第47話 父母の会に参加した日

 運動会の次の日、俺は佐藤とかいうオバさんから受け取った紙に描かれた地図に従って、父母の会が開かれる場所へ向かっていた。それは保育園の近くにある公民館の一室で、我がボロアパートから徒歩で二十分くらいの位置にある。


 わりと余裕を持って出かけたからか、指定された集合時刻の三十分前に着いてしまった。流石に早過ぎたかと後悔しながら、とりあえずは目的地を確認しようと公民館に入ると、そこで直ぐに声をかけられた。


「こんにちは、綱引きではお世話になりました」

「綱引き……あぁ、こんにちは」


 存在感の薄い顔をしているから本気で忘れていたが、彼は昨日一緒に綱引きを戦い抜いた仲間の一人だ。俺を除く唯一の男性であるにも関わらず忘れてしまうくらいだから、本当に存在感が薄い……忘れないようにしなくては。


「名前は未だ聞いて無かった……ですね? 俺は天童龍誠、っす。そっちは?」


 やばい久々だからかギコチナイ、なんだこの下手な敬語。


「ああすみません、自分は名倉なくら哲郎てつろうです」


 よし、てっちゃんだな。覚えた。


「これ名刺です、どうぞ」

「……ど、どうも」


 思わず恐縮しちまったよ。なんだ名刺って、なんだそれ。なんでそんなもん持ち歩いてんだこの人。


「……」

「……」

「……ああ、もしかして名刺切らしてました?」

「……ああ、そうなんだよ。悪いな、ははは」

「いえいえ、此方こそ」


 なんか見られてると思ったら……え、俺も渡す流れだったの? なんだそのルール、しらねぇよ。


「それでは、連絡先だけでも交換しませんか?」


 連絡先、だと? どうする、固定電話も携帯電話も持ってねぇよ。


「ラインでも構いませんので」


 なんだラインって、電車的なアレか? 自宅までの地図でも渡せばいいのか?


「……ああ、もしかして今日はケータイお持ちでない?」

「……ああ、そうなんだよ。悪いな、ははは」

「そうでしたか。これは失礼しました」

「いやいや、此方こそ」


 今日どころか常に持ってねぇよ。てか連絡先か……書類とかには大家さんの連絡先を書いてたが、そろそろ自分の連絡先を確保しねぇとヤバイかもな。


 それはそうと、なんだこの完璧な作り笑顔ポーカーフェイス、何を考えてるのか全然わからねぇ……こいつ、ただ者じゃねぇな。この一手でも間違えたら全てを失うかのような緊張感、拳銃を持った集団に囲まれた日を思い出すぜ。これが社会人との会話ってヤツなのか、半端ねぇ。


「天童さんは、この辺りに住んでいらっしゃるんですか?」

 

 この辺りにって、あの保育園に通ってんだから他に無いだろ。まさか裏の意図が……?


「……はい、そうです」

「そうですか。私も少し遠くに住んでいたのですが、息子が生まれたのに合わせて、この辺りに引っ越して来たばかりの新参者でして……いやはや、天童さんとは妙な縁を感じてしまっているというか、ははは」

「……そ、そっすか」

「はい。決して田舎というわけでもないのに静かで、保育園にもすんなり入れて、小学校や中学校も近くにあって……本当に良い街ですよね、ここは」

「……そっすね、ははは」


 裏の意図とかは、なさそうだな……って、あるわけねぇか。どうみても善人だろ、この人。何処にでもいる中肉中背のサラリーマンってか、まさにお父さんって感じの印象だ。


「しかしまぁ、子供が育つのはあっという間ですよね。少し前までオムツを替えていたはずなのに、気が付けば保育園の年長組……感慨深いものです」

「……そうですね」


 分かる、分かるぜてっちゃん。みさきも少し前に漢字ドリルを始めたと思ったら直ぐにコンプリートしちまったり、少し前まで一緒に風呂に入ってたのに気付けば別々だったり……感慨深いな。


「今が一番かわいい時期とは言いますが、親としては無病息災を願うばかりです」


 なに言ってんだこの人、みさきはこれからも可愛くなり続けるに決まってんだろ。今が一番って、まさか和崎優斗ロリコンと同じタイプなのか?


「おっと失礼、立ち話も何ですし、少し早いですが部屋に行きましょうか」

「ああ、そっすね」


 気が利くじゃねぇか、てっちゃん。今度飯でも食おうぜ。




 第二会議室とかいう部屋に入ってから一時間ほど経った。会議室には俺とてっちゃん、それから若い女性が二人。既に開始時刻は過ぎているはずだが、責任者不在というな理由で俺達は待たされていた。


 佐藤とかいう人がリーダーなのだが、彼女を含めた三人が遅刻しているそうだ。


「まさか、事故か何かに巻き込まれたんすかね?」


 全員に向かって問いかけると、なぜかみんな微妙な表情をした。


「どうでしょう。多分、大丈夫だと思いますが……」


 答えてくれたのはてっちゃんだ。

 なんだ、この微妙な空気……まさか、今のって失言だったりするのか?


「…………」


 沈黙が辛い……くっ、ここにみさきが居れば余裕で耐えられるんだが。


「……」


 何も言葉が出てこない。

 こっちだけで始めようという案は、何を話せばいいのか分かる人がいないとかいう理由でボツになり、そもそも今日は何をする集まりなのという質問には誰も答えられず、じゃあ雑談しようぜと言って始めた話は長続きしなかった。残された手段はリーダーである佐藤を待つことだけ。


 チクショウ、何してんだよ佐藤……佐藤って、あの時のオバさんじゃなかったか? おいおい俺を呼び出した本人が遅刻かよ。事故とかなら仕方ねぇけど、化粧してて遅れたとか言いやがったらどうしてくれようか。


「あ〜ら、もう皆さん揃っていたんですね」


 来た! そしてなんだその第一声! 集合時間は三十分以上前だろうが!


 俺は扉の向こうから楽しそうな声と共に現れた三人のババア達を睨み付ける。


「当たり前だろ、集合時間は三十分前だぞ」

「三十分前? 何を言っているのかしら」


 これが裏の世界だったら出荷されてるぞクソババア。なんだそのふざけた態度。


「佐藤さん、天童さんには少し早い時間を書いた紙を渡したから」

「あら鈴木さん、そうだったの? ごめんなさいね天童さん。初めての方だから、遅れないようにと思ったみたいで……もう、ダメですよ鈴木さん」

「そうですよ鈴木さん。もういい大人なんですから、遅刻なんてしませんよ」

「あら、山田さんがそれをいいます?」

「「「おほほほほほほ」」」


 おほほほじゃねぇよタコ!

 

 ……クソ、腹は立つが話は分かった。最初だしな、信用されてねぇのも仕方ない。


「俺はともかく、他の人も俺と同じ時間を教えられていたわけだが?」

「あら、ごめんなさ~い。間違えて印刷してしまったみたいです」

「鈴木さん、しっかりしてくださいよ~」

「そうですよ~」

「「「おほほほほほほほ」」」


 だからおほほじゃねぇよ!


「天童さん、抑えて……」

「……わぁってる」


 てっちゃんに肩を掴まれ、俺は少しだけ浮いていた腰を落とした。


「で、これは何の集まりなんすか?」

「あらプリントに書いてませんでした? 父母の会ですよ」


 名前は聞いてねぇよ佐藤コラ。


「何をする集まりなんすか?」

「それも書いてありませんでしたぁ~?」


 地図と時間しか書いてなかったぞ佐藤コラ!


「まぁいいでしょう。これは子供達の為に、お楽しみ会の企画をする集まりなんですよ~」


 ……耐えろ俺。この程度なら兄貴の店にしょっちゅう来てた。


「お楽しみ会ってのは?」

「子供達の為に二ヶ月に一度開催されるイベントのことです」

「具体的には何をするんすか?」

「そうね~、去年はみんなであやとり教室だったかしら」


 一応聞けば答えてくれるらしい。

 それからも俺は質問を続け、人数かける二千円の予算内で子供が喜ぶ何かを考えるのが父母の会の目的であると知った。

 

 やることが分かったところで早速話し合おうと思ったらババア達の雑談が始まった。いいから会議をしろという指摘をやんわりと繰り返すこと数回、やっと佐藤とかいうババアが反応して、去年と同じあやとり教室を開くことになった。彼女の独断であり、多数決のようなことは行っていない。


 これにて父母の会終了である。なんだこれ、集まる意味ねぇだろ。


 殺意が沸くほど上機嫌でババア三人が帰った後、残された俺達はそろって溜息を吐いた。そのあと互いに目を合わせ、なんだか可笑しくなって笑う。


「あの、天童さんですよね?」

「ああ……はい、そうです」


 会議室に残ったのは俺とてっちゃんと若い女性が二人。そのうち、耳にピアスを付けた方が嬉しそうな表情で俺に声をかけた。


「今日はありがとうございました。あのオバさん達いつもあんな感じで、だからズバズバ意見を言ってくれて気持ちよかったっていうか、本当に助かりました」

「やめてくれ、礼を言われるようなことじゃない」


 俺は彼女を若いと表現したが、きっと年は俺よりは上に違いない。年上を敬う気持ちなんて持ち合わせていないはずの俺だが、なんだか子育ての先輩という印象があって恐縮してしまう。


 ここに居る人達は、きっと普通の親というやつで、立派な親を目指す俺にとって尊敬に値する存在なのだ。あのババア達に敬意を払おうとは思えないけどな。


「それじゃあ、みさきが待っているので」


 十分くらい話をした後、一礼してから会議室を出た。まぁいろいろあったが、良い経験になったと思う。帰ったらみさきに報告だ。あいつ何してんのかな……早く会いたい。




 同時刻、みさきは本を読んでいた。

 小学校低学年向けの月刊誌である。


「……おか、えり?」


 みさきは、同じページを何度も読み直していた。


 その漫画の主人公は、みさきより少し年上の女の子で、一人でお留守番をしていた。テレビを見たり本を読んだりしながら、まだかなまだかなと両親の帰りを待つ。そして最後には帰って来た父親の胸に飛び込んで、おかえり! と笑顔で言う。


「…………」


 んー、と息を漏らすみさき。


 漫画の中の女の子は父親に「よしよし良い子にしてたか?」とナデナデしてもらっているが、みさきが同じことをしたら、りょーくんはナデナデしてくれるだろうか。


 そんなことを繰り返し考えていたら、りょーくんが帰って来た。


「ただいま」


 いつものように言うりょーくん。

 みさきは少しだけ悩んで、強い決意と共に立ち上がった。


「どうした?」


 目を丸くするりょーくん。

 みさきはギュっと口を一の字にして、いざ勇気を出して――その場にちょこんと座った。


「みさき?」


 ぱちぱちと瞬きを繰り返すりょーくん。


「……おかえり」

「おう、ただいま」


 甘えたいという気持ちはある。

 ずっと前からあるし、だんだん強くなっている。

 だけど、まだ少し難しかったらしい。

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