凶報の中に垂らされた細糸
シラユキたちが戻ってきたのは、通りすがりのプレイヤーが逃げるように立ち去ってから程なくしてのことだった。
「お、やっと帰ってきたか……って、ひだりは?」
「ひだりならネクテージ渓谷に向かった。どうやらレイドエネミーが発生したみたいだから、その偵察にな」
「あ、その情報ライトの耳にも入ってたのか」
「ついさっきな。野良のプレイヤーからすれ違い様に話を聞いた。その様子だと、ジンムも把握しているみたいだな」
まあな、と首肯してから、さっきのプレイヤーに教えてもらった悪樓に関する情報を簡潔にライトに伝える。
するとライトは、「やはりそうか」そう呟いて、僅かではあるが表情を険しくした。
「――ジンムがボスフロア内でネロデウスに遭遇したと聞いた時から、少しだけこうなる予感はしていた。だが……まさか本当に起こるとはな」
「え……予測できるもんなのか、これ?」
「ああ、過去に一度だけ前例がある。尤も、その時は違うエリアで、違う災禍の七獣によるものだったがな」
「前にもこんなことあったのかよ」
災禍の七獣ってガチでイレギュラーな存在なんだな。
「もしもあの時と同じ状況になるのなら……これからかなり厄介なことになるぞ」
「厄介なこと、ですか?」
シラユキが訊ねると、ライトは一瞬の沈黙を挟んでから続きを口にする。
「……初心者だけで、数段格上のボスを討伐しないといけない羽目になる」
「たっだいまー! レイドボスの情報取ってきたよー!」
最早いつもの場所となりつつある宿屋の一室で待機していると、ひだりが勢いよく扉を開けながら中に入ってきた。
なんかやけに帰ってくるのが早い気がするが、それより今は悪樓の方が優先だ。
「お帰りなさい、ひだりさん。その……どうでしたか?」
「んー……収穫はバッチリだけど、どっちかっていうと悪いニュースになっちゃう、のかなあ」
「ということは、やはりか……」
「うん、とりあえずこれを見てちょうだい」
ひだりがメニューを操作して、俺たちに見せてきたのは動画の再生画面だ。
映像の中身は、野良の八人組パーティーが悪樓と戦闘を繰り広げている光景をVRギア本体に備えられたクリップ機能を使って録画したものとなっていた。
「うっわ……プレイヤーと対峙しているのを見ると、改めてデカさを実感させられるな」
「ホント大きいよねー。……って、あれ? もしかしてジンム、もうボス悪樓の姿を見てたりする?」
「まあな。スクショだけ野良プレイヤーに見せてもらった」
「あ、そういうことね。それで話を戻すけど、問題はこの後だよ」
一分を待たずとして、悪樓がパーティー全員を蹴散らしたことであっさりと戦闘は終了、合わせて録画可能時間も限界を迎える。
それからひだりは、すぐに別の動画の再生する。
今度は、リポップするまでのインターバルの間に、近くで待機していたであろうパーティーがボスフロアに入っていくところから始まった。
連中の装備を見て、ふと違和感を覚える。
パーティーのうち何人かが、ビアノスにいるプレイヤーよりも明らかに強そうな見た目をしていた。
「なあ、こいつらって……」
「多分、助っ人でエリアを攻略済みのプレイヤーが混ざってると思う。見た感じ、上級職にクラスアップもしているんじゃないかな?」
「やっぱりか」
映像越しだと何のジョブか判別はつかないが、前衛三人、中衛二人、後衛二人と中々にバランスの取れている。
これなら悪樓にも十分に渡り合えるんじゃないか。
そう思っていた矢先だ。
再湧きのインターバルが終わり、ボスフロアが侵入不可障壁に囲まれた後、水中から出てきたのは悪樓ではなく通常の壊邪理水魚だった。
「……は!? 何で悪樓が出てこないんだよ」
驚愕しているのは画面の中にいるプレイヤー達も同様で、遠目からでも拍子抜けしているのが見て取れる。
しかし、ライトは合点がいった様子で映像を眺めている。
「——そう、これが最大の問題点。このレイドボスは、エリア未攻略のプレイヤーの前にしか現れないんだよ」
「……それ、マジで言ってる?」
「うん。マジもマジ、大マジだよ。その代わり、レイドバトルになったから戦闘に参加できる人数の上限が最大八人から二十四人に引き上げられてるけどね。それでも勝つのはかなり厳しいと思う」
肩を竦めながらひだりはそう言うと、今度は画面をエネミーデータに切り替え、悪樓のデータを開く。
遠くから見てしかいないからか、ステータスも使用技一覧も[???]で埋まってしまっているが、悪樓のレベルと討伐推奨レベルは表示されている。
どうでもいいけど、直接戦わなくても図鑑にデータって登録されるのな。
「あいつのレベルは56で討伐推奨レベルは21、推奨討伐人数は十五人、か。……意外とハードルは低いな。これならフルパ組んで挑めば、普通にどうにかなりそうか」
画面を見ながら呟くと、「違うよ、ジンム」ひだりが頭を振る。
「ちょっと勘違いしているみたいだから教えるけど、これって基本職基準で考えられてないよ。この討伐推奨レベル、黄色で表示されているでしょ?」
「……? ああ、そうだな」
「これって上級職基準でのレベル表記なんだよね。つまり——」
「……まさか!?」
ライトが懸念していた厄介なことって、これのことかよ。
気づくと同時に、ひだりは淡々と告げた。
「悪樓の討伐推奨レベルは、
………………。
………………………………うん。
思わず天を仰ぐ。
深く息を吸い、肺に溜まった空気をゆっくりと吐き出す。
……おい、クソ運営。
お前ら絶対攻略させる気ねえだろ。
正攻法で悪樓を倒すとなると、前提として上級職へのクラスアップが不可欠だ。
しかし、クラスアップをするにはクレオーノに到達する必要がある。
けど、クレオーノに行くにはネクテージ渓谷を攻略しなければならず、ネクテージ渓谷を突破するには悪樓を倒さなきゃならない。
じゃあ、悪樓を倒すには——
(……何、このクソみたいな無限ループ?)
