第108話 第十二話:みさきとまゆみ

「作詞?」

「……ん」


 帰った後、みさきは迷わず檀に相談した。単純に、みさきにとって龍誠の次に頼れる大人が檀だったからだ。檀はうーんと難しい表情で考え込む。


 ポエムなら何度か書いたことがある。意識していなくても、真剣に書いたセリフがポエムっぽくなってしまうこともある。それをネットでネタにされて部屋中を転がり回ったこともある。


 だから人に教える程の技量は無いというのはさておき、とりあえず形にする方法を話すことは出来るかもしれない。ただし、みさきが相手では決して話すことは出来ない。あと十二年早い。


「ごめんねー、ちょっと分からないかも」


 しょんぼりした表情になるみさき。

 檀は頬をかきながら、ふへへと苦笑いして、


「みさきちゃん、天童さんに歌をプレゼントするんだっけ?」

「……ん」

「自分で作るなんて凄いよね」

「すごい?」

「うん、すごいすごい」


 パチパチ拍手をすると、みさきは少しだけ嬉しそうな表情を見せた。

 こういうところが子供らしくて可愛いなと檀は思う。


「天童さんも、きっと喜んでくれるよ」

「ほんと?」

「うん、嬉しすぎて泣いちゃうかも」


 その姿が容易に想像出来て、檀はふひひと笑う。逆にみさきは想像出来ないのか、少し難しそうな表情を見せた。それが可笑しくて、檀はまた笑った。


「お絵かきする?」

「……ん」


 会話が途切れた後、檀が提案するとみさきはコクリと頷いて、てくてく檀に近付いた。それに合わせて身を引くと、みさきはとても慣れた動きで膝の上に座った。それからいつものように机の角に置いてあるペン立てから鉛筆を取ろうとして、ふと動きを止める。


 じーっと一点を見るみさきの目には、檀がついさっきまで描いていた漫画が映っていた。


「気になる?」

「……ん」

「読んでもいいよー」


 ほんとに? とみさきは後ろに居る檀を見上げた。

 檀は「いいよー」と言って、みさきの鼻をツンツンする。


 みさきが確認を取ったのは、最近は見せてもらえないことが多かったからだ。年齢制限は無いという安心感から原稿が机の上に放置されていることは何度かあったが、檀は決まって指でバッテンを作った。それは単純に、檀の中で人に見せられるレベルに届いていなかったからだ。誰だって失敗作を見られるのは恥ずかしい。


 許可を得たみさきは早速手に取って読み始める。

 檀は若干の緊張と共に原稿を読むみさきを見守っていた。


 檀は読者としてのみさきを子供扱いしていない。流石に登場人物の心理は理解していないようだが、起きていることは正確に理解しているからだ。なにより、みさきは正直な感想を言う。そんなわけでドキドキしながら見守っている檀とは裏腹に、みさきはワクワクしながら漫画を読んでいた。


