第20話 伊国少女の仕事事情

 金曜日。


「……キャンペーン?」


 お昼に来たお客さんが帰った後、紙に何やら計算式の様なものを書いていたキッカさんが呟いた言葉を復唱する。


「うん。面白いこと、しよ?」


 最近ますます日本語が上達してきたキッカさん。


「新商品とか、おまけとか。お客さん、増やそ?」

「……あの、キッカさん」

「ん? 何か思い付いた、かな?」

「……いえ、そうではなく」


 妙に距離が近い。

 腕と腕が触れ合うくらい。

 離れると、その分だけ近づいてくる。


「……あの、どうかしましたか?」

「なんで?」

「……いえ、その」


 言葉に迷い、触れている腕を少し動かす。

 するとキッカさんは腕を見て、此方の目を見て、もう一度腕を見て、文字通り腕を組んだ。

 密着率上昇である。

 意図したこととは反対の結果に、驚くほど柔らかい感覚に二重の意味で戸惑う。 

 だけどキッカさんはどこ吹く風。


「キャンペーン、考えよ?」

「……はい」


 諦めて頷くと、キッカさんは少し俯いた。


「そんなにいや……かな?」

「……そういうわけでは」

「丸井さんは良くて、私はダメ?」

「……え?」

「最近は、結城さんとも仲がいい、よね?」

「……あの」

「従業員と仲良くするのは、いいこと」


 でも、と指を立てて。


「ほどほどに、ね?」


 笑顔が怖い。

 ビクビクしながら小さく頷くと、キッカさんは大きく頷いた。


「どんなことしよう、かな?」


 密着したまま続けるつもりらしい。

 ……諦めよう。


「……はい。何をしましょうか?」

「それを考える、よ?」

「……はい」


 うーんと考え込む。


 無言。

 お客さんも来ない。


 まったりとした時間が続く。

 そうしていると、どうしても右腕に伝わる感覚が気になってしまう。決して嫌ではない。むしろ嬉しいくらいだ。けれどそういう問題ではなく、いやどういう問題なのかと問われると返答に困るけれど、とにかく離れていただきたい。


「……キッカさん」


 呼びかけると、透き通るような碧眼が妙に緊張したマヌケ面を映した。恥ずかしい。


「……そろそろ」


 キッカさんは何故か驚いたような表情をして、ゆっくりと俯いた。

 彼女の腕に力がこもったのが分かる。よく分からないけど、離れてくださいという意図は伝わらなかったらしい。どころか、目を閉じて顔を上げたことから察するに、あらぬ誤解が生まれたようだ。微かに震える桜色の唇に目を奪われ、いや違うそうじゃない。それはいけない。


