第45話 仕事について考えた日
一週間は続けてやる。
そう決心してから早くも二週間が経った。
和崎優斗、坂本拓斗、
今のところプログラムの勉強をしながら先輩の三人がパソコンを弄っている姿を見ているだけの龍誠は、この会社がどうやって月に二十万の給料を支払ってくれるのか分からないままだが、三人の
社長の優斗は言うまでもなくロリコンである。
続いて、実は副社長だったらしい拓斗は、病的なまでに人と話すのが苦手という弱点を克服する為に、脳波を用いて音声を作るシステムを創り出してしまうような変態ではあるが、意外にも常識人だった。龍誠が悩んでいると絶妙なアドバイスをしたり、定期的にお茶菓子を提供してくれる和崎母を手伝ったりする。
最後に営業担当の彩斗。彼は「常に心に余裕を」というのが口癖で、いつも爽やかな笑顔を浮かべている。しかし、あるワードについて非常に敏感で、それを聞いた時はもちろん、連想した時ですら発狂する。
そんなこんなで龍誠は――俺は、すっかり職場に馴染んでいた。
「……いいか天童龍誠、無能な人間は失敗することや自身が否定されることを恐れるが、有能な人間は失敗を恐れない、そもそも考慮していない。恐れることは他にある。分かるか? それは邪魔をされることだ。僕は今すっごく集中してるから話しかけないでくれ!」
「お前の母さんが昼飯持ってきたぞ」
「よろしい、ならば休憩だ!」
ロリコンの声に応じて、拓斗がカタカタとパソコンを弄る。すると天井が開いて、キーンという音と共に机が現れた。
「相変わらず近未来的な部屋だな」
「技術的には全然大したこと無いけどな」
『自室を改造しようって人が居ないだけだね☆』
その机を三人で囲んで食事を始める。彩斗は今日も営業に行っているらしくここには居ない。
「今日はカツ丼か……母さん最近気合入ってるな」
『優斗に新しい友達が出来て嬉しいんだろうね』
「友達じゃない部下だ! ここ重要だから!」
無駄に全力で叫んで、ロリコンはカツ丼を口に突っ込んだ。一方で俺は静かに箸を取る。
……うまい。今度みさきにも食わせてやろう。
「さておきロリコンの部下ってのは、なんかこう屈辱的な響きだな」
「なんだとぅ!?」
「お手伝いさんとかじゃダメなのか?」
「おいこら天童龍誠。今のお前が何を手伝えるって?」
くっ、これを言われると何も言い返せない。
「それなんだが、本当に給料をもらってもいいのか? 今のところ勉強してるだけだぞ……」
「何度も言っただろ天童龍誠。その金は給料じゃなくて将来への投資なんだよ。あと気持ち的にはみさきちゃんに払ってるから、勘違いしないように」
「そうか……」
この言葉に嘘は無いんだろうが、どうにも納得できない。
『龍誠君は、何を気にしているのかな?』
拓斗がカツ丼を食べながら俺に問いかけた。
……この機械って食事をしながらでも会話できるのか、便利だな。
「二十万って、そこそこの大金だろ。勉強してるだけでそんな金を貰っちまうのはどうなんだと思ってな」
俺が日雇いの肉体労働をして一日に稼げる金は諭吉一人とちょっと。これは時給千円で十時間働いて、通常の額に残業代が足された金額だ。これで二十万稼ごうと思ったら二百時間くらい働かなくちゃいけない。
そして俺が和崎優斗の家で一ヶ月に勉強する時間も、だいたい二百時間くらい。疲労度的には何もしていないのと同じなのに、命を削った肉体労働と同じ報酬が得られる。これに疑問を抱くなって方が難しい。それに、二十万という数字はどうしても生活保護のことを思い出させる。
そんな俺に向かって、ロリコンはケロっとした態度で言った。
「まったく、これだから底辺は……」
おっと、今のはカチンと来たぜ……?