 檀が描いたのは、王道の恋愛物だ。ずっと同人として活動してきた檀だが、今は商業での活動を考えている。その為に描いているのが、この作品だ。


 みさきが漫画を読み進める度に、まゆみの緊張は増していった。


「……どうだった?」


 果たして、読み終えたみさきに問いかける。

 みさきは少し間を置いて、


「むずかしい」


 と、一言。


「ふひひ、難しかったか」


 返事を聞いて、檀は一気に脱力した。だが冷静に考えれば当然の回答だったのかもしれない。これは六歳の女の子が読むような内容ではないのだ。


 しかし、その考えは次の発言によって覆されることになる。


「すきって、いう。むずかしい」

「……」


 その言葉を聞いて、檀は思わず貫禄のようなものを感じてしまった。


 みさきくらいの年齢であれば、普通は好き嫌いがハッキリしている。好きな物は大声で好きと叫び、嫌いな物は全身全霊で拒絶する。


 結衣に駆け寄るゆいのように。

 蒼真が苦手な瑠海のように。


 しかし、みさきは違う。

 好きだと相手に好意を伝えることが、みさきにとっては難しい。


 これは恋愛感情とは違うけれど、形としては告白という壁の前でジタバタする漫画の中の登場人物に似ている。だから、みさきは檀の漫画を読んで難しいと思った。


 物語の意味が分からなかったのではない。

 きちんと登場人物に感情移入していたのだ。


 みさきと毎日のように会っている檀でも、みさきの過去は知らない。むずかしいという言葉の本当の意味は分からないし、きっと想像することも出来ない。


 それだけの想いがみさきの言葉には有った。

 だから檀は、子供の言った言葉だと笑って流すことが出来なかったのだろう。


「大人だね」

「……ん?」


 オトナだから、檀はそういった。

 コドモだから、みさきは首を傾けた。


「難しいよねー、好きって伝えるの」


 檀はそっとみさきの体を抱きしめて、頬と頬を近付ける。


「みさきちゃん、私のこと好き?」


 コクリと頷いた動きが、肌を通して檀に伝わる。


「ふひひ、ありがと。じゃあ、好きって言って」

「……」


 直ぐに返事をしようとして、しかしみさきの声は掠れてしまった。

 コホンと喉を慣らして、もう一回。


「……すき」

「うん、私も好きだよー」


 今度はちゃんと声になった。

 みさきは特に迷うこと無く返事をしようとしたけれど、しかし一度目は声が掠れてしまった。それがみさきにとっては不思議だった。


 この一年間で、みさきは人に好意を伝える恐怖をある程度は克服した。感情が高ぶっている時には、龍誠に向かって素直に言葉を伝えることも出来た。しかし、そうでない時はどうだろうか?


 みさき自身は気恥ずかしさから気持ちを伝えられないのだと思っていた。だが実際には、そうでは無かったらしい。心の奥底に残っているトラウマが、みさきの声をおさえつけているのだ。


 それから少しの間、二人は動かなかった。


 トクン、トクンと、檀の鼓動がみさきの背中に伝わる。

 二人の間に言葉は無かったけれど、きっと互いの感情はなんとなく伝わっていた。それは、同じ人のことを考えているからかもしれない。


「……私ね」


 ぽつりと、檀が口を開く。


「誰かを好きになるって、よく分からなかった。だけど今は、よく分かる」


 みさきは檀の方に目を向けてみたけれど、その表情を見ることは出来なかった。


「難しいよねー。好きって、すごく簡単な言葉なのに。ふひひ、ほんと、難しい……」


 なので、


「漫画を描くことにしました。はい。私にはコレしか無いので……自分が想っていること、絵にして、物語を付ける。でも、これがまた難しくて。ふへへ、何度もアヘっちゃいました」


 檀の言葉は、みさきにとっては意味が分からなくて、だけど少しずつ、みさきにも分かるところに近付いていく。


「口で言うのが難しいことは、やっぱり漫画にするのも難しかった。でも漫画なら、なんとか描くことが出来た。一度始めたら、止まらなかった」


 檀は体を起こして、鉛筆を手に取った。


「私は漫画。みさきちゃんは、歌を作るんだよね。だったら、書くしかない。何でもいいから、書いてみる。言いたいこと、全部」

「ぜんぶ?」

「うん。ちょっとだけ恥ずかしいけど、すっごくスッキリするよ」


 みさきは差し出された鉛筆をじーっと見つめて、やがて力強く握りしめた。

 言いたいことならある。いっぱいある。


 それから、みさきの手は龍誠が帰ってくるまで止まらなかった。

 一生懸命に手を動かすみさきは、時に嬉しそうで、時に恥ずかしそうで、時に悲しそうだった。その様子を檀は直ぐ傍で静かに見守っていた。


 コンコンと、ノックの音。

 みさきはビクンと肩を震わせて、紙を両手で持ち上げてあたふたする。

 檀はそれを後ろから取り上げて、しーっと口元に指を一本添えた。


「隠しておくね」

「……ん」


 檀は紙を原稿の間に挟んで、どうぞーと外に居る龍誠に呼びかけた。


「おじゃまします。小日向さん、いつも有難う」

「いえいえ、とんでもないです。ふひひ」


 みさきは二人が挨拶をしている間に立ち上がり、とことこ歩いて龍誠に近付いた。


「おかえり」

「おう、ただいま。今日は小日向さんと何してたんだ?」

「おはなし?」

「へー、どんな?」

「……ないしょ」

「そうか、内緒か」


 龍誠は少し気になって、檀に目を向ける。

 もちろん話せるワケが無いから、檀はさっと目を逸らした。だけど少し時間が経って、思わず失笑する。


 檀は二人が出会ってから、ずっと二人を近くで見ていた。


 みさきの知らないところで龍誠が頑張っていたことを知っているし、今は龍誠の知らないところでみさきが頑張っているのを知っている。


 ふひひと笑い続ける檀。

 龍誠は、とても不思議そうな目で見ていた。

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