第49話 不審者さんと話した日
ゴールデンウィークが終わって、みさきとずっと一緒に居られる時間が終わった。本当に僅かな時間だったが、幸せだった。
「では、よろしくおねがいします」
「はい、行ってらっしゃい」
「はい。みさき、今日もゆいちゃんと仲良くな」
「……ん」
みさきを保育園に送り届けたあと、悲しみを胸にロリコンの家、もとい職場へ向かう。くっ、次の土日まで我慢しろってか? 拷問だぜチクショウ。
身体が重い。普段は金を節約する為に歩いているが、今日ばかりは電車を使ってしまおうか。いやダメだ。一度でも楽する事を覚えたら、もう元には戻れない。そう、俺がみさき無しでは生きられなくなってしまったように……みさきのこと好き過ぎだろ俺。そりゃまぁいろいろあったけど、それにしたって……まぁでもみさきだから仕方ないか。
とぼとぼ歩く道は、いつもより長く感じられた。単純に歩くペースが遅いからなのだろうが、それよりも気持ちの問題だ。みさきと一歩離れる度に、胸が痛くなる。
とぼとぼ、とぼとぼ……。
ああ、平日の公道は静かだ。聞こえるのは車の音と擦れ違う大人達の足音くらいのもの。ゴールデンウィーク中は、子供達の声やみさきの声、みさきの足音が絶えず聞こえていたのに……まるで灰色の世界だ。ゴールデンウィークがなぜゴールデンと呼ばれているのか痛いほど分かる。
たった、たった。
なにやら慌てた足音が近付いてくる。どうせ俺とは無関係なのだろうが、みさきと出会う前の生活のせいで妙に気になる。
手足を緊張させている自分に気付き、溜息を吐いた。こういう所はみさきと出会う前と変わっていない。やはり体に染み付いた物というのは、そう簡単には消えてくれないらしい。
とぼとぼ、たった。
とぼとぼ、たった。
とぼとぼ、たった。
なんだこれ、全然追い抜かれる気配がねぇぞ? 不審に思って目を向けると、そこには不審者さんが居た。どうやら俺の直感は鈍っていなかったらしい。
「おはようございます」
なーんで普通に声かけてくるんだこいつ。はぁ、今日は最悪の一日になりそうだ。
「人の顔を見るなり溜息ですか、失礼ですね」
「……何の用だよ」
「用というほどの事では無いのですが、一応お礼をと思いまして」
「なんの?」
「ピアノです。おかげで娘はとても喜んでいました。ありがとうございます」
「それは良かったな」
マジで買ったのかよこの人。やっぱ金持ってのか。まぁ話し方とか歩き方とか育ち良さそうな感じだし、どっかの令嬢だったりすんのかな?
「貴方の買い物はどうなりましたか?」
「買い物? ……あぁ、まぁ、それなりに」
そういえば俺もみさきの誕生日プレゼントを買いに来たとかいう話をしたような記憶がある。結局何も買えなかったけどな。だけど話が長くなると嫌だから余計なことは言わないでおこう。
「……」
「……」
よし、狙い通り会話終了だ。
「ところで」
終わってなかったよチクショウ。
「平日の朝からどうして私服でこんなところを歩いているのですか? お仕事は?」
「仕事場に向かってるからだ」
「荷物も持たずにですか?」
「怪しそうな目をするな。そういう仕事なんだよ」
「自宅警備は仕事ではありませんよ?」
すげぇ失礼だなこの人。なめんなよ、初めて会った時はそうだったが今は違うっつうの。
「本題を言え、なんの用だ」
「用件なら終わっています。今のは、ただの世間話です」
「世間話?」
「はい。あなたが落ち込んでいるようだったので、少しばかり慰めてあげようと思いました」
こいつ絶対友達いねぇわ。断言できる。
「今度は何があったのですか?」
「何もねぇよ。休み明けなんてこんなもんだろ」
「そうですか? 私の場合、休み明けは絶好調ですよ」
「俺は娘と引き裂かれて絶不調だ」
「……なるほど、離婚ですか」
「チゲェよ」
そもそも結婚もしてねぇよ。結婚といえば、誰だよこんなキツイ女と結婚したヤツ。そりゃ外見はそこそこレベル高いかも知れねぇけど中身は絶望的じゃねぇか。
「なにか失礼なことを考えていませんか?」
「気のせいだ。さっきからずっと娘の事を考えている」
なんだこいつエスパーかよ。
「そんなわけで、あんたに出来る事は無い。気持ちだけ貰っとくよ」
「そうですか……」
……そう、ですよ。だから早く行けよ。なんで未だ隣歩いてんだよ。
「お仕事は、この近くで?」
「徒歩一時間くらいだな」
「なぜ徒歩? 電車など使わないのですか?」
「少しでも金を節約したいんだよ」
「なるほど、大変不本意ですが気持ちは分かります。では、今日は途中まで一緒に歩きましょう」
どうしてそうなった。
「見ての通り絶不調なんだ。先に行かねぇと遅刻しちまうぞ」
それと、気持ちが分かるって事は、こいつも徒歩なのか?
なんで金持ってんのに歩くんだよ、何の為の金なんだよ。
「貴方こそ大丈夫なのですか?」
「うちは特に時間とか決まってないから大丈夫だ」
「……なんですかその雑な会社、大丈夫ですか」
大丈夫じゃないんじゃねぇの? だって社長がアレだし。
「まぁそういうわけだ。先に行ってくれ、じゃあな」
「話を終わらせようとしないでください」
「だから何の用だよ、さっさと用件を言え」
「世間話だと言いましたが?」
「なら友達とやってくれ」
友達が居たらの話だがな。
「また何か失礼なことを考えませんでしたか?」
「考えてない」
「……まぁいいでしょう。そうですね、嘘を吐いていました。実は自慢話がしたかったのです」
お、初めて表情が変わった。
たく、なんだよ自慢話って……やっぱ今日は最悪な日だな。何が悲しくてこいつの自慢話なんか聞かなくちゃいけないんだよ。まぁ聞いてやるけど、どうせくだらないことなんだろうな。
「実は今朝、娘がご飯を作ってくれました」
ほう、なかなかレベルの高い自慢話じゃねぇか。
「世界一美味しかったです」
「……」
「以上です。スッキリしたので会社に行きます」
「…………」
俺は、心なしか弾む足取りで遠ざかる背中を見送った。
なんというか、通り雨みたいな人だなと思った。
「…………」
溜息ひとつ。
俺は、俺の為に料理をするみさきの姿を想像しながら、弾む足取りで職場へ向かった。
エプロン、買おうかな。
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