第156話 SS:帰り道


 必死に堪えていたものが零れ落ちたのは、振り向いた直後だった。


 もう一言だって話せない。

 顔を見せることも出来ない。

 それをした瞬間に全部台無しになる。


 後ろから声をかけられないか、追いかけてこないか。

 それを考えると今直ぐ走りだしてしまいたかった。


 だけどそうしなかったのは、龍誠に悩んでほしくないから。それと……少しだけ、期待していたから。


 そんな可能性は皆無だと、はっきり理解している。

 それでも簡単には気持ちを捨てることが出来ない。


 あの曲がり角まで、あと何歩だろうか。

 暗いせいか前が見えなくて、距離感が掴めない。


 だけど、あそこまでは頑張ろう。

 あの角を曲がるまでは、堪えよう。



 あの日、龍誠の姿を見ていたら直ぐに分かった。

 龍誠が誰を一番に想っているか、それは一目瞭然だった。


 本当は最初から分かっていた。

 だけど龍誠が遠くに行ってしまうような気がして、焦って、どうしようもなかった。


 でも今は違う。

 少しだけ余裕がある。


 きっと昔みたいにベタベタすることは出来なくなるだろうけれど、龍誠は昔のまま……あの頃よりも、もっと優しい人になっていることが分かった。


 だからきっと、大丈夫だ。

 大丈夫、大丈夫……。


 遊ぶ時は呼んでもらえるはずだ。

 また子供の誕生日になったら、声をかけてくれるはずだ。


 そうなった時、きっと彼の周りの人間関係は変わっていて、それを見るのは辛いに違いない。


 だけど大丈夫。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫……。


 何度も自分に言い聞かせる。

 それなのに、いつまでも涙が止まらないのはどうしてだろう。


 どうしてって、そんなのわかってる。

 平気なわけない。


 本当に好きだった。

 龍誠の一番になりたいって思ってた。


 でも、無理じゃん。

 あんなの、どうしようもないじゃん。


 結局は龍誠を困らせただけだった。

 その挙句これからも友達でなんて……滅茶苦茶だ。


 もしも今回のことで嫌われていたらどうしよう。

 今迄通りの関係でいることが出来なくなったらどうしよう。


 不安だ。

 不安が止まらない。


 あんなこと言わなければよかった。

 無かったことにしたい。取り消したい。

 だけどそれと同じくらい、後悔したくない。


 滅茶苦茶だ。

 ぐちゃぐちゃだ。


 自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、全く分からない。そして分からない何かが、次々と涙になって目から零れ落ちていく。


 

 いつの間にか曲がり角を過ぎていた。

 慌てて涙を拭い後ろを見る。

 もちろん龍誠の姿は無い。



「……なにしてんだろ」



 自嘲気味に呟いて、空を仰ぐ。

 もちろん星なんて見えないし、ただ暗いばかりだった。


 不意にポケットに入れてあるスマホが震えた。

 きっと工場の誰かから冷やかしの言葉が送られて来たのだろう。


 だけど今は、それに付き合う余裕は無い。

 ……でも、一応内容くらいは確認しておこう。



 ちよこ、ありがとう



 それは、普段使っていないMMSからの通知だった。

 誰から送られてきたのかは確認するまでもない。


「……ちよこってなに、ひよこかよ」


 その不慣れなメッセージを見て、思わず脱力した。


「……メール、初めてだな」


 もしかして泣いてるのバレてたかな?


「……返事、どうしよ」


 そう呟いた時には、もう涙が止まっていた。

 どうしようもなくあいつらしいメールを見て、不思議なくらい心が落ち着いた。


 きっとこれからも、こんな風にやりとりが出来るのだろうと思えた。笑ってしまうくらい単純だけれど、まるで真っ暗な部屋に、突然明かりが灯ったような感覚だった。


「……これまで通り」


 呟いて、スマホに触れる。



 来月はよろしく。



 ほんの少しのイタズラ心と共に、返事を送った。

 すると直ぐに返信が来る。



 らいげつ?



「……あいつ、本当に知らなそう」


 自然と頬が緩む。

 こんな何でもないやりとりが、楽しくて仕方ない。


 振られたばかりだというのに、むしろ振られる前より気が楽だ。


「……そうだ」


 内心でくすくす笑いながら、少し意地悪な文章を打ち込む。きっとこれからも、こんなやりとりが続けられるようにと希いながら――

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