじゃないかな」

「影響……ですか?」


 例えば王宮の大聖堂。


 リリーと王は、あの大聖堂の設計図はどこにも存在しないと言っていた。

 設計図とその記憶は、おそらく願いの代償によって『音楽に関連するもの』という判別を受け、世界から消されたのだろう。


 ただ無秩序に音楽に関するものを全て奪ったのだとしたら、設計図よりも大聖堂の方が消えてなくなりそうなものだ。

 しかし、実際はそうはならなかった。


 ではなぜ大聖堂が残り、設計図だけ存在を消されたのか。

 ……こう考えるとつじつまがあう。


 大聖堂は、意図的に音楽に利用しようとしない限りはただの建物に過ぎない。

 つまり残っていたとしても、音楽の知らない人がそこから音楽を連想することはまずできない。


 しかし設計図は、あの大聖堂の音響効果を意識して設計されていた場合、その意図が書かれていた可能性は高い。

 音楽の知識を奪われた人でも、それを読めばまず『音楽とは何か?』という疑問を持つだろう。


 つまり物の存在ではなく、それが与える影響によって『音楽に関連するもの』を判別している。

 誰も失われた『音楽』という歴史を思い出せないように。


「そう考えると、ユグドラシルの大門が残された意味も理解できる。音楽知識の無いエルフが紋様を見ても、その意味が理解できないからね」


 それを聞くと、チャドが俺の肩を力強く叩いた。


「なんにせよ、やるべきことは決まったな!もちろん、あの大門の前でその曲を演奏するんだろ?」

「うん……きっと何か起こるはずだよ」


 そう。


 大門に描かれている楽譜だ。

 これを演奏しないまま『調査が終わった…』はないだろう。


 幸い、1オクターブ内の音域に限られるこの曲は演奏も難しくない。


「でも……」


 しかし、まだ不安は残る。


 例えば楽器だ。

 俺はハウザー2世で演奏するつもりだが、本当にそれで良いのだろうか。

 かつて音楽が存在したのなら、当然この楽譜を演奏した楽器も過去存在していたはず。


 なら、特定の楽器で演奏しなければ意味が無いという可能性も当然ありえるわけだ。


 そう考えると他にも色々と不安な部分が出てくる。

 間違いがないように、もう一度楽譜の検証はしておかなきゃ……。


 そもそもエルフが大門の前で演奏させてくれるのだろうか。


「……」


 俺が黙り込むと、そんな不安な気持ちを感じ取ったのか……

 レナが俺の手を握って、いつもの美しい声で言ってくれる。


「ミナトさん」

「……?」

「大丈夫。ミナトさんは、いつだって私たちを感動させてくれたじゃないですか」

「……レナ」

「もし何も起こらなくても、誰もミナトさんを責めたりしません。……それに、奇跡って予想だにしないところから来るものなんです」


 その言葉は、俺に勇気をくれる。


「ミナトさんなら、きっと大丈夫です」


 あぁ、まったく。

 この世界は、チート能力もくれないし、俺を最強にしてもくれない。

 魔法は勉強しなきゃ使えないし、ネットも電気も、音楽すら無いし。


 だけどレナやチャドの顔を見るたび、俺は本当にこの世界が好きになっていたんだ。

 世界に必要とされている満足感は、こんなにも心を穏やかにしてくれるのか。


「ありがとう、レナ。できる限りのことやるよ」

「はいっ!……えへへ」


 よし、吹っ切れた。

 やってやろう。


 俺は幸いにも、ファブリス王という覚悟を決めた男の姿を間近で見ていた。

 やるべきことを、今持ちうる最大の力でやりきってやる。


 そして俺達は2日後、またあのアルフヘイムの森に向かうことになった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 数日後……

 2台の馬車が、アルフヘイムの森に到着する。


 それは俺達『異世界音楽研究班』の面々と、事情を説明するために来てくれたファブリス王とその側近。


 ファブリス王は例の発表で酷く忙しいようだったが……

 事前の連絡も無しに突然やってきて、その身で信頼を得られる人物は彼くらいしかいない。


 森の入り口につくと、そこには何人かのエルフ達が見張りをしていた。

 その中には、俺達を泊めてくれた少女のエルフ、シルビア・フルシアンテもいた。


 シルビアは突然現れた俺達に驚いてはいるようだったが、あまり表情に出さずに言った。


「ファブリス王……それに、ミナトさん達も……一体どうされたのですか?」


 するとファブリス王が彼女にララノア殿下との謁見を申し出る。

 シルビアはその言葉に戸惑っていた。


「しかし……そう簡単に森へ入れるわけにはいきません。交流会のように、事前に殿下の許可を得ていただけないと……」

「シルビア……」


 俺はしゃしゃり出るような性格ではないが。

 この時、なぜかその一歩を踏み出して、彼女の顔を見て言葉がでていた。


「お願いだ」

「……ミナトさん」


 シルビアは俺の目をしっかり見た後、溜息まじりにこう言った。


「わかりました。少々お待ちください」


 その後、王の力もあってか……

 俺達はすぐに大樹ユグドラシルの大門の前に案内されることになる。


 大門前にはシルビアをはじめ、たくさんのエルフが集まっていた。

 その中にはララノア殿下の姿もある。


 王はいつもの爽やかな笑顔と、饒舌な口調で殿下に事情を説明してくれる。

 しかしララノア殿下は酷く悩んでいるようだった。


「ファブリス王……我らエルフはあなたの事も、ミナトさんのことも信頼しているつもりです……ですが……古のしきたりも……」


 突然の来訪者がエルフの聖域とも言えるこの場所でいきなり『演奏させてくれ!』と願い出る。

 交流会で関係と深めてはいるものの、殿下が渋るのは仕方ない。


 しかし王は、彼女に熱心に交渉する。


「殿下……我々人間とエルフは、今まで貿易という表面だけの関係しかありませんでした」

「……」

「しかし、私達は新たな一歩を踏み出すことが出来たのです」


 王のその言葉には、きっと黒像の真実を公表したことも含まれているのだろう。

 王国もアルフヘイムの森も、今まさに次の段階へ行こうとしている。


 ファブリス王は、殿下から一切目を離さずに申し出る。


「私たちがこれから交わすべき言葉は、過去の後悔や嘆きではありません。それぞれの新たな未来の話なのです」

「……」

「……」


 そして、ララノア殿下はこう言った。


「……わかりました。貴方を……そしてミナトさんを信じましょう」



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