第182話 SS:かわのじ


「ぃひゃぁ!?」


 結衣は素っ頓狂な悲鳴を上げた後、慌てて体を起こした。


「起きているのですか!?」


 大声で龍誠に問い掛ける。


「……寝ていますね」


 しかし微動だにしない姿を見て、結衣は彼が寝ていると判断した。


 ならば、先ほど脇腹に触れたのは誰なのだろう。そう思って首を振り、直ぐに小さな人影を発見した。


「ゆいですか?」


 人影は答えず、結衣の近くまで這い寄った。そして微かに輪郭が見えたことで、結衣は人影の正体に気が付く。


「みさきでしたか。どうしました?」

「……」


 みさきは答えず、龍誠に目を向けた。

 彼は結衣に背中を向けて寝ている。つまりみさきには、龍誠の背中が見える。


 みさきは結衣の横を通って、龍誠の正面にちょこんと座った。それから彼の片腕を持ち上げて、その間にすっぽりと収まる。


「……」


 あまりにも自然な動きに結衣は唖然とした。

 一方で龍誠の眠りは深いらしく、目を覚ます気配は無い。


「……」


 結衣は思う。

 なんて、羨ましいのだろう。


 自分は彼の背に触れるのが精一杯だというのに、みさきは容易く腕の中に収まってしまった。


「……」


 結衣は、そっと彼の腕を持ち上げた。

 それからみさきを抱き上げて、反対側におろす。


「……」

「不機嫌そうな顔をしてもダメです。ゆいと一緒に寝ていたのでは?」

「ゆいちゃん、うるさい」


 奇しくも同じ名前である結衣は、一瞬だけ自分のことを言われたのかと思って震えた。


 もちろん娘のことだと分かったけれど、やはり同じ名前というのは紛らわしい。


 さて、


「ゆいはまだ起きているのですか?」

「ねごと」


 みさきは言う。


「ずっと」


 ぎゅっと口を一の字にして、


「うるさい」


 結衣は頭を抱えた。我が娘は、いったいどこまでガサツなのだろう。これでは明日の朝食もトマトにするしかない。


「……仕方ありませんね」


 もう一度みさきを抱き上げて、今度は龍誠と自分の間に寝かせる。


「みさき、これは川の字というものです」

「かわのじ?」


 龍誠の方を向いていたみさきは、くるりと体を捻る。


「はい、親子が三人で並んで寝ることを言います」

「おやこ?」


 きょとんと首を傾けた。

 その姿が可愛くて、結衣はみさきの頬に手を当てた。みさきは気持ちよさそうに目を細める。


 そのまま頬を撫でて、結衣は少し前までゆいに同じことをしていたのを思い出した。小学校に入学すると同時に部屋を分けたけれど、それまでは本当に甘えん坊だったことを鮮明に記憶している。


 血の繋がりは無いけれど、その関係を親子と呼ぶことを結衣は躊躇わない。


 みさきとの関係はさらに複雑だけれど、それでも結衣は、みさきのことも本当の娘のように思っている。


 手続きの関係で共に過ごした半年間。

 あっという間に過ぎ去った時間。


 その間、結衣の周りは少しだけ賑やかになった。

 保育園に通っていた頃は友達を上手く作れなかったゆいが、同年代の子供と楽しそうに遊んでいる姿を見て、とても嬉しくなったのを覚えている。


 小学校に入学してからは他の友達も出来たようで、るみちゃんという名前がよく出てくる。それでも、やっぱり一番はみさきのことだ。


 ゆいと似たような境遇の女の子。

 あの半年間、みさきはいつも何かに怯えていた。その姿は出会ったばかりのゆいと重なって見えた。


 そして、みさきは恐ろしいくらい龍誠に依存していた。結衣は何度も危ういと感じたものだ。


 だけど最近は違う。

 きっと龍誠くんが頑張ったからだ。


 それはそれとして、みさき自身はどう思っているのだろう。まだ七歳のみさきは、きっと難しいことは考えられない。物事は好きか嫌いかの単純な二つに分けているはずだ。


 もちろん、みさきが何を感じているかは色で分かる。例えば頬を撫でられている今は、とても穏やかな気持ちになっている。


 だから、きっと好かれてはいるのだろう。

 龍誠くん程ではないにしても、素直に甘えてくれるくらいには好かれているのだと思う。


 それは、どういう意味の好きなのだろう。


 お母さんとは思ってくれていないだろう。

 ならば親切な人? それとも龍誠くんのお友達?


 そこまで考えた時、ふとみさきが呼吸のリズムを変えたことに気が付いた。


「眠ってしまいましたか」


 少しは話が出来たらいいなと思ったけれど、これは仕方ない。


 結衣は頬を撫でる手を背中に回して、みさきを少し抱き寄せた。


「……親子」


 ぽつりと結衣は呟いた。

 きっと何かを考えていたような気がする。だけどそれは、目覚める前に見る夢のように曖昧で、細くて、眠りへと向かう意識から徐々に離れ、果たして残らなかった。




 結衣は両親のことが大好きだった。両親も結衣のことが大好きだった。たったひとつの不幸は、お金がなかったことだ。だから結衣は、必死に働いていた。


 龍誠は親の愛を知らない。彼にとって他の大人と実親の違いは、子供に金を与えるか否かだった。だから彼は、違う何かを探して、がむしゃらに努力した。


 結衣と龍誠が衝突したのは必然だったと言えるだろう。なぜなら、独りだったからだ。


 人は集団に身を委ねることで個性を失う。逆に孤独の中に生きることで、強い自我を得る。そして異なる自我は必ず衝突する。


 一方で、自我を持つ前の子供はどうだろうか。


 子供は生まれた時、真っ白だ。

 言葉どころか、きっと自分の存在すらも認識出来ていない。決して独りで生きることは出来ない。だから、親を欲する。承認欲求と呼ばれる感情を携えて、自分の存在を認めてくれる存在に依存する。


 みさきとゆいは、存在を拒絶された。

 結衣の言葉を借りるならば、透明な存在になった。


 だけど二人は、独りの大人と出会った。

 そして、きっと大人達よりも早く愛情を知った。


 その感情は、赤の他人にこそ伝わった。


 龍誠はゆいから

 結衣はみさきから


 こうして独りだった大人と子供は、親子になった。

 孤独ではなくなったのだ。


 ならば、その先には何があるのだろう。

 孤独を越えた先には、果たして何が待っているのだろう。


 

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