しかも、一度でもネクテージ渓谷を突破してしまうと、その時点で悪樓への挑戦権を失ってしまうから、攻略済みプレイヤーと組んでエリア突破してクラスアップしてから戻ってくる、というような抜け道も使えない。
要するに、悪樓を倒すには低レベル攻略で挑むしかないってことだ。
「そういや、このゲームの運営テック社だったな……」
思い出す。
つい忘れがちになるが、アルクエの開発元はテクノハック社だ。
発売してから一度たりとも難易度の下方修正をしてこなかった(高難易度化はある)JINMUを開発し、鬼畜会社として名の知れたあのテクノハック社だ。
久しぶりにテックみを感じ、殺意が沸きそうになるが、一つ確信したこともある。
悪樓は攻略させるつもりの一切無い鬼畜……いや、悪魔的難易度でこそあるものの、決して攻略不可能ではないということだ。
あいつら馬鹿みたいな難易度調整はザラにしてくるが、絶対に理論上攻略不可能な仕様にはしてこない。
これだけは確信を持って断言できる。
……理論上可能ってだけで、フレーム技とかバンバン要求してくんだけど。
それでも、細い一筋の糸が垂らしてあることは確かだ。
とりあえずはそんな悲観的に捉えず、なんとかなるだろ精神で考えることにしよう。
ふとひだりが訊ねてきたのは、そう結論づけた時だった。
「ところで……二人はこれからどうするつもりなの?」
「どうするって?」
「悪樓の討伐に挑むかどうか、だよ。悪樓が発生したのは、ジンムたちがあそこでネロデウスと戦闘になったからじゃん? だからって、別に悪樓を倒さなきゃいけない義務もないわけだけど」
ひだりの言うことも尤もだ。
悪樓発生の原因は俺らにあるが、責任を取って無理に倒しに行く必要はない。
むしろ、悪樓の素材目当てに他のプレイヤーも積極的に討伐に動くと思われる。
「当然、挑みに行く。元はと言えば俺が起こした騒ぎなんだ。だったら俺が後始末をするのが筋ってもんだろ。つーか単純に他の連中に美味いところだけを啜らせたくない」
「うわぁ……素直な本音。けどその気持ちは分かるよ。自分が狙った獲物を他の人に取られるのは嫌だもんねー。シラユキちゃんはどうするの?」
「……私は……その、えっと……」
この様子は、どっちにするか迷ってるって感じか。
まあ、今の自分とかけ離れた討伐推奨レベルを聞かされたばかりだしな。
躊躇うのも仕方ないことではある。
「今ここで無理に答える必要はないと思うぞ。どうせ今日明日で倒せるような相手じゃないし、ある程度の準備期間は必要だから、その間にゆっくり決めればいいさ」
「……そう、だね。ごめんなさい、ちゃんと答えられなくて」
「ううん、気にしなくて大丈夫だよ! こっちこそ急に聞いちゃってごめんね」
ひだりがシラユキに向かってにこりと笑いかけると、シラユキも笑みを浮かべる。
ただ……気のせいか、その笑顔がほんの少しだけぎこちなく感じた。
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基本職と上級職では、仮に同じレベルだったとしても、スペックで見比べると、かなりの隔たりがあります。
どれくらいスペックに差が開いているかというと、基本職の性能をママチャリとするなら、上級職は原付きといったところでしょうか。
状況次第では、ママチャリでも原付きに勝てる可能性はなきにしもあらずですが、前提として乗り手に余程の技量がない限りは、覆すことはまず無理です。素直に乗り換えましょう。
まあ、それを可能にできるのがVRゲーの成せるところでもあるのですが。
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