3-22 お姫様を庇おう!(カグヤの記憶⑪)
『カグヤッ!』
クラノスは手にしていた毒瓶を窓から放り投げて、ドアノブに手をかけた。
9階の部屋の中は真っ暗だった。
窓は板で打ち付けられたままで、すべての灯籠の明りが消されている。
クラノスは腰元から小型のカンテラを取り出し火をつけた。
すると――
『――いやああああああああ!』
輝夜は、いた。
部屋の隅っこで、ぼさぼさになった頭を抱えて。
なにかに怯えるように叫んでいた。
『カグヤ!』
駆け寄って彼女の肩に両手を回す。
その身体はまるで極寒の世界に連れてこられた子どものようにがくがくと震えていた。
『いや! やめて、お願い――』輝夜は鬼気迫った声音で呟く。『分かるの! あたしに向けられた底知れない悪意が。
『カグヤ! 大丈夫、きっと大丈夫だから。みんなが護って、くれるから』
クラノスはそう言いながらも、自らの言葉がひどく無力であることを痛感していた。
こうしている間にも輝夜の恐れる底知れない悪意をもった〝魔の手〟がこの場所に近づいてきている。
塔をも揺らす地響きとともに、兵士たちの叫び声や戦闘の音が大きくなり続けている。
――ドガアアアアアアアアン。
『なっ!?』『きゃあああああっ!!』
突として、ひと際大きな振動が塔を襲った。
どうやら巨大な砲丸が防衛網をくぐり抜けて塔に向かって打ち込まれたらしい。
衝撃で部屋の天井が文字通り剥がれ落ちた。
それらの土煙が晴れた先に、外に見えたのは。
『はは――嘘、でしょ……?』
新月の夜だとは思えない
庭園や建物が焼かれ火事になっている。数多の火矢が空を舞っている。
魔術師たちが激烈な魔法を無数に放っている。煙が立ち上っている。
それぞれの軍隊が使役する使い魔たちが炎や光を吐いている。
そんないくつもの爆撃が、大地を。空を。
まるで不吉な血だまりのように紅く照らしていた。
『この世の、終わりだ……』
クラノスの呟きも、轟轟と燃え盛る戦場の音の中に消えた。
戦線は明確に決壊していた。
武器と松明を手にした、まさしく星の数ほどにも思える莫大な量の敵兵たちが城壁内に押し入っており、塔も完全に包囲されている。
『うっ……いやっ』
衝撃を受けたのは輝夜もだった。
半壊した床に立ち尽くし、目の前の惨状を呆然と見下ろしている。
『もうだれも、傷つかないで』
彼女は自らの胸をぎゅうと押さえつけて、震える声で言う。
『ねえ、お願い――
どくん。どくん。
彼女の心臓の鼓動が、クラノスの立つ場所まで聞こえてくるようだった。
その脈動は刹那、空気を伝って広がるようにして世界を満たしていく。
クラノスにはそんな気配が感じられた。
『いたぞ、魔女だ!』
そして遂に。
武器を持つ【魔女狩り】の兵士たちが、塔の上に立ち尽くす輝夜の姿を捉えた。
『呪われし黒髪に』『幻術で民を惑わし』『世界を牛耳る邪月の
まるで呪詛のような人々の発語は終わらない。
『民を欺き』『世界を滅ぼす』『悪しき魔女!』
彼らは手にした武器で地面をどんと叩き続ける。
その音が地鳴りのように紅く染まった空に響き渡る。
『このまま放ってはおけぬ!』
――魔女を殺せ!
『殺せ』『殺せ』『殺せ』『殺せ』
それはこの場にいる兵士たちの声だけでない。
予言者の神託を信じ、月の力が弱くなるとされる〝新月〟の真夜中に。
魔女を滅することを求める、全世界の人々の祈りであり――生きた言霊だった。
殺せ。 殺せ。 殺せ。 殺せ。 殺せ。 殺せ。
殺せ。 殺せ。 殺せ。 殺せ。 殺せ。 殺せ。
殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!
――殺せ!!!!!
そして世界が憎悪するその声が、輝夜には確かに聞こえた。
身の警告を目的とする【月神の加護】のスキルの感応により、輝夜は世界中の人々からの殺意に無防備にさらされた。
どす黒く闇深い強烈なその負荷に、ひとりの少女である輝夜は耐え切れるわけもなく。
『いやあああああああああああああああああああああああ――――』
彼女は、叫んだ。
そして天をも
輝夜の全身から〝途方もない圧〟が世界に向かって放たれた。
『――――っ!?』
先ほどの空気を歪ませていた心臓の鼓動と合わさって、輝夜の内から染み出たオーラは瞬時世界を伝播し、空気を、大地を、人々を震わせた。
莫大な覇気を孕んだ突風のようなそれは、戦場の有象無象の兵士たちをしり込みさせ、地面に倒れこませる。
『な、なんだ、この力は!』『やはり魔女だ』『月狂いの魔女の力だ!』
『
あまりの圧気に恐怖を覚えたそれぞれの部隊の指揮官の合図とともに。
輝夜の立つ塔に向かって、一斉に最後の攻撃が放たれた。
『くっ! 究極防御魔法! ――≪
クラノスだけでない。
残った翼賛軍の精鋭たちも魔術や武術、使い魔たちの攻撃で応戦をするが……間に合わない。
まさに止むことのない無限の敵軍の、無限の攻撃は、翼賛軍が形成した障壁を遂には突き抜けた。
『きゃあっ!』
そして一本の激しい勢いをもった豪矢が。
遂に輝夜のいる塔の上にまで――届く。
『カグヤーーーーーーーーー!』
迫りくる凶弾に。
輝夜はたまらず目を閉じた。
『……っ!』
ぐらり。黒い視界の中で身体が揺れる感覚があった。
何かに突き飛ばされるように地面に倒れていく中で背を打ったが……痛みはそれだけだった。
『え? なにが、どうなって……』
おそるおそる目を開けると、そこには。
さっきまで近くにいた――自らの【最愛の人】が。
輝夜をかばって。
その胸に轟々しい装飾がなされた〝矢〟を受け、洒落にならない量の血を流している姿が――見えた。
『……え?』
『――カグヤ、よかった。無事みたい、だ……』
自らはまったくもって無事ではないのに。
彼は胸を文字通り貫かれながらも。
目をまん丸に見開く輝夜を見て、不安にさせないように優しく、安心したようにささやかに。
笑った。
その口元からは、やがて夥しい量の紅い体液が流れ落ちていく。
『うそ、よね……』
輝夜が首振りながら呟く。
腰が抜けて立てないが、上半身の力を使って、その最愛の人の前に這いずっていく。
ようやく抱き留めた彼の身体は、嘘のように冷たかった。
『やめて、こんなのってないわ……まってよ……』
輝夜の震える言葉に。
彼はもはや何も答えない。答えることができない。
目は深く閉じられ、呼吸がひどく浅くなっている。
鼓動を確かめようにも――その心臓自体を深く矢で射貫かれていた。
『っ!!!』
こうして輝夜にとってハジメテ両想いになった【最愛の人】の身体は。
約束の場所だった【屋上】で抱きしめ合った彼の身体は。
ふっと輝夜の腕の中で生命の余力が抜けて。
そのまま――力果てたのだった。
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