 ……どう、しよう。


 金縛りにあったように体と思考が止まる。困った。

 だが幸運にも、直後に救いの手が差し伸べられた。

 チリンという聞きなれた音に目を向ける。お客さんが来たのだ。

 よし、これを口実に――


「な、ななっ、何してるんですかッ!」


 震える人差し指を此方に向けている少女には、とても見覚えがある。


「結城、さん? 今日はシフト、ちがう、よ?」

「そそそそんなこと今はどうでもいいんです!」


 ずいぶんと興奮した様子の結城さんとは対照的に、キッカさんは平静だ。心拍数すら変わっていない。


「お店の話、だよ?」

「そんなにくっついてですか……?」

「なにか、おかしい、かな?」

「へ、へぇ……」


 不信感たっぷりの半目が、何故か此方に向けられる。結城さんは考え込むように一瞬だけ目を逸らし、つかつかと歩み寄ると、空いていた左腕にピッタリ密着した。


「どんな話ですか?」

「……あの」

「なんですか?」


 笑顔が怖い。これが普通なんですよね何かおかしいですかという目が怖い。


「……いえ、その、お客さんを増やすために、何かしようという話をしていました」

「なるほど……」


 両手に花といえば聞こえがいいかもしれないが、ビリビリとした緊張感みたいなものがあって怖い。


「結城、さん、何しに来たの、かな?」

「いえ、大した用じゃないんですけど、昨日のお礼をしようかなと思いまして」

「いま、真面目な話をしてる、よ?」

「お店の事ですよね。私も手伝います」


 右を見ても左も見ても怖い。

 もういっそ前を見て石になるしかない。

 店の外を見ると、相変わらず多くの人が現れては、此方に見向きもせずに過ぎ去って行くが、そのうちお客さんが来たらと思うと気が気ではない。

 弁明の用意をしなくては。


「そうだ、ポイントカードとかどうですか?」

「……」


 グイっと服を引かれた。


「……いいのでは?」

「ですよねっ、集めるの楽しいし、何度も来てくれるお客さんが増えると思いますっ」

「でも、費用対効果を考えると、びみょう、かな?」

「な、なんですかその、ひ、ひこうきって」

「……飛ばない、よ?」


 笑い混じりに言うキッカさん。やめてください。密着した状態で震えないでください。

 結城さんも力を込めるのをやめてください。痛くはないのですが、その、やめてください。

 ……何一つ口に出せない、無念。


「……ポイントカードを作る費用を考えると、得られる利益が微妙という意味……だと思います」

「なら最初からそう言ってくださいよ」

「最初から、そういった、よ?」

「……むぅ」

「……ふふ」

「あの、店長さんはいいと思ったんですよね?」

「……はい、まぁ」


 結城さんがキッカさんを見る。それだけで、質量を持った何かが通ったような錯覚をした。

 あの、仲良くしてください……。


「ポイントカードに、反対は、しない、よ?」

「えー? なんとか効果がーって言ってませんでした?」

「パソコンで管理すれば、問題ない、よ?」

「いやですよ。手元にあるカードにポイントが集まっていくのが、ポイントカードの楽しみじゃないですか」

「利益にならない、よ?」

「店長さんはどう思いますか?」


 言葉だけなら意思確認なのに、脅迫みたいな強制力があるのは何でだろう。


「……いいと、思います」


 どっちが、とは言わない。あえて言うならどっちも。

 どっちがですかと聞かれたらどうしようと思っていると、キッカさんが悲しそうに目を伏せていった。


「てんちょ、ごめんね。木曜日の赤字が、なくなれば、できる、のに……」


 結城さんがうっと小さく言ったのと同時に、出入り口の方で鈴の音がした。

 今度こそと期待を込めて、助けてくださいという願いを込めて目を向け――


「…………は?」


 彼女が最初に口にしたのは、その一言だった。

 またしても、知り合いである。


「あ、矢野さん。どうしたんですか?」

「いやいや、おまえがどうしたし」


 片手を腰に当て髪をくるくるしながら、呆れたような表情で言う。

 ムっとした表情で腕を組み、トントンと足で床を鳴らして、はぁと息を吐く。


「まぁどうでもいいや。ケーキ買いに来ただけだし」


 つまらなそうに言ってショーケースまで歩くと、真剣な表情で商品に目を向けた。

 すると、どういうわけか結城さんが腕から離れ、さらに口元に手を当てながら数歩後退した。


「矢野さん……ついに店長さんのケーキが世界一だって認めたんですねっ!」

「べつに、他のとこ知らないだけだし」

「うんうん、ここより美味しいとこなんてありませんもんね!」

「そーだねー」


 何とも照れくさい言葉に右腕を上げて首の裏を触る。

 あれ、と思って目をやるとキッカさんがいなかった。

 もう少し視線を下げると、持ち帰り用の袋と容器に手を伸ばすキッカさんを見つけた。

 あっというまに仕事モード。尊敬します。

 ところで願いが届いたのか両腕が軽くなった。そんな感謝の気持ちを込めて矢野さんを見ると、偶然にも目が合う。

 矢野さんはショーケースに目を移し、独り言のように言った。


「あのさー、誕生日ケーキとかねぇの?」

「矢野さん誕生日なんですか!? あれ、でも、自分の誕生日ケーキを買いに……あっ」

「いやいやちげぇから。勝手に寂しいやつにすんなし」


 こらこらと手を振って否定したあと、その手を髪に当ててくるくるしながらそっぽを向き「妹」と呟いた。


「矢野さん妹がいるんですか!?」


 目をキラキラさせた結城さんがショーケースにバンと手を置いて身を乗り出す。壊れるとは思わないけど控えてください。

 

「えっと、あの、いくつになるんですかっ?」

「六歳」

「へぇだいぶ離れてるんですね……妹の為にケーキを買う矢野さん。なんか意外です」

「うるせぇよ」

「えっとえっと、どんな子なんですかっ? かわいいですかっ?」

「……ん」


 とても鬱陶しそうにしながらもきちんと質問に答える姿には、慣れのようなものを感じる。仲の良い姉妹なんだろうな。


「で、ケーキあんの? ないの?」


 ハッとして考える。

 そういえば、誕生日ケーキという商品は無い。もちろん蝋燭も無い。

 材料が余っているから作れないことは無いけど時間がかかる。


「……少し、時間を頂ければ」

「ん。じゃ待ってる」


 そう言って手近な椅子に座った矢野さんに軽く頭を下げて、厨房に向かう。

 途中、クイと袖を引かれ振り返ると、キッカさんだった。


「新商品、ひとつ、決まった、ね?」


 洋菓子店スタリナ。

 誕生日ケーキを作り始めた。

 ふと、開店当初から売り出すべきだったのではと考える。

 ……もっと、営業努力をしよう。

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