さてどうしてくれようと手足の筋肉を解し始めた俺に向かって、ロリコンは何かを突きつけた。
「なんだこれ」
「ケータイだよ。知らないのか原始人」
「そこは聞いてねぇよ、どういう意図があるんだ?」
「受信という所にある数字が読めるか?」
「馬鹿にしてんのか? 六十三だ」
「正解。では、これはいったい何の数字でしょ~かっ?」
ほんっと腹立つ。なんなんだこいつ。
「おまえを殴っていい回数か?」
「待て待て落ち着け天童龍誠、暴力反対!」
「冗談だ。さっさと答えを言え」
「まったく……仕事の依頼だよ。うちに来ている仕事の数だ」
「それ、多いのか?」
「いいか、天童龍誠が気にするべきは仕事の報酬だ。もちろん仕事によって額は異なるが、平均するといくらくらいだと思う?」
「一万円くらいか?」
「バイトか! 答えは約三百万だ!」
「さんっ……」
嘘だろ? こいつらの仕事ってパソコン弄ってるだけじゃねぇか。
「下は十万、上は数千万。分かったか天童龍誠、二十万なんて幼女に与える小遣いくらいの感覚で払えるんだよ。むしろ安いくらいだ」
「そうなのか……ちなみに、一番安い仕事ってどれくらい時間がかかるんだ?」
「ニ、三時間くらいかな。長くても五時間以内」
「嘘だろ、そんな仕事に誰が十万も払うんだよ」
「そんな仕事で十万も稼げる世界なんだよ。いいか天童龍誠、この世界にはいろんな仕事があるんだ」
「知ってる」
「人の話は最後まで聞く! 例えば、土日にケータイコーナーの前でガラガラ回してる人がいるだろ?」
「知らん、なんだそれ」
「だと思ったよ。これはな、幼女に抽選券を配り、幼女がガラガラを回している姿を眺め、ついでにパパさんママさんにケータイの乗り換えを勧めるだけの簡単なお仕事だ」
幼女のくだり必要だったか?
「この天国のような仕事の報酬を時給に換算すると、だいたい千五百円。スーツ着てカウンターでアレコレする人達なんか二千円くらい貰ってる……分かるか? 底辺どもが寿命を削って千円稼ぐ間に、この仕事を知っている連中は幼女と遊んでるだけで倍の金を稼げるんだよ」
「……冗談だろ?」
「本当だ、いい勉強になっただろ天童龍誠。……うそっ、私の年収低すぎ? ってのはギャグじゃなくてマジなんだよ。よかったな僕の会社に入れて、もっと感謝してくれてもいいんだぞ」
「……」
「おいこら無視すんなよ、ちょっと寂しいだろ!?」
俺は騒いでいるロリコンを無視して、食事を再開した。
……いろんな仕事、か。
ロリコンの話を直ぐに受け入れることは出来なかった。パソコンを弄るだけの仕事と命を削った仕事の報酬が、同じどころか比較にもならないという話を簡単に受け入れることなんて出来るわけが無い。
どこかモヤモヤした気持ちで食事を続けていると、ロリコンが呟くようにして言った。
「ついでに教えてやるよ天童龍誠。学生時代の僕は底辺の側に居た。だけど友人の紹介で幼女と遊ぶバイトを知って、いろいろ悟ったんだよ。この世界は歪んでる……だから僕は起業したんだ」
そう語るロリコンは、何処か遠い所を見ていた。
「数億人が生きる世界を創り直すのは難しいけど、僕が生きる世界を創り直すのは簡単だった……ほんと、笑っちゃうくらい簡単だったよ」
彼が何を悟ったのか、それを聞いてみたいと思った。だけどきっと彼は話してくれないだろうし、聞いたとしても理解出来るとは思えなかった。
まるで緊張感の無かった職場に、どこか重い空気が流れる。それをぶち壊したのは、拓斗だった。
『中二病乙』
「なんだとぅ!?」
一瞬で普段のゆるい雰囲気が戻り、俺は呆れて脱力した。
「おい天童龍誠! 幼女だっ、みさきちゃんの話をしろ!」
「なんだ突然」
「いいからっ、なんかこう、背中がむずむずしてきたんだよ!」
『恥ずかしくなったんだね』
「ちちち違うから! 全然そんなんじゃないから!」
……みさきの話か。
「そういや、昨日みさきに算数が出来ると何が出来るのって聞かれて困った。何か知ってるか?」
「算数が出来るとプログラミングが出来る」
「そうなのか?」
「そうだ。というか、なんだその質問。みさきちゃんまだ五歳なんだろ?」
「あいつ勉強が好きなんだよ。昨日ついに算数ドリルを制覇した」
「マジかよ!? ちょっとみさきちゃんにプログラミング教えてみようぜ、天童龍誠よりよっぽど戦力になりそうだ」
「否定できねぇけど止めてくれ、俺の立場が無い」
『天才幼女プログラマーキター』
「こねぇよ! 来させねぇよ!」
初めて真面目な話をしたと思ったら直ぐにコレだ。最初から変な職場だとは思っていたが、まだまだ過小評価だったらしい。ただ、悪い職場ではないのかもしれないと、ほんの少しだけ思った。
世の中にはいろんな仕事がある。俺はきっと、この言葉を軽々しく使っていた。
とある仕事を知っているかどうかで、その人の人生は大きく変わる。大袈裟なんかじゃない。実際、俺も和崎優斗と出会わなければ今とはまるで違う生活をしていただろう。
月に二十万の金が貰えて、みさきを五時に迎えに行けて、しかも土日は一緒に居られる。
特別な努力をしたわけでもなく、偶然という名の幸運がもたらした今について、俺はもっと深く考えるべきなのかも知れない。
ぼんやりと、そう思った。
だけど今の俺には、よく分からなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます