第36話 予期せぬ名前
「――それで、ここでする話というのは?」
商人の男は、まるで出迎えるかのようにソニド洞門前にいた。
崩落した状態は変わっておらず、分厚い岩の塊で塞がれたままだ。
商人が何者かは不明。
だが不安そうなウルシュラを除き、イーシャとナビナ、ネコのミルは警戒を強めている。
何が起こるか分からないが、いつでも戦えるようにしておかなければ。
「へへへ……、この先に行きたいんすよねぇ?」
「……あぁ」
「しかし、とある人の機嫌を損ねたら崩れちまいましてね……。それで帰れなくなってあっしも困っちまいましたわけでして」
「とある人?」
商人の男が俺の顔を見ている。
何だ? 俺に何か関係があるのか?
「いやいやぁ~似てないかと思いきや、似てますねぇ……」
「誰に似てるんだ?」
「あれ? こうまで言ってもお分かりにならない? そりゃあおかしな話だねぇ……おたくの姉御である、聖女エルセのことに決まってるんですがねぇ」
「――! 聖女エルセの仕業で崩落したのか?」
「へっへっへ、顔色が変わりましたねぇ」
聖女エルセは俺の姉。それは変えようがない事実だ。
しかし兄リュクルゴスと違い、姉とまともに話をした記憶がない。
それ故、直接的な憎しみが生じることが無かった。
兄と一緒になって俺に蔑んだ態度を見せた時があったが、それは俺が宮廷魔術師になった時だけ。
俺にとって聖女エルセは、関わることのない存在という認識に過ぎない。
だがミディヌにしたことも含め、間接的にでも俺を排除しようとするのであれば――その時は聖女だろうと俺の手で……。
「ルカス、駄目。呪いの感情を膨らませては駄目」
ナビナが首を振って、俺をじっと見ている。
「ナビナ? いや、俺は大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない。ルカスから
賢者リュクルゴスを
それを使うこと自体、ナビナは止めずにいたのに。
しかし感情任せに力を使うのは良くないし、落ち着くことにする。
「マスター……? 平気なのです? 何か気配が……」
「ルカスさん、あの人に何か言われたんですか? 私がびしっと言いましょうか?」
「ミルはいつでも刃を向けられますみゃ」
ナビナだけでなく、ウルシュラたちにも心配されてしまった。
彼女たちに分かられてしまうのはさすがに反省すべきか。
「うん。問題無いよ」
たとえ聖女が関わっていたとしても、俺が腹を立てるのは違う。
彼女たちには心配をかけないようにしなければ。
「……その聖女が何をしたんだ?」
まずは落ち着いて話を聞こう。
それに商人の話を聞かなくても、エルセがログナド大陸に渡ったことはすでに知っている。
向こうに渡るにしても、エルセに遭遇することはほぼ無いはず。
「正確には聖女では無いんですがね、同行させてる魔術師に命じて向こう側から岩を落とさせたってことになりますかねぇ。あっしは道案内をしてたんすが、いやいやぁ……してやられたなぁと」
そうだろうな。聖女は
魔術師のように魔法による攻撃や破壊は出来ない。
「道案内のあんたがこっち側に出されたのは、どうしてなんだ?」
「まぁ、帝国の人間は他国の人間を見下してますからねぇ……必要以上に関わりたくなかったんでしょうねぇ」
聞けば聞くほど胡散臭い男だ。
何かを恐れたとしか聞こえないな。
「……それで俺に何をしてもらおうとしてる? 言っておくが、聖女とのいざこざに関わるつもりは無いぞ」
「いやぁ、あっしは向こう側に帰りたいだけでしてねぇ。しかし、こっちから向こう側に行くには帝国支配下の港町経由か、ソニド洞門しか無いわけでしてね。どうしたものかと悩んでいたところに――」
「俺が東デローワに現れた……そういうことか?」
「へっへっへ」
薄気味悪い笑いをする男だ。
何かを企んでいるのは明らかだとして、こちらの弱みを利用しているようにも……。
「そこの商人さん!! ルカスさんに隠し事をするのは許せませんよ!」
おお、ウルシュラが力強く攻勢に。
商人の男に詰め寄っていくじゃないか。何て頼もしい。
「おやぁ? どこかで見た顔だと思ってたら、お嬢さん、あんたもしかして!」
「!! な、何でも無いので、ルカスさんとの話を続けて下さい~」
ウルシュラの焦りを見る限りだと、彼女にも隠したいことがあるようだ。
「キーリジアの商人……って言ってたが、それは嘘じゃないのか? あんたの正体は?」
「……教えたら協力してくれるんですかねぇ?」
「こっちとしてもソニド洞門を通りたいからな」
ログナドに行く理由は特にないが、このままラトアーニ大陸にいたところで……。
「良かろう。元宮廷魔術師のルカス・アルムグレーンには教える必要があるようだからな」
何だ、急に雰囲気が。
この態度はまるで……。
「われはログナド大陸中央に位置する大国【ルナファシアス】のバシレオス・ドゥーカスである!」
ドゥーカス――公爵家か、もしくは……。
商人にしては装備がおかしいと思っていたのは間違いじゃなかったか。
「バシレオス……が、俺に何を?」
「先ほどから話に出した聖女エルセについての懸念があり、ルカス・アルムグレーンに話をしたく近づいたまで」
「そ、そうですか」
胡散臭い商人ならまだ良かったのに、面倒なことを言われそうだな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます